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読書日和 ~Topo di biblioteca~

読書日和 ~Topo di biblioteca~

2008年4月~6月に観た映画



2008年4月~6月に観た映画

 クローバーフィールド
 うた魂♪
 フィクサー
 王妃の紋章
 スパイダーウィックの謎
 ナルニア国物語第二章カスピアン王子の角笛
 チャーリー・ウィルソンズ・ウォー
 ナルニア国物語カスピアン王子の角笛(二回目)
 ラスベガスをぶっつぶせ
 ザ・マジックアワー
 JUNO-ジュノ
 インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国
 奇跡のシンフォニー
 西の魔女が死んだ






クローバーフィールド

何の前情報も持たずに観に行くことが、この映画を楽しむ一番の条件ではないでしょうか。
(楽しむ…というには語弊がありそうですが)
従って「これから観に行こう」とちょこっとでも思っている人は以下に続く柊の感想など
読まない方がいいかと思われます。

・・・そんなわけで以下は柊の感想です。

 *「クローバーフィールド」公式HPは→こちら

なんというかもどかしいです。
自分で録画したビデオの映像なら、気になる部分を即!巻戻して確認することが出来るのに
それが出来ない…って感じが。
映画だから巻戻せないのが当たり前なんですが、いかにも記録フィルム風なので
「もう一度その場面が観たいのに!」という気にどうしてもなっちゃうんですね。

でも「なんなんだ、なんだったんだ!」って戸惑っている内にもどんどん
映像は先に続いていってしまう…。くっそーわけわからんまま。悔しいぞ。

ばりばり手ぶれ補正のされていないカメラワークは酔いやすい人も多いかと思います。
柊も覚悟して観に行きましたが、「酔うかも」と思った時はひたすら字幕に
視点を集中していたため意外と大丈夫でした。冷や汗

たとえば「ゴジラ」とか「エイリアン」などの映画を記録フィルム風に撮影すると
こんな感じになるのかも…なんて思いました。
手ぶれカメラならではの臨場感はすごいものがありました。55
観終えた後のインパクトはかなり大きかったです。
人間危険が迫っていても、見たことのないものとか自分の知らないものとか謎とか、
大きな音がしたときにはそちらの方へ瞬間的に目を向けてしまうものだなーと。
逃げなきゃいけないのに気を取られてしまうと動けなくなるものだな、とか。
そんな感覚が妙にリアルでした。

まあ「撮ってる暇があるなら早く逃げなよ!」とか
「でもどうせ撮るならもうちょっとちゃんと撮って欲しいぞ!」とか突っ込んでみたくもなりましたが☆

あれがなんなのかなんて柊もわからないまんまです。
なので、またまたもどかしさ倍増。
えーん、何がどうなっているんだよー。
…にしても、あれよりきっと日本の「ゴジラ」の方が愛嬌があると思うし。
つまりなんというか可愛くない…の一語に尽きるしhiku

監督さんかな?「第二弾は日本を舞台にしたい」なんてインタビューが嘘か本当か
テレビで流れてましたが、日本にはやってきて欲しくないですねー。
それこそ「○○○VS×××」で軍隊に任せずやっつけちゃって欲しいかもー。

チューリップライン

うた魂♪

最初っから最後まで、なんかすごく可笑しい映画onpu
「歌が聴きたいなあ~」と思って観に出かけたのですが、予想外に笑えて面白かったです。

  *「うた魂♪」公式HPは→こちら

一番の見所、聴き所はやっぱり湯の川学院高校合唱部による「尾崎豊」でしょう!
古き良き時代の懐かしさ溢れる不良たち(?)によるインパクトあり過ぎな格好と
迫力ある歌にはただただ圧倒されます。

薬師丸ひろこさんによる尾崎豊の「Oh my little girl」も素敵でした。
薬師丸さんの声って澄んでいて、聴いているととても気持ちがいいです。

「一人ではいつでも歌えるけど、みんなと歌えるのは今だけ」という台詞が
印象に残ってます。
合唱って…素敵だな。最後はやっぱりじーんとさせられちゃいました。

チューリップライン


フィクサー

ジョージ・クルーニー、ティルダ・スウィントンらの名前がアカデミー賞授賞式のときに
あがっていて、緊張感溢れる法廷劇が見られるのだろうかと期待して観に行きました。

 *「フィクサー」公式HPは→こちら

・・・が、なんということでしょう。
途中怖ろしいまでの睡魔に襲われてしまい、あえなく数分沈没する羽目に。がーん
人物関係や訴訟内容や事件背景などなど、字幕を追うだけでは柊にはわかりづらくて
(昨晩珍しく夜更かしなどもしてしまったものだから寝不足だったりもして)
目覚めたのは中盤、殺人がおきる場面から…←ここからぱっきり目が覚めた。

印象に残ったのはアカデミー助演女優賞を受賞したティルダ・スウィントンの演技、役柄でした。
仕事で大役を担うあまり抱え込むストレス(或いは良心との葛藤?)が観ていて
痛々しい程で、終盤なんかは「あまり苛めないであげてくれー!」と思えるほどでありました。

フィクサー=事件のもみ消し屋、とのことだけど、それまで具体的にどう事件をもみ消してきたのかとか
描かれていなかったのが残念でした。(もしかして寝ているときに描かれたのか???)

もみ消す、とはいえホントにホントにあった出来事をなかったことには出来ないんだなと。
証拠は消したつもりでも、それに関わった人の心の中にはやっぱり何かが残ってしまう。
後悔や怖れ、不安などなど。
終盤、緊張感溢れる最後の10分間に柊はそんなことを思いました。

チューリップライン

王妃の紋章

陰惨極まる愛憎劇も、ここまで贅が尽くされた環境ではむしろ滑稽に見えてきます。
生活する、日々自分の手で何かを為すということをしなくていい日々を送っていれば
憎みあうことが一番の娯楽になっても仕方がないかもねーなんて皮肉な気持ちに
なっちゃいます。
贅沢な生活だけど、こういう生活や人生は嫌だなあ…としみじみ思えてきます。

 *「王妃の紋章」公式HPは→こちら

国王も、王妃もどっちもどっちだ。…とは思うもののチョウ・ユンファ演じる国王の
陰湿で嫌みったらしい行動にはふつふつと怒りが湧いてきて俄然コン・リー演じる
王妃の味方になって観てしまいます。…それは柊が女だからでしょうかね(笑)

薬を毒と知りながら飲み続ける王妃の姿がただただ印象深く。
だからこの結末には呆然とするばかり。
「ぎょえー、そんなあんまりな。」です。

観終えてみれば王妃の、国王に対する壮絶な憎しみが自分にも乗り移って
きたかのようで、「チョウ・ユンファめー。」という気持ちだけがしっかと残っておりました。

チャン・イーモウ監督の色彩感覚、好きなのですがこの映画に関しては
あまりにきんぴか凄すぎて、庶民には馴染めない感覚でした。

チューリップライン

スパイダーウィック(家)の謎

妖精界も、可愛い、綺麗な妖精ばかりじゃないんだ~というのを堪能してきました(笑)

  *「スパイダーウィック(家)の謎」公式HPは→こちら

うーん、いくら「読むな」と警告してあったって、そりゃ好奇心に負けて読んじゃうでしょうね。
後悔先に立たず。

悪い妖精たちとの本を巡る攻防戦はかなりハラハラどきどきさせられます。
主人公ジャレット君の、本を守らなくちゃいけない、でも兄弟や母親にはなかなか
信じてもらえない…で、苛立つ気持ちが伝染して、見ているこっちまでヒヤヒヤしてしまう…。

双子の兄弟、ジャレットとサイモン、一人二役を演じ分けたフレディ・ハイモア君の
演技が絶妙だったなあ…。
どっちも可愛いはあと

子供たちと一緒に鑑賞しました。
柊は原作未読で観に行きましたが、子供達は原作のファンらしいです。
本を読んでるとやっぱり詳しくて「○○も××も出てこなかったよ~」なんて言ってました。
でも、すごく楽しんで観れたようで良かった良かった。笑

チューリップライン

ナルニア国物語 第二章カスピアン王子のつのぶえ

映画館をあとにしたときって、しばしの間現実の世界に立ち戻れなくて
ぼーっとしてしまうものだけど…。
こんなにも去りがたく、切ないような思いに駆られてしまうのは
やっぱりナルニアだからなのかな?

  *「ナルニア国物語 第二章カスピアン王子のつのぶえ」公式HPは→こちら

「第一章ライオンと魔女」とは随分雰囲気ががらりと変わり、大人びた雰囲気に。
ペベンシー4兄弟がすごく成長していたからかな。
特にピーター、エドマンドたち男の子。
エドマンドなんて声変わりまでしちゃってまあまあまあ!という感じ(笑)

世の中カスピアン王子に扮するベン・バーンズの話題で盛り上がってますが、
映画では一の王ピーターことウィリアム・モーズリーくんがすごく頑張っている
印象を受けました。
柊は四兄弟の中ではエドマンドが一番のご贔屓だったりするのですが、
今作品では台詞が少ないながら(泣)兄のピーターを要所要所で支える凛々しさを
見せてくれて嬉しかったですはあと

原作では台詞の上でしか登場しなかったと思う白い魔女も短いシーンながら登場し、
なかなか強い印象を残してくれます。

戦や剣を交えるシーンがかなり増えたことで映画の見所も多くなったかも。
ただ、ピーターやエドマンド、そしてスーザンが敵に対してとはいえ剣を交え、
弓を射掛けるシーンにはうーむと思ってしまったりもして。
そんなところも、子供向けというよりは大分一般向けになったと思う理由かなー。

初日の今日は仕事を早引けし(笑)矢も立ても溜まらず一人で観に行っちゃいましたが、
今度は子供たちを連れて、二度目を観に行きたいと企んでいます。

チューリップライン


チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

「たったひとりで世界を変えた本当にウソみたいな話」
「お気楽議員がハートと奇跡で世界を変える」

実話を元に映画化・・・なのですが予告編の印象でもっとコメディのような展開を想像してました。

 *「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」公式HPは→こちら

だけど、政治や世界の動きに疎い柊ですが、どんなに一面では「いいこと」のように思えても
「戦争」とか「政治」に綺麗事は存在しないかも…と映画を観ながら思いました。

アフガン侵攻、虐殺、宗教、お金や武器の調達などなどいろいろ絡んでくると
字幕を追うだけでしっちゃかめっちゃかになりそうなんですが。
侵攻を止めた、ということはすごいことだと思うんですが何か割り切れない気持ちが残るのです。
上手くいえないんだけど。

武器の調達にお金は動いても、学校の建設の為には動かない…とか。
何処か矛盾やわだかまりを感じてしまうのです。

トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、フィリップ・シーモア・ホフマン…といった顔ぶれ。
観ていて楽しかったのはジュリア・ロバーツのお化粧っぷり(ゴージャスさ)と
フィリップ・シーモア演じる一癖二癖もありそうなCIA局員でした。

チューリップライン

ナルニア国物語第二章 カスピアン王子の角笛(二回目)

夢物語の世界から現実の世界…自分が生きなければならない世界へ
戻ってくるのは寂しい。
わかってはいても、それを「つらい」と感じるときすらある。

先日「ナルニア国物語第二章カスピアン王子のつのぶえ」を観に行ったあと、
そのラストシーンを観た後は尚更立ち去り難い気持ちにさせられたため、
再びナルニアを訪れるべく、(柊の場合、ナルニアへ行く為には本のページを開けばよい!)
第三章『朝びらき丸、東の海へ』そして第四章『銀のいす』を続けて読みました。

『朝びらき丸、東の海へ』は『カスピアン王子のつのぶえ』から(ナルニア暦で)三年しか
経過しておらず、物語はカスピアン王が東の海へ冒険旅行に出かける場面から始まります。
人間世界からはエドマンド、ルーシイ、そして彼らのいとこ、ユースチスがその旅に加わります。

続く『銀のいす』ではカスピアン王在位70年頃にあたり、(時間の経過は哀しいほど無情)
妻に先立たれ、一人息子である王子は何者かに誘拐され、彼は失意の中にいます。
王子を取り戻すため、人間界からユースチスと級友ジルが人間界から呼ばれるというお話。

どちらも面白く読みましたが
(特に『朝びらき丸…』は一風変わった島々が多数登場する冒険譚となっているので楽しい!)
やはりペベンシー兄妹が次第次第に登場しなくなっていくのが悲しい…。
その代りに新しい登場人物やキャラクターが活躍するのだとしても、さ。

うううっ…と湿っぽくなった気分を盛り返すべく、
本日は子供たちを連れて再び映画「ナルニア国物語第二章カスピアン王子のつのぶえ」を
観に出かけました。

二度目であってもやっぱり楽しかった♪
原作と異なりかなり戦色が強いことや、結末に到るまでの過程で書き換えられている部分が
気にならないといえば嘘になるけれど、映画として割り切って観るにはすごく充実した内容だと思うし。

今回は子供たちと一緒に鑑賞したのですが、鑑賞後の子供たちの様子がすごく印象深かったです。
何が…って柊はいつまでも映画の余韻に浸りたがり、感傷的な気持ちを引きずるのに対し
子供たちは「楽しかったね~!」といってちゃんと現実世界に戻ってきてる、割り切れてるところが。
上手く言えないのですが、「子供ってすごいなー」というか、強いなーと感じました。

それはまだ子供たちがいつでも物語の世界に戻っていけるという余裕を持っているからか、
夢と現実の世界を自由に行き来できる柔軟さを持っているということなのか、
四兄妹の誰より、ルーシイに共感出来るからなのか、とにかく羨ましい感覚だと思いました。

『カスピアン王子のつのぶえ』のラストにて、ピーターとスーザンは再びナルニアを訪れることはないと
アスランから告げられ、それを受け入れる場面があります。
映画途中にてスーザンが「せっかく英国での生活になれてきたところだったのに」という台詞が
ありましたがそれがひどく印象深く残ってます。

大人になるってことは…想像の国を訪れることが出来なくなる、ということじゃなくて。
訪れた後に現実の世界にきちんと戻ってくること、自分の世界を生きることが
しんどくなるから、だからそこへ行こうとしなくなるんじゃないかってそんな風に感じてしまった。

うーん、上手く言えないのですが。
こんな言い方で伝わってるか心配ですが。

アスランはいいます。「時は来た」と。
ナルニア国物語はどれもナルニアを訪れ、そして去る場面で終わります。
(あ、『馬と少年』は例外かも)
それは、夢物語の世界で生きることの出来る年齢は限られている。
限られているからこそ、そのときを存分に楽しみ、そして
そこを去るときにはそこで得たことを糧に、現実の自分が生きる世界をしっかり生きよ。
…と言われているように思います。

わかってる。わかってるつもりだけど。
抜け出せないのは間違いだって知ってるけど。

でも、それが辛くて、寂しくて、「帰りたくない」と願ってしまう気持ちが一層強く募ってしまって
自分でもどうにもならないときがあるんだよおおお…と叫びたくなってしまった柊でした。

チューリップライン

ラスベガスをぶっつぶせ

「自分にカードをカウントする才能があったらなあ…」とか。
「絶対負けないゲームだとわかってたら勝負する!」とか。
誰でも考えてしまいそう…。

だけど柊の場合、賭け事=悪いことという刷り込みがなされているので
きっとここ一番!てときに度胸を発揮することは難しそうだな。冷や汗

 *「ラスベガスをぶっつぶせ」公式HPは→こちら

観終わったときにとても小気味よい印象を残してくれる映画でした。
お金に猛進すると、友人や家族、自分を信頼してくれる大切な人も未来も
何もかもを失っちゃうよ!という教訓めいた部分ももちろんありますが
それ以上に“青春映画”の要素が色濃い感じ。
失敗も挫折も、向こう見ずな若者だから出来ること、というどこか
羨ましさを感じさせてくれる部分がありました。

カードの数字を数えて賭け事に勝つ!というシチュエーションは
映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じていた役柄を思い出す…
と思ったら映画の中でも言及されてました(笑)
ただ、「レインマン」はフィクションであったけれど、こちらの「ラスベガス…」は
実話を元にしているところがすごい。
数学とか、頭のいい人は賭け事でも、或いは学問を追及してでも
稼いでいけるのだなあ…と妙なところで納得してしまいました☆

実話…と思うとカードの数字を一瞬でカウントしていく才能に長けた人が
一人も二人も三人もいることに驚いたのと、ケヴィン・スペイシーが演じたような
こんなお金に執着した、血も涙もないような教授が本当に実在したのかなと
・・・そっちもまた恐ろしい気がした柊です。

チューリップライン


ザ・マジックアワー

映画のタイトル、…夕暮れ時の、陽が落ちて夜の闇に完全に覆われるまでの
短いながら幻想的な時間のことをさす映画用語なのだそうですが。
この映画を観ていたら、役者さんの演技や虚構の(芝居のセット等の)世界が
本物に見える瞬間の、魔法をかけられた様な時間のことをさしている、そんな気持ちになりました。

映画なんてどんなに本物らしさを追求しても所詮作り事の世界じゃないか、と
そんなふうにいう人が偶にいるけれど、そういう人にはきっと作り物が作り物にしか
見えてないんだなあ…と寂しい気持ちになります。
「観終えたら何にも残らないじゃないか」と言われて「そうかな、何にも残らないかな?」と思う。
作られた世界かもしれないけど、ときに本物以上に本質を突いてくる時があるんだ!と言いたい。
何にも残らないなんて嘘だー。
2時間弱の短い時間であっても、映画に魅せられてどきどきした時間は
自分のなかで、確かに「本物の」世界として存在したんだから。

柊は映画が好きです。何度も、何度も、いろんな魔法のような時間に出会いたい。

 *「ザ・マジックアワー」公式HPは→こちら

・・・で、「ザ・マジックアワー」のお話。

三谷幸喜さんの映画はこれまで全部観てきましたが、今回の
「ザ・マジックアワー」が一番好きです。面白かった55

一番はやっぱり佐藤浩市さん。
登場してからどんどんどんどん、その演じる演技に、仕種の一つ一つに
笑いが込みあげてきてたまらない(笑)
だってねー…役の上とはいえ、中井貴一さんのスタントを佐藤浩市さんが
演じるなんて!
唐沢寿明さん演じる主演男優に演技の駄目だしをされるなんて!
現実では絶対ありえなさそうな場面の数々…ううっすごい、なんて贅沢な。
予告でも流れているナイフを舐めるシーンにはもう笑いが込みあげてきて
止まりません…!
だけど一番はやっぱりあのシーンかな。
役者さんはフィルムに撮られて、スクリーンに映し出されたらそこでずっとずっと
その役を生きられる。観ている人々の心の中にその姿が生き続ける。
映画に対する思いのありったけを見せられた様な気がしてじんときました。

他には…こんなところにこんな役者さんが!とホントに出演者さん豪華です。
亡くなられた市川崑監督…。
モノクロ映画に観る鈴木京香さんって独特の雰囲気があってますます綺麗に見える…。
伊吹さんの「撤収~!」に笑い。
深津絵里さんが悪女に見える…(驚)
悪役の西田敏行さんが必死にコメディにならないようにしているのが逆に可笑しいし、
香川照之さんの不気味さは妙な味があるし、警察署長にあの人が!?等など
ほんっとに盛りだくさんな印象でした。

三谷さんの映画は映画を観るというより芝居を観ている雰囲気に近いのだけど
それが今回はすごく良かったなあと思います。
とっても楽しい時間を過ごせましたはあと

チューリップライン

JUNO

妊娠がわかってからの約8ヶ月間…うーん…いろいろ思うところあるよなあ。
子供が欲しくてそれで妊娠できたとしても、その期間はやたらナーバスで
日増しに大きくなるお腹と同じくらい「自分が母親になれるだろうか」と不安が倍増して
えらくしんどかった記憶が甦ってきちゃいました。
子供が欲しくても恵まれない人からすれば、それは贅沢な悩みに違いない…なんて
思ったら更にプレッシャー感じたりして…。
妊娠したから、出産したからって“親”にすぐになれるわけじゃない。
とにかく時間が必要。子供と一緒に過ごす時間が、少しずつ気持ちを変えていく…はず。

*「JUNO」公式HPは→こちら

ジュノの場合はもっと深刻?望んでいない、10代での妊娠だったのだから。
だけど彼女は根がタフなのか、強がりなのか、ぎょっとするような発言しつつも
養子先を探したり学校にも休まず通い続け、とにかく行動する。
そして友達や家族に正直に問題を打ちあけて、ありのままの自分を受け止めてもらえた。
それが救いだなあ…。
ジュノの場合は紆余曲折を経てもボーイフレンドと良好な関係を築けたけれど
多分こういう問題においては女の子の方がきっときっと損をする。
責任は平等でも、身体的にも精神的にも負担を強いられるのはきっと女の子の方。
そう思うとハッピーエンド、とはとても思えなくて。

ドハティの「ディア・ノーバディ」という小説を思い出しました。
やっぱり十代の妊娠というテーマを扱っているのだけど。
妊娠したことへの不安な気持ちを、お腹の子供に宛てて手紙に綴った小説で
痛々しいほど気持ちが溢れていました。
いつか子供たちがこんな問題に直面するような年頃になったら読ませようかと思い…。
柊が持っているのは新潮文庫のものですが、書店では絶版になってました。
最近、下記のような装丁・タイトルになって復刊していているのを知りました。

 

うーん、こういう問題って女の子にはもちろんだけど、それ以上に男の子の方に
ちゃんと教育して欲しいって思うのは無理難題なのかなあ…。
復刊版の装丁では男の子には手に取りにくそうだよね…。
出来れば男の子にも、女の子にも、少し真剣に読んでみて欲しい内容なのに。

そう思うとこの「JUNO」という映画も、やっぱり女の子にも男の子にも観て貰いたい。
子供を育てるってどういうことなのか。
抜き差しならなくなる前に、考えてみて欲しいなあと思いました。

 チューリップライン


インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国

「インディー・ジョーンズ最後の聖戦」を映画館に観に行ったのは…何年前?
まだ柊が子供の頃で、保護者同伴で観に行ったのを思い出します(笑)
インディ・ジョーンズって、予告などで流れるテーマ曲を聴いているだけで
「冒険に行くぞ!」って気がしてわくわくしてしまうんですよね。onpu

 *「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」公式HPは→こちら

シリーズを1から3まで観てきた人には「あ!」と気づく懐かしいシーンの再現があったり。
冒頭から次々とアクションシーンが続くので息つく暇もなく…
通常の人間だったら2~3回は死んじゃってておかしくない展開なのに
ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズのバイタリティはすごいっ!!
とても年齢を重ねているとは思えない。
絶対今の柊より体力あると思う(笑)

コメディ…まではいかなくてもジョーンズ教授のユーモアセンスも健在で
随所で笑っちゃいました。

内容に触れてしまうので詳しく感想は書けないけれど、
「こういう展開になるとはー。でもルーカス&スピルバーグらしいかも」
という印象を受けました。

もう一度シリーズ1作目から3作目まで観返したくなりました…♪

チューリップライン


奇跡のシンフォニー

観ていて(聴いていて)五感に訴えられるような、ゾクゾクするような感覚を
久しぶりに味わわせてもらいました。

 *「奇跡のシンフォニー」公式HPは→こちら

音楽が主要テーマとなっているだけあって、とにかく音楽が秀逸!
クラッシックからロックまで。ううん、風が吹きぬけていく自然界の音から
街中の人工的な音などなど、様々な音から構成される音楽が実は身近に
溢れているんだ~ってことがリアルに感じられてすごかった!

それを体現して見せてくれるのは主人公エヴァンを演じたフレディ・ハイモア君。
ギターやピアノ、様々な楽器を心から楽しんでる!って表情が素敵で。
まだ会えぬ両親を思って時折寂しさを滲ませる表情にもうるうるさせられて。
こんな純粋さをいつまでも失わずいて欲しい…なんてつい願ってしまいます。

一方でロビン・ウィリアムスが醸しだす凄みは怖いくらい。
彼の存在は、おとぎ話のような物語の中で唯一「現実」を感じさせる役どころ。
「音楽で両親を探し出す、奏でていれば両親に会える。」そんな希望をもしかしたら
彼も過去に抱えていたんじゃないか。でも、彼の場合その希望は叶わなくて
絶望にすりかわってしまったんじゃないか…。
ロビン・ウィリアムスが演じた役柄は、もしかしたら未来のエヴァンだったかもしれなくて
そんな表裏一体を感じさせてくれる存在でした。
どちらかというと温和なイメージが強いロビン・ウィリアムスだけど、
どんどんどんどんアクの強い役柄も似合ってきているみたい…。

音楽がいい映画、印象強い映画って柊にはツボです。
サウンドトラックも聞いてみたいなあ。
映画ももう一回観たいかも…なんて誘惑されてます。

チューリップライン

西の魔女が死んだ

祖父母と孫の関係って、親子関係とはやっぱり何処かが違ってる。
何処だろう…何故だろう。
親はもちろん子供のことを考えてるし、愛していると思うのに、
同じことを伝えようと思っても、祖父母から伝えられるものほど素直には
受け取ってもらえないような気がして。
ありがたいことだけど、なんか嫉妬しちゃうときあるんだよなあ…。

 *「西の魔女が死んだ」公式HPは→こちら

  


原作をよんだときも、「自分で決める」ってことがどれだけ大切か、難しいことかを
教わった筈なのに映画を観るまですっかり忘れちゃってました。
だから、おばあちゃんがまいに教えてくれること一つ一つに
「あ、そうだったそうだった!」って一緒に真剣になって教わってる気分でした。
(薔薇の苗の近くににんにくを植えちゃおうか…などなど)

こんなおばあちゃんになれたらいいなあ、って思いました。
畑仕事して、ニワトリを飼って…という生活は無理かもしれないけど
孫に教えたり伝えたりするなにかをちゃんと持っている人になりたいという意味で。

タイトルが示すとおり、ラストがどうなるのかはわかっていたのに
それでも泣けてきてしまった…。

チューリップライン






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