2019/09/13(金)16:33
やーちゃんばーちゃんの石ころ人生 ~その2~
『やーちゃんばーちゃんの石ころ人生』 ~その2~
著 河上 八千代
※ 前回からの続き
第一章
幼い頃の思い出はとぎれとぎれで淡いものですが、鮮明に覚えているものもあります。私は昭和14年の生まれですから、物心ついた頃には戦争が始まっていました。土間のある上がり框の板の間で、私は一生懸命踊ったことを覚えています。今の時代なら、アイドルちゃん達の歌とダンスを幼い子が夢中で踊る、あのようなものでしょうか。当時は何しろ軍歌が主流で、幼い私が歌って踊っていたのは軍歌でした。訳もわからずこんなふうに歌っていたのを覚えています。
♪おんしのたまこ いたらいて―
あすはしぬると きめたよは―
こうやのかぜもなまづさく―
ぐっと―にらんだてきのじん―(ここで前方を指さしてぐっと睨む動作)
ほしはまたたくふたつみつ―
大人になって知った本当の歌詞はこうでした。
「空の勇者」
♪恩賜の煙草いただいて
明日は死ぬぞと決めた夜は
荒野の風も生臭く
ぐっと睨んだ敵ぞらに
星が瞬く二つ三つ♪
この歌は、命をかけて敵陣に突っ込んで行く特攻隊の歌で、恩賜の煙草と言うのは、その命令を受けた人に、天皇陛下から与えられる励ましと言うか、別れの煙草のことだそうです。とても悲壮な歌だったのでした。そんなことも知らず、私は無邪気に歌って踊っていました。今考えると恐ろしいことですねえ、あんな幼い子が軍歌を夢中で歌って踊っているなんて……。
もう一つ、戦争の気配を感じる嫌な思い出があります。当時住んでいた家は、浜田の練兵場から1.2キロ離れた長沢と言う所にありましたが、兵隊さんが何人もで一団となって走らされて、家の前を通って行くんですよね。先頭あたりの兵隊さんは走るのが得意なようでしたが、びりっこの方を走ってくる兵隊さんは、息も絶え絶えで可哀そうでした。それなのに、上官らしき人は棒を持って、一番ビリを走っている兵隊さんのお尻をビシビシ叩くんです。それが可哀そうで可哀そうで、幼かった私の心は張り裂けそうでした。嫌な光景でした。
※ 続く
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「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん
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