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読書日和 ~Topo di biblioteca~

読書日和 ~Topo di biblioteca~

2005年4月~6月に観た映画



2005年4月~6月に観た映画

 アビエイター
 コンスタンティン
 インファナル・アフェア3 終極無間
 阿修羅城の瞳
 レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
 交渉人 真下正義
 キングダム・オブ・ヘヴン
 バタフライ・エフェクト
 バットマン・ビギンズ
 ミリオンダラー・ベイビー
 宇宙戦争





アビエイター

彼の行く先々でたかれるフラッシュの閃光に目が眩みそうになる。
それはそのまま彼の人生を象徴しているみたいに感じられる。
たかれた瞬間、周囲の世界は色を失うほどに眩い光に包まれるけれども、
その瞬間に見失うもの、闇に落ちるもの…
それは大きすぎる、果てのない夢の代価のよう。
けれど、その夢は誰にでも買えるものじゃないのです。

   「アビエイター」公式HPは→こちら

ハワード・ヒューズという人物の人となり、その人生の概略だけでも
予備知識としてある程度仕入れてから観ていたら、
もっと色んな視点・角度から感想を抱けたと思います。
その点、柊はかなり知識不足だったなあ…と反省。

そんな柊でも「これはただの伝記映画ではない」と思えます。
ハワード・ヒューズを演じたレオナルド・ディカプリオの演技は素晴らしかった。
「タイタニック」以降、今ひとつ…の印象を拭えずにいたけれど、
この映画で久々に彼の持ち味、彼らしさを観ることが出来た気がします。
己の夢とプライド、それと自身の繊細さ、脆弱さをはかりにかけるような
役を演じるのが上手いなあ、と思う。
追い詰められて追い詰められて、そんな精神の崖っぷちに立たされたときの
痛々しさったらないんだけどそんな同情なんてきっぱり撥ね付けられてしまう。

正直に言えば観終えた後、「面白かった!」と心から言える作品ではなかった。
万人にお薦めできる印象でもない。
予告編に観るような華やかさも本編ではむしろ
(ジュード・ロウの登場シーンと同じくらい!?)一瞬で、観ていて
精神的にとてもきつかったりする。

でも・・・
彼は自分の未来に、一体何を見ていたのだろうって想像を掻き立てられるんです。
次第に精神に破綻をきたしていく彼だけど、
彼を追い詰めていくのは「成功するかどうか!?」というプレッシャーではありません。
決して成功を疑わないその先に何を見ていたのか、信じていたのか…
それを想像すると、映画での彼の最後の台詞がとても意味深く聞こえてくるのです。

ディカプリオ以外の俳優さんはどうだった?というと
この映画でアカデミー助演女優賞を獲得したケイト・ブランシェットがやっぱり
一番味がありました。
役柄で雰囲気をガラット変えられるような俳優さん、女優さんが柊は好きです。

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コンスタンティン

春特有の鬱々とした気持ちを追い払うには活字を追うよりも映画が最適!
と難しそうなことを考えず楽しめそうな「コンスタンティン」を選んだのだけど
とても個人的な理由から一層落ち込むことになってしまった。

キアヌ・リーブス主演ということで「マトリックス」のような映画を想像してたけど
初っ端、悪魔祓い=ホラーのような展開で柊には実はびくびくもの。
それでも柊には信仰心などないので神・天使と悪魔が戦おうとも我関せずで
その独特の映像を楽しんでいられた…けど。

 自殺者の魂は地獄に落とされる。

なんで?何でそんなこと言うのさ。
少なくとも死によって現実の苦しみからは解放されたのだろう、
今は安らかな気持ちで眠っているのだろう、そう思うことで
残されたほうはやっと気持ちを納得させようとしてたのにそんなこと
言われたらもう、どうすりゃいいのよと怒りが湧いてきた。
(これはもう映画とは全く関係ない感情なり)

信仰とは恐れを植えつけることか。
理解の及ばないものに対して。死を恐れよ。死後の世界を畏れよ。
だから…?

柊には死後の世界が存在するのかどうかなんてわからない。
わからないのに、生きている今からそれに怯えたくない。
自分がどう生きたいか、生きたのかを裁くことが出来るのは
自分の良心だけだと今は思ってる。

そんなふうだから、柊はどんな宗教も信仰の対象には出来ない。
ご先祖様のお墓参りも行く。神社のお祭も楽しむし、年始の初詣も行く。
クリスマスも家族でお祝いする。
天使と悪魔が登場する物語も実は大好きだったりする。
節操ないったらそれまでだけど、その代わり苦しいときの神頼みもしない。

映画は面白かったです。
天国ってあまりイマジネーションが広がってかないけれど、何故か
地獄については深く考えちゃうのはどうしてだろう?
宗教画に地獄を描いたものは多いけど、天国の絵ってあまり記憶に
残っていない。
人間、悪に興味を惹かれやすいということなんだろうかと考えてみたり
します。

あ、これから映画を観に行かれる方に忠告を。
エンドロールが終わり、映画館内が明るくなるまで
席を立ってはいけません。
わずか数秒の映像であっても、見逃しては後悔しますよ~。


   コンスタンティン公式HP →こちら


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インファナル・アフェア3 終極無間

圧巻、としか言えない。
もう、言葉が出てこないんだもの。全然。

指先が震えてくるような緊張感が堪らない。
三部作をほぼ立て続けに観たけれど、
「ああ、あの台詞が今、ここに生きてくるのね。」という言葉や場面が
随所にあって、それがずっと心の中で尾を引いている感じ…。
ただただ、「ああ!」って感嘆の溜息をつくしかないみたい。

  インファナル・アフェア公式HP→こちら


「インファナル・アフェア」

   インファナル・アフェア ◆20%OFF!<DVD> [PCBE-50836] 

警察に潜入したマフィア、ラウ(アンディ・ラウ)とマフィアに潜入した
捜査官ヤン(トニー・レオン)の二人。

それぞれ、いつ自分の正体がバレるのかという緊張を強いられる状況で、
自分の存在に矛盾はないのかと葛藤を抱え込んでいく様は
観ていてとても心が苦しくなる。

嘘と、裏切りと、矛盾と、死が取り巻くこの状況から早く解放されたい。
原題の「無間道」(=地獄)、このタイトルがすごく効いてる。

どちらにより魅入られたかといえば、ここではトニー・レオン。
常に死を意識し、ときには警察官という元の身分に戻ることを
諦めかけているのではないか、と思えるような表情が切なくて
ラストシーンには呆然とさせられる。
(3の予告編を観て結末は知ってた筈なのに…!)

恋愛を絡めて欲しくない…という感想を目にしたけれど、その気持ち、
とてもよくわかる。
柊は女なので、そう言われちゃうのは実はものすごく悔しいことの筈だけど
主役二人が作り上げる緊張感に余分なものは一切欲しくない!

…でも、柊はケリー・チャン、好きなんです~。

「インファナル・アフェア 無間序曲」

   インファナル・アフェア 無間序曲 ◆20%OFF!<DVD> [PCBE-51354]

時間は遡り、主役二人が潜入を始めた頃~の物語。
トニー・レオンもアンディ・ラウも登場しないのにどうやって引っ張るの?
という心配はまったくの杞憂に終わります。

1で恋愛(女)を絡めて欲しくないなあ~と思った感情はころり、と
転んで柊は、マフィア・サムの妻を演じるカリーナ・ラウに釘付け。

潜入捜査の非情な部分、血で血を贖うようなシーンの数々。
1では描かれなかった主役二人の心情や背景が
どんどん肉付けされていきます。

そして最終章「インファナル・アフェア 終極無間」

1、2、続けてみているのに拘らず物語について行くのに必死!
過去に遡ったり、微妙に時間軸が入れ替わったり、
新たに二人の登場人物が加わって、一体誰を疑うべきなのか
混乱してくるのですが…。

自分と同じようにサムの手下として警察に潜入している人間を探り出し
自身の過去を隠すため始末しようと謀るラウ。

こうなると俄然、アンディ・ラウに肩入れしたくなってしまう!
「善人になりたい」、そう切望した彼がとった手段は…?

より死に近い場所にいても、心の中でずっと警官(善人)でいられた
ヤン捜査官(トニー・レオン)に対して、ラウが抱いた感情は
嫉妬なんだろうか?それともコンプレックス?
1で二人が対峙したときに交わした言葉は、ラウにとっては呪詛に近い
ものだったんだろうかと思うと…悲しい。

トニー・レオン、アンディ・ラウの主役二人はもちろんのこと、
脇を固めた俳優陣もみな個性的で一人一人がとても印象深かった!
この役でこれ以上の演技は観れない!と思う。
「この映画はこの配役しか考えられない!」とまで思い込ませるこの映画。
うーん、果たしてハリウッドでリメイクする必要があるのかっ!?と
心配になっちゃうのはきっと柊だけではないはず…。

ちなみに一番最近に読んだリメイクについての記事がこちら↓

マーティン・スコセッシ監督が手がける香港映画「インファナル・アフェア」の
リメイク「ザ・ディパーテッド」に、ジャック・ニコルソンが参加することが
明らかになった。
レオナルド・ディカプリオがアイルランド系ギャングに潜入する囮捜査官、
マット・デイモンがボストン警察に潜入するギャング役に決まっているが、
ジャック・ニコルソンの役どころはアイルランド系マフィアのボスだという。
今年4月にクランクイン予定。…

つまりトニー・レオンの役どころをレオナルド・ディカプリオ。
アンディ・ラウの役をマット・デイモン、
マフィア・サム役をジャック・ニコルソンということだよね…。

  だ、大丈夫なんだろうか…?冷や汗


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阿修羅城の瞳

目に見える、わかりやすい表現に置き換えられてしまったことで、
作品世界の醍醐味が半減しちゃったのでは~?
…というのが正直な感想です。

  恋をすると鬼になるー 

なんて、どうお話に決着つけるのかすごく興味が湧くし、
役者さん一人一人の演技にも惹かれた!…なのに
特殊効果、SFXを多用することでせっかくの闇が
明るく照らされちゃった気がするのは私だけ~なのでしょうか☆

  「阿修羅城の瞳」公式HPは→こちら

多分、原作にあたる舞台版なら、こんな印象は抱かせないんじゃないかな?
舞台で凝らされる演出は、観客の想像力を奪うものではないはず…。
実際に舞台をご覧になられた方は映画版にどういった感想を
抱かれるのでしょう。聴いてみたいです~。

あるはずのないもの、見えるはずない世界をさも、存在するものの
ように訴えかけるって難しい。
けれど、そこに見えないものを、あるように感じさせることにこそ
演じることの面白さがあると思うし、見ていて楽しい。
どれだけ観客の想像力を刺激できたか…?
それをSFXを使って全部を見せられちゃったらむしろ「虚構」を感じてしまう。

目を見張るような映像で訴えかける映画もある。
役者の演技、表現、物語で訴えかける映画もある。
この二つのバランスが上手い具合に取れれば最高!なのですが
意外にどっちつかずで中途半端な印象を与えてしまう事って多いのでは?

このお話ならむしろもっと後者に重点を置いて作られても見応えあったと思います。
そういった特殊な映像を必要としない役者対役者の場面なんかは
台詞の掛け合い、その呼吸で充分魅せてくれるものでしたし。

病葉出門を演じた市川染五郎さん、こういう演技を見せてくれるなんて
ちょっと意外でした~。
舞台版で当たり役、と言われたのも頷けます。うなづく
本当、舞台の上でその演技が見てみたかった~。

その市川染五郎さんとの掛け合いで魅せてくれたのは邪空を演じた
渡部篤郎さん。
この二人のやり取りが映画中、一番、柊は面白かったです。
(舞台版ではこの役伊原剛志さん演じられたようですね。
伊原さんだとどんな掛け合いになるのだろう~興味津々♪)

つばき(阿修羅)を演じた宮沢りえさん…画面中立ってるだけでも
画になる雰囲気を持ってます。着物姿が良く似合う、こういう女優さんに
なるなんて全然想像してなかったなあ…。
(舞台版では天海祐希さんが演じられた役。阿修羅に変化したときに
宮沢さんより迫力ありそう!?)

劇作家を演じた小日向文世さん。
滑稽味溢れる感じで芝居への執着を演じてましたが、その執着を
それこそ「鬼」のように演じて欲しかったなあ。
(あ、それはただの柊の好みというか解釈ですが)

…余談ながら。
「鬼」と聞いて柊は漫画家・木原敏江さんが描いた一連のシリーズ物を
思い浮かべたのですが、ああいった人界と闇の世界との物語を
柊好みに映像化してくれる人っていないかなあ…冷や汗



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レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語

子供が言葉を覚え始める頃になると、絵本を読み聞かせる機会も増えてくる。
自分が子供の頃に慣れ親しんだ、懐かしい物語たち…。

でも、ラストに近づくと、あれれ??
「私の知っている結末と違うっ!!何で~!?」ということが結構あった。

例えば「人魚姫」
柊の知ってる結末は人魚姫が海の泡となって消えてしまうものだったけど
何故か神様に導かれて天国へ昇っていく結末に変わってた。

「アリとキリギリス」
柊の知ってる結末ではキリギリスは夏に働かなかった為に寒さに凍えて
死んでしまうはずなのだが、何故かアリに反省を促され、温かい家に
迎え入れてもらえるのである。
(「そ、そんなに世の中甘くないぞ~!」と柊なんかは思ってしまう結末に
変わってる…冷や汗

死んでしまうはずのものが生き延びてたり、昨今はそういう風に
物語の結末が変わってきたんでしょうか?
反省すればやり直しもきく、という展開もわからなくはないけれども、
“やり直しがきかない”ことも、「不条理だーっ」て思えることも
世間には多々あることを、その強烈な結末から学んだような気がする
柊としてはついつい「甘すぎるー!」と思ってしまうんである。

映画の序盤、「ハッピーエンドがお望みの方は別の映画館へ行かれることを
お薦めする…」というナレーションが入る。

そういう断り書きが入ること自体、柊は「おや?」と思う。
柊が子供の頃、愛読した本、観たアニメ番組の多くは親との死別、生き別れ、
孤児院での鬱々とした場面から物語が始まっていたから。
『赤毛のアン』『小公女』『ジェイン・エア』…「家なき子」「母を訪ねて三千里」etc

そして両親との別れと数々の困難が、主人公たちに何を促すかというと
「自立」ではないでしょうか。
庇護の翼から出され、数々の出来事に見舞われる過程で、自分の居場所、
生きる力を獲得していく…。

子供の頃、そういう物語を読みながら、もし自分の両親が突然いなくなったら
主人公のように毅然と様々な出来事に立ち向かっていけるだろうか、と
頭の中でシミュレーションしてみなかったですか?
親に叱られついでに「橋下から拾ってきた」なんて言われて、
「ちくしょーっ!今、家出したら何をして食べてけばいいだろう」とか、
「今は無理。これからは準備を怠るまい」なんて真剣に悩まなかったですか?

甘い結末の物語ばかり?読み聞かせてた柊がある日
ハリー・ポッターのシリーズを読んで、子供以上にのめり込んだのは
主人公のハリーの境遇が両親との死別+これでもかというくらい
叔父さん夫婦に苛められてたからだったのでは~なんてふと思ったりしました。

えらく長い前置きになっちゃいましたが、次からはこの映画のお話。

 ボードレール家の三人の子供達は両親を火事で亡くすのを皮切りに
 次々不幸な出来事に見舞われていく。
 後見人として出会ったオラフ伯爵(ジム・キャリー)は三人が継ぐ
 莫大な遺産を狙っていて…という展開。

  映画の公式HPは →こちら

ジム・キャリー、本領発揮の怪演で期待を裏切りません♪
不幸な出来事、絶体絶命・危機の連続であっても暗ーい気持ちに
ならないのは彼の奇抜な演技とユーモア、三姉弟妹の可愛らしさ、そして
知恵と勇気があるから!

字幕を追うのはちょっと大変だけど、ジム・キャリー独特の台詞の声音を
楽しむために、柊は断然字幕版をお薦めしたいです!
オラフ伯爵…もう、ジム・キャリー以外考えられない強烈なキャラクター冷や汗
どう強烈かは是非、劇場で!

リアルさとはまた違う、独特の雰囲気に画面が纏められていて
シーンごとの映像もとても凝ってます。
DVDで観るには迫力が半減してしまう場面も多々あるので、これまた
劇場に足を運んでみて欲しい~。

(語り手として声のみ?出演のジュード・ロウ。お姿拝見したいハート

親が子供に与えられるもの、与えておかなくちゃいけないものは
いつ、どんなことが起ころうともそれに立ち向かっていける図太さじゃ
ないかな、なんて映画を観ていて思います。

いつか、その日は必ずやってくるから。
いつまでも守ってあげたいけど、それは出来ないから。
ちゃんと自立して、生きていけるように。
伝えておくべきことを、先延ばしせずにちゃんと伝えなくちゃ駄目だな、
なんて改めて思ってしまう映画でした。

子供と一緒に観に行ってもいい…でも、そうすると吹替版に
なっちゃうんだよな~☆


最後にちょっとネタばれ感想…

物語の最後、子供たちの不幸な境遇に見て見ぬ振りをしてきた
大人たちを批判する台詞がありますが、それは現代社会にも通じる
批判なのでは~と思いました。

大人には子供を守る責任が課せられてる筈です。
それが自分の子であっても、そうじゃなくても。 きっとね。


チューリップライン

交渉人 真下正義

柊は「踊る大捜査線」シリーズが大好きハートで、
テレビシリーズなど録画して置けるものは全てビデオテープに
録ってあります。
(但し、テープ自体かなり劣化しているのが悲しいですが…泣

今回の映画は番外編ということで、
「青島刑事が出てこないのが寂しいっ!!」と思ってたのですが
どうしてどうして。

映画化された三本の中で、一番緊張感がある作品だと思ったし、
クライマックスまで、ぞくぞくしながら観てました。

地下鉄構内で起きた事件であり、急ブレーキによって車両内の
乗客がパニックを起こす場面など…。
つい、先日現実に起きたJRの事故を思い起こさせるシーンがあって
ぞっとさせられてしまうのですが…。

ここには犯人の“悪意”がはっきりと存在しています。
その標的に選ばれた真下さんが、犯人とどう交渉していくかが
やっぱり見物でしょう。

緊張した場面の連続の中で、「踊る」らしい笑いのシーンが
観ていてすごくホッとさせてくれます。

8月には更に「容疑者 室井慎二」が公開予定になってます。
エンドロール後にちょっとした予告編があるのでお見逃しなく。

…それにしても最近はエンドロール後におまけあり、というパターンが
多いですね(笑)

  「交渉人 真下正義」公式HPはこちら


チューリップライン

キングダム・オブ・ヘヴン

聖地と呼ぶ場所を幾度となく血で汚す。
本当に、天高い場所からそれを見守る存在がいるとするなら、
さぞや呆れ果てているか、嘲笑されているに違いありません。
(嘆いたり、悲しんだりはしていないでしょう。
そんなに優しい存在じゃないと思う。…多分。)

「神」という言葉を口にするたび、人はその威を借りて傲慢になっていくよう。
何故だろう…?
どうしてそんなふうに妄信できるのか。その地を欲しがるのか。
柊にはやっぱり、どうしてもわからない。

「エルサレムに価値はあるのか」という問いに対して
サラディンはこう答える。
無だ。 そしてすべてだ」とー。
そう固く信じている人々に、信仰を持たない人間が何を言えるでしょう。

 他の宗教の教えを理解することが出来なくとも、互いにその存在を
 許しあう寛容さは持てる筈…。

この映画はあくまでも中立の視点からエルサレムの攻防を描こうとしてる…
(主人公、バリアンの台詞の端々には信仰に対する懐疑が伺えます。
彼が最後までエルサレムを守ろうとするのは信仰心からではなく
そこにいる民のため。彼自身守りたい正義のため、だと思います。)
そう、柊は感じたので、こんなメッセージを受け取ったつもりでいます。

  「キングダム・オヴ・ヘヴン」公式HPは→こちら

予告編を観たとき、
「ああ、大作過ぎて『トロイ』みたいな散漫な出来上がりだったら
嫌だなあ…」と思ったのですが。
むしろそのありきたり風・予告編のおかげで期待し過ぎることなく、
柊はこの映画を観ることが出来ました☆

画面にずっと緊張感があるのがいいです。集中していられます。

主役をはったオーランド・ブルーム。
華やかさからはちょっと離れ、寡黙で表情すらあまり伺えない
抑えた感じがこれまでのどんな役よりもずっといい!
それでこそ美貌も生きてくるというもの。
もっともっと役の幅と演技力を身につけて、
それをスクリーンで魅せつけて欲しいです。
今後期待できる片鱗が伺えて、嬉しいハート

柊は脇を固めるジェレミー・アイアンズ、リーアム・ニーソンらが好き♪
焦点を変えて、彼らの物語でもう一本映画が撮れそう!って存在感が
心憎いです。

ラストについて注文が一つ。
(隠し文字にします。ご覧になられてから読んでください。)

ラストの後日談めいた部分、柊は余計だったなあ…と思います。
エルサレムを明け渡し、海へ向けて砂漠を歩いていくシーンで
そのまま終わってくれてたら良かったのに、と思います。

そのまま故郷に戻ったら、司教を殺害した罪に問われないのかなあ?
自分の妻が埋葬されている場所を、馬から降りもせずに
一瞥だけで通り過ぎていってしまうのは寂しい。
そもそもエルサレムへ向かったのは、妻が自殺を選んだ罪に対し
許しを求めるためのものじゃなかったの…?
…などなど疑問が一気に噴き出しちゃって、それまでの統一されてた
イメージが霧散しちゃった感じがして感情的に割り切れません。

エルサレムを明け渡した彼らがどこへ向かったのかは明かさぬまま
後日談として獅子王リチャードのことは字幕で流せばそれで
良かったのでは…なんて思うのですが…。


どんなもんでしょ。冷や汗

チューリップライン

バタフライ・エフェクト


まるで掛け違ってしまったボタンのよう。
一つ、何かが違ってしまった為に、思わぬ結果を招いてしまう。
彼女を、そして不幸な境遇に陥った友人を助けたい。
そう願っただけなのに、どんどん願っていない方向へ事態は進んでしまう。

   公式HPは→こちら

<バタフライ・エフェクト>

「ある場所で蝶が羽ばたくと、地球の反対側で竜巻が起こる」。
初期条件のわずかな違いが、将来の結果に大きな差を生み出す、
という意味のカオス理論の一つ。

              ~公式HPより~


タイトルをそのまま象徴するかのような映画。うなづく
出だしから一体どうなっちゃうのかハラハラするような滑り出し☆
過去を変えようとするたびに、新たに出現した世界はどんな人間関係に
なっているのか…って、どきどきさせられます。

タイムトラベラーをテーマにした、よくある映画のように
時間軸が複雑に交差するSF風映画なのかと思ってましたが…。
この映画はもっとシンプルに、「過去に戻ってやりなおせたら…」という
願いを突き詰めていったらどうなるのかを描いているように感じました。

記憶喪失、日記、…と過去に遡る為のモチーフが一風変わってて
面白いです。

どんな過程を主人公が辿っていくのかは実際に観ていただくとして。
(上映時間二時間があっという間に感じました!)

結末がとっても切なすぎる…。泣

“神にも許されぬ行為ー”…「まさしく」としかいえない。
果敢に挑戦して敗北した…とも言えるし、或いは代償は大きくとも
一番欲しいものは得られた、とも言えるし。
どう解釈するかは観る側に委ねられているのかなあ…。

過去に遡って…とは誰もが願ったり、考えたりすることだと思う。
けれどそういう考え方はとても消極的で、結局何も生み出さない。
現状から、どうプラスの方向へ持っていくのか。
常に今を出発点として前を向いていなくちゃ、
得られるものも逃してしまうんだろうな。

そんなことを再確認させてくれる映画でした。

白い花のライン

それにしても、「何だこれはーっ!!」と驚く程、がら空きの館内。
三人くらい…?貸切といっていい状態でした。

あんまり観客がいないと不安になっちゃうのは何故(笑)

あんまり知ってる俳優さんもいないし、大作に押されちゃうのかな~?
結構面白かったけどな~。
主人公の子供時代を演じた男の子、女の子みたいに可愛かったハート

チューリップライン


バットマン・ビギンズ

久しぶりに映画館に出掛けました。
難しく思い詰めちゃう映画は何となく避けて、頭が空っぽ状態で
楽しめそうなやつ♪

…という訳で選んだのは「バットマン・ビギンズ」
渡辺謙さんがどんな悪役振りを見せているか確かめに…。

  公式HPは →こちら

「バットマン」といえばジャック・ニコルソンが不気味なメイクで
ジョーカーを演じた映画がうろ覚え…なくらいで
続編の類は一切観たことありません。
でも、要はどんな風にしてバットマンが誕生したか…というお話なので
大まかな設定を知らなくても大丈夫のはず~。

正義の味方、またはヒーローになるのには
トラウマの克服&身を守る為(或いは攻撃用の武器)の準備が
必須なんですね。
何もないところから都合よく武器を取り出せるはずもないので、
それは当たり前のことなんだけど。
それを細々と準備している様子にリアリティがあって中々楽しいです。

バットマン(ブルース)役を演じた俳優さん、名前を知らないのだけど
若かりし頃のトム・クルーズにちょっと似ているなあ…なんて
思ったのですが…そう思ったのは柊だけかなあ。

リーアム・ニーソン、すっかり主人公の導き手といった役が定着して
しまいましたね。
「ギャング・オブ・ニューヨーク」の時はディカプリオの父親役。
「スター・ウォーズ・エピソード1」の時はジェダイの騎士役で。
先日観たばかりの「キングダム・オブ・ヘヴン」では
オーランド・ブルームの父親役で。
理想の父親像というアンケートが海外にもあったら上位に
選ばれるのではないかしらん?
この映画でのリーアム・ニーソンはとても力強く、観ていて
惚れ惚れしてしまいますハート

最初、全然気がつかなかったんですが警官役で
ゲイリー・オールドマンが出てました。
気がついたときにはびっくりしました☆
痩せました…?
彼が演じるなら汚職警官だろうとすっかり思い込んでました。
いやいや「レオン」で定着したイメージは根強い。

他にも執事役のマイケル・ケインとか、協力者のモーガン・フリーマン等
俳優陣がなかなか豪華でありました…!

え…。渡辺謙さんはどうだったかって…?そりゃあ…ええと。
「ラスト・サムライ」での主役を食ったかのような存在感がここでも
欲しかった…というか出番が少なすぎる~泣
「台詞、何ていってるのか聞き逃さないように!」とめざましテレビで
インタビューに答えていたので意識してたけど
やっぱり聞き取れなかったです。

これから観に行かれる方はぜひ解読?して柊に教えて下さい(笑)

街を滑空するバットマンの勇姿を観ながら、
「バットマンとスパイダーマンが戦ったらどっちが強いんだろう?」と
馬鹿な想像をめぐらしていた柊でした…沈黙


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ミリオンダラー・ベイビー

幸福な瞬間っていうのはどうしてその幸福な形のまま、
繋ぎ止めておくことが出来ないんだろう…。

人生で「最高の瞬間!」を味わった後…
人にはどんな生き方があるだろう。
その瞬間を大切な思い出としながら、静かに生きようと願う人、
或いはもっともっとその瞬間を味わい続けようと努力を続ける人…。
選択肢は様々だけど、いずれは努力ではどうにもならない、
怪我や病気や老いなどといった壁が行く道筋に見えてくる。

その時、過去を振り返ったときに、その「瞬間」は自分の目に
どう映ってるかな?

変わらず、自分の中で同じ輝きを放ってくれてるだろうか。
それとも、否応なく流れる時間と共に風化してしまっているだろうか。
あの瞬間さえ味わわなければ別の生き方も選べたのに、と後悔する
人もいないだろうか。
「最高の瞬間」にしがみついたが為にその後の人生を生きられない
人だっているかも…。
だとしたらその瞬間は何のために存在したんだろう。

ボクシングの試合や、それを題材とした映画を観るのは苦手。
顔を腫らして殴りあうなんて、野蛮極まりなく、理解の範疇を超える。
…というのは表向きの理由で、柊の場合、「痛い」場面から
目を逸らさずにいられないから苦手なんだと思う。
痛みに向き合う、立ち向かっていくなんて私には出来ない。

ラストが衝撃的だったわけじゃない。
アカデミー各賞を受賞する前に
「こういった問題を提起するラストが受賞にどう影響するか…」といった
コメントを耳にしたとき、何となく予測していた出来事だったから。

でもやっぱり泣いた。悔しくて、悲しくて。
気持ちの持っていく場所がなくて。

未来に起きる出来事を知っていたら…
或いはもう一度人生をやり直せると言われたら…
彼女は別の人生を選ぶだろうか?

最期の時に、「いい人生だった」と思える人に、後悔なんてないだろう。
どんな辛い状況が待ち受けていようと、何度でも同じ道を選ぶだろう。
そう思える人はきっと「最高の瞬間」を手にした人よりもずっと
数が少ないのでは…。

幸せだったことも、辛いと思ったことも全てひっくるめて
「いい人生だった」と思えるように…そんな風に生きなくちゃ!

ヒラリー・スワンクの目の演技がとても印象的だった。
映画って素晴らしい!
そんな風に思える一本にまた、会うことができました。

   公式HPは→こちら


チューリップライン


宇宙戦争

「特殊効果を多用した映画は食傷気味で…」
「もうあまり映像に衝撃を受けなくなってしまった」

そんな方にお薦めの見方があります。
映画館に行く直前に、1953年に制作された「宇宙戦争」を観ることです!
(結末を知らずに観に行きたい、という方もおられるでしょうが
はっきりいって結末に期待しすぎると「えっ!?」となる確立のほうが
高いと思われます…いや、保障はしませんけど。)

むしろこの二作品を比較して観る方が格段に面白い!と
柊は確信します。

特殊効果に毒されすぎた感覚を一度リセットする効果もあります。

柊は前夜に、この1953年版「宇宙戦争」を観ました。
こちらは昔の映画だけあって、特撮に限って言えば、
自分が子供の頃に観た「ウルトラマン」なんかを彷彿とさせる
レトロな雰囲気がむしろ微笑ましくなっちゃうぐらいで、
侵略者に対する怖さはほとんど感じないのですが、反面
パニックに陥ったり、暴徒と化した人々が襲ってくる場面には
違った迫力があったりします。
(火星人より人間の本性のほうが恐ろしい…と感じるくらい)
1953年版では、この理不尽な侵略に対し、異星人に和解を
試みようとする神父の存在と、最期の時を教会に逃げ込み、
神に祈りながら死を迎えようとする人々の姿が印象的です。
そんな、神父の最後の祈りの言葉が、結末を締め括るナレーションに
強く意味を持たせるのですが、
今回リメイクされたスピルバーグ版にはそういった神への問答、
みたいな場面は一切ありません。
(最後のナレーションだけは同じなんだけど…惜しい)

むしろスピルバーグ版で目を見張ってしまうのはド迫力の映像!
レトロ?なそれを観たために、つい比較して観てしまう部分もあるけれど、
「映像技術はここまで来たのね~!」とまるでタイムスリップでも
してきたかのような新鮮な驚きを味わってしまった!
何故、リメイクを制作したか、といえば多分こんな新鮮な驚きを
もう一度味わって欲しかったがためじゃないかと思うくらいです。
異星人の武器や、行動などなど是非、比較しながら観て欲しい!!
描き方の違いにきっと目を見張るはずです。

映像技術が目覚し過ぎて、単なるパニック映画になっちゃいそうな
恐れもあるけど、スピルバーグはその辺、一つの家族に焦点を
当てることで深みを出そうと試みている気がします。
実際、父親役のトム・クルーズの演技にはなかなか
共感持てましたし。
(但し、ティム・ロビンスの鬼気迫る目は絶対異星人より怖いっ)

つた植物のライン

この映画の上映前に
ピーター・ジャクスン監督の「キングコング」リメイク版の予告編が
流れたのですが、これもまた昔に制作された映画と比較しつつ
観るのが楽しそう…な雰囲気。

柊は「リメイクに何の意味があるの?」って考え方をしてましたが
今回「宇宙戦争」を比較して観る事ができてすごく面白かったので、
ちょっと認識改まりました~。

リメイクすることで、昔に撮られた映画の面白さ、良さを再認識
する事も出来るし、製作者が違うことによって表現方法が
異なっていたり、ストーリーを違った側面から見せてもらったり
する事が出来るんです。

この映画だけを単体で観ていたら、多分スピルバーグや
トム・クルーズの名前だけが前面に押し出された雰囲気のまま
観てしまっていたと思う。
それはちょっと…もったいないっ。

  *宇宙戦争公式HPは→ こちら


チューリップライン





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