ひいちゃんにっき(発達障害とともに・・・)

生きづらさを軽減するために

障害を個性とする為に


障害によって症状や程度が違いますので、ごく一般的な考えとして読んでください。
「ひいちゃんにっき」を読んでくださったある方から、こんな書き込みをして頂いたことがあります。

『ADHDを障害と言いますが、普通となんら変わらないように見えます。普段の生活の中で、良く見られる行動のように感じます。』

そうですね。
注意力が散漫な子もいれば、集中力が長続きしない子や、やたら動き回る子なんて珍しくありません。
でも・・・
でも、なんです。
ここが”落とし穴”と言えるんじゃないでしょうか。

障害のないお子さんに、
『集中してこれをやりなさい』って言えば、できるかもしれません。
『しばらくじっと座っていなさい』って言えば、座っていられるかもしれません。
でも、ADHDは”脳の機能障害”です。
集中できなくても、じっとしていられなくても、それは本人の頑張りがないからではありません。それを障害のない子と同じように、”叱る”ことや”注意する”ことだけによって解決しようとしても、無理が生じ、かえって良くない方向にいくこともあるんです。

スーパーで姿が見えなくなった時、普通なら『なぁに、親が見えなくて心配になれば戻ってくるさ』なんて考えはADHDのお子さんには通用しないこともあります。
なぜなら注意の対象が次々と移り変わり、そちらの方へどんどん行っちゃいますから。
まさに光がそうでした。
だからどうしても人ごみの中に行かなければならない時は、危険を避けるために、腰にロープを付け、親がその端っこを握っていました。

発達障害の子は、コミュニケーションの取り方が奇異だったりします。
例えば、話は流暢にできるのに、目上の人に対して友達と話すようにしゃべったり、思ったことをずけずけ言ったり、自分の興味があることしか言わなかったり・・・
これじゃ友達はできませんよね。
でも本人たちには全然悪気がありません。

こんなこともあります。
親に『そんなことをする子はうちの子じゃありません!』って言われたら、普通は『あぁ僕は今叱られてるんだな』って思いますよね。
でも、ある自閉スペクトラム症のお子さんは、心配になって戸籍を調べに行ったそうだし、『最近どう?』って人に聞かれて、『どうってどういうことですか?健康のことですか?それとも勉強のことですか?』って、真顔で聞いたり。

障害は、良く”個性”だと言われます。
僕もそう思います。(※最後にそれを決めるのは本人だと、僕は思っていますが)
光のことを、”発達障害のある光”という、一人の人間として見ています。

しかし、普通(あえてこういう表現をします)と変わらないように見えるから、あるいは普段の生活の中で良くある行動だからという理由で、障害のない子どもたちとまったく同じ対処をしていくべきではないと、僕は思います。
これまで学校や親、社会は、それをしてきました。
結果、うつ病になったり不登校になったり、リストカッターになる子どもを大勢作ってきたんです。

  なぜ集中できないのか・・・
  なぜ動き回るのか・・・
  なぜケンカが絶えないのか・・・
  なぜ勉強ができないのか・・・
  なぜきれいにノートを取れないのか・・・
  なぜこだわりが強いのか・・・
  なぜ聴覚や視覚、触覚等に敏感なのか・・・

そこには本人の努力なんてものとは別の原因があります。
もしかしたら、そこに発達障害があるのかもしれない・・・
そういう認識を持たなければ、とても危険なんじゃないだろうかと、僕は感じています。


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