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久方ぶりにWebデザインをやっていて、Adobeパッケージがないことにうろたえる。 PhotoShop、illustrator、Dreamweaver、FireWorksと言った、プロ御用達のソフトウェアなのだが、ばりばりやっていた頃はDreamweaverをテキストエディタの用に常に使用していていたから、その寂しさは言葉にしがたい。 Adobeスイートを全部揃えるとなると、数十万はする。 もちろん良いソフトウェアであるのだが、さすがに素人がWebやりたいと言うのに、このスイートを揃えよとは言い難い。 昨今は、オープンソースでいいのが出てきたから、なんとかなるのではないか。 仕事ではないので、気楽でいたのだが、そう考えたのが、仇だったのか、いいきっかけだったのか、自分の実力が丸裸になるような心持ちになった。 環境というのは急変してみると、実は大した実力が自分にはなかった、と気づくいい機会となるといういい例かもしれない。 あちこち調べてみると、オープンソースでも結構いいソフトが出てきている。 photoshopキラーのGIMP。 illustratorキラーのInkscape。 Dreamweaverキラーと呼べるソフトはなくて、Fireworksも代換品が見あたらない。 GIMPとInkscapeをインストールしてあれこれいじる。 GIMPは一切説明を読まずとも何の苦もなく、 「あー、はいはい。レベル補正は? あー、これか。トーンカーブは? あった、あった。マスクをかけるのはこれで、スタンプツールは、うーん、使いにくいなあ・・・。フィルターがこれだけあって、ショートカットの配置は、ん? あー、こうか」 と問題がない。 しかし、Inkscapeとなると、とたんに意味が分からなくなる。 もちろん、基本動作はことごとく分かるのだが、 「えっ?! ドロップシャドーはどこ?! なにこれ、XMLなんですけど・・・。エフェクトがさっぱり分からない・・・。テクスチャーは貼れないの?!」 とひどい有様だ。 このとき、初めて気付いたのだが、わたしはphotoshopは、かなり根元的なところでさくさく使いこなし、クリエイティブのためのノウハウを積み上げていたのだが、FireWorksは完全にソフトウェアにおんぶだっこだった、という事だ。 もちろん、FireWorks上でのテクニックはかなり積み上げているし、レイアウト、配色といったようなデザインの基礎知識は、当然どんなところでも有効である。しかし、illustratorならともかく、より原理主義になったInkscapeとなると、全くその高性能を使いこなせない事に気づき、愕然とした。 マニュアルを見ながら、すばらしいベクターアートの世界にめろめろする。 そして、それがわたしからは遙かに遠い、最先端な異次元であることに打ちのめされる。 もちろん、理解は出来るし、うわー、すげー、こ、こんな機能が・・・! と驚けるのだが、それが自分がこれまで培ったものとは全く違う事に愕然とする。 「わたしの技術は、デファクトスタンダードでない!?」 ある特殊なソフトウェア上でのみ、有効な技術だったのだ。 そして、他のソフトウェアの上では、全く通用しない技術だったのだ。 GIMPを全くインターフェイスが違うにも関わらず、手足のように操る自分がいて、Inkscapeに全く歯が立たない自分がいる。わたしはphotoshop、いや、フォトレタッチは相当やり込み、根元的理解が出来ているのだが、ベクター系は全く生かせない事に気づいた。 同じように使っていたのに、何でこんなに実力差がついてしまったのだろう。 前置きが長かったが、それを話したい。 photoshop使いと一言で言っても、実際にはさまざまなバリエーションがあるのではと思うほど、そのソフトウェアの利用の仕方は多彩だ。 これは、どの使い方を主武器にしているかの差で、わたしはフォトレタッチによる画像合成が武器だった。ピクセル単位での操作の精度があれば、原理的にはどのような画像でも合成可能であると考えている一派である。 たった1ピクセルの濁り(正確に言えば不透明度)まで厳密に操作し、スタンプツールで皺を消し、髪の毛を生やし、かなり詐欺的なお見合い写真を作る一派と言えば分かり易いのではないか(実際に扱ってたのは、コミックや、アニメなのだが)。 他には勢力が大きいだけでも、ペイント派(1からphotoshopで絵を描く人々)、フィルター派(スターウォーズのような特殊効果に優れた人。スキャンも駆使する)、彩色派(線画をスキャンして、色塗りだけやる人々、数百枚のレイヤーを駆使する人々)、分解派(写真の色味調整を得意とする人々)とかなり幅がある。 もちろん、このような派に明確に分類できるわけでなく、大抵はこの合成である。 わたしは、合成派+分解派であった。 多彩にあるphotoshopのフィルターには見向きもせず、500ページぐらいあるフィルター派の本を片手に半年ぐらいやれば、多少は通用するフィルター技術も手に入れられたはずだけど、やらなかった。 何でだろう。 わからない。 わたしがphotoshopを覚えたのは、同僚がデザイナーでその操作を隣でずっと見てたことに始まる。 その方はペイント派。 しかし非常に細かい、神経質な作業を持ち味にしていた。 その作業を見るうちに、800%ぐらいまで画像を拡大して、ちまちまと画像をいじることがphotoshopだと思いこみ、忙しいと画像の補正を手伝うようになり、プロの光の使い方をよく見るようになった。 写真が光の色の重なりであり、その色の操作に苦心するようになる。 画像は光であり、すべての波長が合うように調整すると、力強いパワーを発揮する事が分かるようになった。ディスプレイの発光は当然気になるようになるし、仕事場の光の入り具合も気になってくる。印刷した際のカラーマッチング、営業先の担当者のノートPCの液晶画面、終いにはマンガの原画の時代による褪色まで計算し始める。 写真の色味の調整は、それだけで職業になるのだが、周囲に専門職が多かったせいか、だらだらとフィルムスキャンしたりしながら、いろいろ聞いていた(そういえば)。 これは結果的に盗んだと言う事になるのだろう。 目の前に手を動かしている人がいれば、さすがに画面を見つめてしまう。 コンピュータといっても、デザインの現場は手と目の感覚のなせる世界だと思う。 わたしが分解派であったのは、ひとえに、周囲から盗んだ感覚によるところが、たぶん大きい。 わたしの周囲にillustratorの達人はいなかった。 しかし、なんで合成が上手くなったかと言われるとこれは、わかりにくい。 先に挙げた同僚が、スタンプツールの名手であったと言えばそれまでなのだが、それよりも、海津さんの本を熱心に読んでいた事が大きいように思う。 この本は合成の技術について、各レイヤーの数値設定まで細かく記載してくれている本で、読めば読むほど、合成は奥が深いと感心した。 一切の操作的な説明はなく、画像が変化していく課程と、どのようなパラメータ設定をしたかだけが記載されている。アルファーチャネルが、と容赦なくマニアックな説明が端的に書いてあるだけなのだが、さっぱり意味が分からない記載でも、うーん、なんでだ? と考えているうちに、わたしにはとても考えも及ばないような飛躍的な処理をしていることに気づいてカルチャーショックを受ける。 わたしはその文章の向こうに、photoshop上で動く手を想像する。 手は、デザイン技術の思想をそのまま表し、その人の感覚的な作業工程がわたしの脳味噌に流れ込んでくる。 思想のトレースは、高尚な説明よりも雄弁なのかも知れない。 わたしがGIMPをバリバリと使いこなせるのは、ただ単にわたしが、そういった多くの思想に触れていたからで、よそ向きでない現場の思想を空気として吸っていたからだと思う。そして、その先生たちは地道で「筋が良かった」。 わたしは苦労してデータベースを覚えたのも、谷尻さんという方の、アクセスVBAの本に出会ったことがたぶん大きい。 今は何の苦もなくSQLを書いて、めんどいことがあるとレンタルサーバで集計したりしているが、全く分からないところから、数十行もあるような、場合分けをされたSQL文を読めるようになるのは、結構難しい道だと思う。 DB設計書も書くし、仕様書とかを見るよりは、直にDB見た方が理解できる。 なんでデザインなのにデータベースが分かるようになったのかと言われると、谷尻さんのおかげという以外にない。 「筋がよい」先生に出会っているのである。 その先生の感覚でDBを読んで、その思想で技術を眺める。 筋がよい部分を見極めて、その思想に感化されると言うよりは、盗む。 結局それを続けてきた部分は実力として力が蓄積し、参考になる先生を見つけることの出来なかった部分は、全く実力が貯まらない。 わたしは、Inkscapeが持つ思想を全く理解していない。 そうか。 じゃあ、ちょっとやってみようかなあ・・・。 著作権法の条文を、条約と付き合わせて読みながら、 「んんん? 著作権のライセンス契約の主条約はどこ? ベルヌ条約は著作権者の概念がないし(著作者=著作権者となっている)、あー、うーん、万国著作権条約? ああ、これっぽいなあ・・・。隣接権はローマ条約だし、TRIPS協定にも規定があるけど・・・。しかし、これはベルヌ条約がかなり曲解されているなぁ。著作者人格権と著作権と著作者の権利の概念が混乱して法制化されてしまっている・・・」 と感じ始める。 ちなみに貸与権は、TRIPS協定に規定されているので、国際合意。 読めば読むほどおもしろいのだが、条約を読み始めると、その面白さが倍加する。 その先には世界各国の著作権法があって、米国では著作隣接権がないという話を聞いて、うーん、どういう法体系になっているのか・・・、と興味が出てくる。 知財法は(というか国際貿易関係は)、さすがに現代国際社会の血液なので、流動が激しくて、毎月のように合意が結ばれている。 だから昨日の常識は明日の非常識。 その流れる激流に身を任せ、国際的な発展に貢献しようでないかと、意気揚々とする。 ただ、それだけ変化が激しいと、「筋の悪い」輩はなるべく自分から遠ざける努力をしなければ、いらぬもたつきを生んでしまう。 今の先生たちは、とても筋がいいように感じる。 問題は、生涯、筋がいい師匠を見つけ続けることができるかどうか。 そして、師匠は多ければ多いほど収拾選択が出来る自由が増えるものだし、たとえ赤ん坊にだって学ぶことは出来る。 追記 これを書き上げた後、Expressionが、マイクロソフトからフリーで出ていて、あまりの凄さに、お茶、噴出してまう。 ぐ、ぐは・・・。 す、凄すぎる。 マイクロソフトのAdobe殺しは本気だなあと思いつつ、あまりに全く説明の要らない機能に、はいはいはい、はいはいはいとうなずいている自分がいる。 あー、うん。 何の問題もない。 スライスだけかなぁ。 チュートリアル見ながら、 「ヤバすぎる・・・」 をなんどつぶやいた事か。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 13, 2006 10:46:59 PM
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