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YouTube問題で取りざたされる著作権には、実はこれを回避する極めて強力な方法がある。これが発動すると、著作権は何の意味もなさなくなる。しかし、その話をいきなりするとさっぱり分からないだろうし、YouTube問題を理解するためにも、何点かの論点の整理から始めてみよう。 YouTube問題の様々な議論を見てきて、どうしても不可解に思える点がある。 まず、そこを整理してみよう。 ■著作権は実はあんまり問題ではない まず第一に、著作権問題が起こっているが、実は著作権はあんまり問題ではない。 なぜなら、YouTubeはもともと著作権を侵害している動画をアップする事を禁じているし、この規約を破ったユーザを登録破棄にするとまで言っている。つまりYouTube国においては著作権侵害ユーザは死刑であり、これほどまでに強い意志を持って、著作権侵害行為を禁じているのであり罰則を実行している限り、YouTubeは被害者であり、被害を与えているのはそういった動画をアップしているユーザなのである。 YouTubeは、その設立の動機としてパーティーなどで撮影した動画を共有する手段がないことに気づき、サービスを立ち上げたと説明している。確かに動画をたとえばWMVにエンコードして、それをメールで送るというのはかなり困難なことである。ここにこそ、YouTubeの存在価値が、まずある。 なので、まずもってYouTubeを不当に追いつめているのは、著作権侵害動画をアップするユーザである。続いて、それを紹介する者、そして、それを見る者である(さらに言えば、それをブログで擁護する者であろうか)。 評論で「なぜ、著名ベンチャーキャピタルは投資したのか」と書いてあって、びっくりする。 あー、いや、YouTubeは死刑といってるんですよ。 だからYouTubeの仕事は、どうやって刑を執行するかだけなんです。 この構図が見えないと言うのはなかなか信じがたい。 winny裁判では、作成者が著作権を崩壊させようとした意図を中心に巡っている。 winnyが違法なのではなく、winnyを作った意図の違法性を巡って争われている。 よって、YouTubeが屍になることはない。 YouTubeには著作権法を侵害する意図はない。 著作権法改正なんて考えていない。むしろ遵守しようとしている。だからNBCが和解しているのである。 YouTubeは黙々と著作権侵害行為を撲滅する方法を考え、実行すればいいのである。 進捗が上手く行けば行くほど、YouTubeは生き残る可能性が高くなる。 こうやってみると、YouTubeは死活問題として侵害行為の撲滅をはからなければならないという理屈になる。 ■現状のYouTubeはプロモーションでは決してない 第二に、YouTubeをプロモーション手段だと見ればいいという意見。 この論理は、かなりねじくれ曲がっていて、なにが言いたいのか把握しづらい。 たとえばゲド戦記を例に挙げてみよう。あー、いや(笑)、ちょっとこれの判断は早すぎるので、ダビンチ・コードにしよう。ダビンチ・コードは公開前、カンヌでの酷評もあってさんざんに駄作と評判された。中には宗教的な思惑もあって、非難が相次いだ。しかし、わたしはダビンチ・コードを見たけれど、エンターテイメントとしては非常におもしろかった。 しかし、どうだろう。 敵意のあるユーザによってさんざん編集され、公開され、それが広まり、あたかも駄作であるようなイメージが公開前に形成されてしまったら? これはちょっと怖い。膨大な制作費をかけた作品が、こういった悪意によって破壊されるおそれがあるのである。 悪意がなくてもいい。善意でも同じ事が起こり得る。 過去の作品を掘り出すなんて事はいいことかもしれない。 しかし、基本的に著作物であるのだから、こういった著作権侵害行為を著作者が管理できないということは、デジタルコンテンツ業界に何年かいた身としては、常識上、あり得ない。 どんな凄腕のプロが仕事をしていて、その人材のいる会社が権利者の一つであったとして、それでも著作者確認は入るし、どんないい仕事でも修正は入る。 そんな業界が、見ず知らずのしかもプロでない人材の編集を許容するだろうか。 映像流通においてもっとも大変な調整作業をするのは、実はプロモーション会社だ。 電通マンがどれほど大変な思いをしているだろうか。 プロモーションというのは、めちゃくちゃ難しい。 確かに、映像が流れれば認知にはなる。 でも、それはプロモーションではない。 構造上、なにがおかしいかというと、オリジナルを入手する手段が提供されていないにも関わらず、また著作権者からのオフィシャル情報が存在していないにも関わらず、不法な侵害がまずネタとして不公正に提供されてしまうことだ。 これをプロモーションと言いだすことのねじくれぐあいが分かるだろうか。 アマゾンの書評との相違を考えてみてほしい。 オリジナルより先に、改変物が届くのである。 また、ネタもとを開示しないケースもある。 これは、認知ですらない。 ■利益は湯水のように湧いてくる 第三に、利益を得る方法であるが、これはYouTubeの創業者が、動画CMを挿入すれば10億ドルぐらいの利益になると断言している。問題はどこかというと、ではどうやってユーザがじゃまと感じないように挿入すればいいのだろうか、という観点だけである。 これが指摘できないのは、ちょっと理解に苦しむ。 わたしは元本業だったので指摘すると、CMしかない映像でも、ユーザは自分の興味がある作品であれば見る。なので必要なのは、その映像を見た人が興味があるであろうCMをマッチさせる、コンテンツマッチの技術開発だけではないか。 たとえば、ダビンチ・コードの映像を見て、最後にダビンチ・コードの購入できるページが紹介されるのであれば、誰も怒らないだろう。なんたって自分に興味のある映像がそこに表示されるのだから。 必要なのはどうマッチさせるか、あとどうマッチするCMを出してもらえるかだけになる。 これは技術的な問題と営業的な問題であって、法的な問題ではない。 アマゾンのようなアフィリエイトモデルはどうであろう。 わたしは以前、Web上でたとえばSONY商品の写真を使おうとすると著作権違反になるが、アマゾンのアフィリエイトであれば違反にならない事実に、びっくりしたことがある。 技術的、交渉的にはちょっと困難さがあるが、YouTubeが動画販売サイトであり、そこから買った動画であれば、多少編集して、二次創作物としてアップできる(もちろん著作権者が自由に削除できる)という仕組みであれば、おそらく問題視する声は厳しくないと思われる。 もちろん、俳優などによる権利侵害の声は出てくるだろうが。 ■無敵を誇る資本主義の原則 問題の解決を図ってみよう。 エッセンスはおおよそ出ているので、分かる人は分かるのではないか。 日本法には、特許法をはじめとする知的財産法をことごとくなぎ倒してしまう原則がある。民法の三原則である契約自由の原則、というものがそれに該当する。 簡単に咀嚼して言うと、どのような契約を結ぶかは本人同士の自由という意味で、おそらく(というまでもなく)資本主義国はこの原則が存在しているはずである。 たとえば、権利者がYouTubeと、 「わたしは、YouTubeに対して、一切の著作権侵害の訴えを起こしません」 という契約を結べば、これは有効になる。 この契約を破れば契約不履行で訴えることができる。 もちろん、権利者がこんな一方的な契約を結ぶはずがないので、どのように交渉するかは、YouTubeの担当者の腕である。ただ、契約自由の原則が出てくると、たちまち著作権は全く問題でなくなる。交渉の問題だ。 この土俵にくると、どのような交渉が可能だろうか、という生産的な地点に来ることができる。 たとえば、第三の論点で話した、アマゾンモデルはどうであろうか。 まず権利者に対して、権利問題にならない映像を出せるだけ出してもらう。これは50本とかいう生やさしいレベルではだめだ。iTunesを作るつもりになってみるといい。日本にはキー局はNHKも含めて6局しかないから、100万本で始めるなら、最低ノルマは1局18万本。iTunesの「ナップスターで脅し作戦」は有効であることは分かったので、YouTubeは著作権侵害を徹底的に撲滅して、 「うちは撲滅しましたが、他が侵害するのをうちは止められない」 と訴えるわけである。 CDの売り上げに影響を与えかねない音楽業界がOKしたのだから、放送したら他に使いようのないテレビ業界はどうか、という指摘はおもしろいのではないか。 まあ、18万本は厳しいかもしれないが、集めるだけ集めよう。 日本はどうも権利関係が複雑なようなので、まああきらめるとして(笑)、集められるだけ集める。 そして、そのとき契約の条項に、2次使用の許可の条項を盛り込む。 まあ、うなずかせるのはなかなか難しいかもしれないが、その動画へのCM配信権、二次使用動画の管理手段の提供、ロイヤリティの分配などのさまざまなメリット、全放映時間の5%の使用まで許可、他映像とのつなぎ合わせの可否などのさまざまな条件を提示する。そして、権利元がOKを出した範囲で、ユーザに動画を提供し、自由に編集・紹介できるようにするのである。 YouTube経由で提供された映像以外の権利物映像のアップは不可、というのがポイントだ。ユーザはあとは興味のある映像をYouTubeで探して、許可条件を確認して(買わないとだめとかいう横暴な権利元もあるかもしれない)、紹介に使用すればいい。てきせん編集をするのも、YouTubeが権利元と結んだ契約の範囲内で自由である。 わざわざビデオをエンコードしてアップするよりはかなり簡単である。 いちいち個別に交渉するのも面倒なので、テンプレートを作って、そのテンプレートをシステム化してしまえばよい。 なんかすごい簡単に思えてくるから不思議である。 著作権というのは不正な複製を極めて厳しく禁じる法律である。 ただ、見逃しがちなのは、著作権者がコピーOKといえば、OKであるということ。 知的財産法は権利者の保護と利用の促進のために作られている。不正な複製が禁じられているのは、権利者が損害を受けるからなのである。ようは、権利者さえOKといえば、すべてOK。不正に侵害する輩が多すぎるから、厳罰が用意されているだけであって、不正を起こす輩がいなければ、わざわざ厳罰を用意する必要はない。 問題は、どのような条件であれば、著作権者はOKしてくれるか。 もちろん、コピーが管理できないのは論外だ。 そして、自分に利益がない限り、著作権者はOKしない。 著作権者もコンテンツを死蔵したいわけではない。 ただ流通方法がなかっただけだ。 よい未来を。 (以前考えた方法はもっと原始的でしかもかなり強力で、特許になる方法だったのですが、こっちの方がスマートで現実的で、特許にならないので(笑)、こっちを提案してみました。実は不法アップロードをかなり壊滅的に撲滅できる方法が初期に考えた方法だったのですが、これはさすがに自分で考えろと(笑)。わたしの考えた方法以外の撲滅方法も幾らでもあると思うけどなぁ・・・) ■主に参考にしたエントリー ■Life is beautiful: YouTubeを使ったテレビ番組の「一部引用」の合法性に関する意見募集 http://satoshi.blogs.com/life/2006/07/youtube_2.html ■デジモノに埋もれる日々: YouTubeと著作権 - ルール改変を迫るための社会的影響力 http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2006/07/youtube_1.html ■過去に書いたやつ。 http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200607180000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 28, 2006 01:38:07 AM
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