hikaliの部屋

2007/03/10(土)00:55

コンピュータと仲良くしましょう。

  分家ブログの方で進めているゲームブック解析が軌道に乗り始める。  もう何ヶ月も壁にぶつかりっぱなしだったのが、わたしの技術的向上によって、拡大路線に入れる局面に入った。スムーズに進展し、毎日のように新しい成果が出る時期ほど楽しいものはない。これまで全く先が見えず、五里霧中であったのが、毎日のように画期的な拡張アイデアが浮かんでくる。  柔軟なグラフ構造解析アルゴリズムのお陰である。  書くのに数週間かかったたった300行のphpが劇的な進展をささえている。  ここ二週間、わたしはハッピーだ。  そのせいで、本家がおろそかになっていることは、一応、謝っておくけど。  今やっているのは、ゲームブックのグラフ構造解析で、単純に以前わたしが紙とボールペンを使ってゲームブックと樹形図を書いていたのと全く同じである。  しかし紙とボールペンには限界があって、ある仮説により表現方法を変更するといったような変更が入った場合、まっさらからもう一度図を自分で書かなければならないという、致命的な部分がある。  コンピュータを使用した解析では、データを格納するデータベース、解析するアルゴリズム、画面表現する描画エンジンに分業され、例えば表現方法を変更する際に、データベースのデータを変更する必要はない。  紙はそうではない。  多分これが紙とディスプレイの決定的な差である。  文学論でも、歴史でも、おそらくこのコンピュータ解析の洗礼をうけずに済むことは難しい。プログラムができない文学論者は次第に淘汰されていくと思う。  単純な話なのだが、同じ知識、同じ知性を有する2人の文学論者があった場合、プログラムができる/できないの差異があれば、5倍程度の生産性の格差ができると、わたしは思う。  これは単純に演算速度の問題で、人間がやるべきことと、コンピュータがやるべきことの切り分けの問題であって、人間性とか文学性とかそういう問題ではない。  以前、平家物語を研究している文学部生と話して、平家物語の中にある宗教的文言の数を調べたという話を聞いたことがあって、わたしは、当時絶句した。  OCRでデジタル化して、正規表現でしょ! 普通!  平家のプレーンテキストなんてありそうだし、ないならば文学者連中の(というか学会の)その常識を真っ向から疑わなければならない。  テキストさえあれば、わたしなら2日だよ、その研究。  紙に書くより、グラフ構造解析プログラムを書いたほうが早いのである。  宇宙論でひも理論をうだうだいじっているより、粒子加速器を建設して原子をぶつけたほうが早いのと全く同義である。  コンピュータが使えるとは、イコール、プログラムがかけるという意味。  これはわたしにプログラムを勉強しろ、ばーか、人生損するよ? と忠告してくれた先輩の受け売りではあるが。  アルゴリズムは発展する仮説により、毎日変更される。  つまり、自分で書けなければ、仮説→実証の世界では、なんの役にも立たないのである。  研究に厳密な意味でのルーチンワークは、存在しないでしょ?  コンピュータの英知が最も早くやってくるのは法学だと思う。  ビジュアルスタジオライクな、コードジェネレータ(ただし読むだけだけど)があれば、生産性は10倍ぐらいになることはうけあいだ。  これは特許法を勉強しながら、何度も真剣に考えた。  知財法は非常に難解だというが、わたしが把握している総文章量を考えても、プレーンテキストで10MBを超えることはない。  原稿用紙5000枚ぐらい。  ただし、人類の英知のつまった5000枚であるが。  ああ、そうか。  たぶん、ギボンのローマ帝国滅亡史ぐらいの文章量である。ただ、難しいのはそれが特許法なら6層、実用新案法は3層、意匠法が3層、商標法が5層、不正競争防止法が2層、著作権が4層と多層化してそれがグラフ構造的に密接にあちこちでリンクしているというのが複雑さの原因で(おっと、TRIPS協定と判例を忘れていたので、全+2層で)、これはテクノロジーで超えることが出来る壁だ。  法律は、Windowsのコードに比べれば、極端にシンプルで、構造化され、常にメンテナンスされ、洗練されている。  ただ、われわれにはビジュアルスタジオがないのである。  使いやすいGUIが登場すれば、こんな簡単な事をうんうんうなっていたのかと、みんな気付くようになる。  大切なので繰り返そう。  データベースと、解析エンジンと、描画エンジンの切り分けだ。  法文は、全部が一緒くたになっていて、操作が出来ないのですなあ、これが。  この観点から言うと、人類はまだコンピュータと仲良しではない。テキストマイニングとかの研究を見ていて、何をしているのだろうと思う。グラフ構造解析の研究を見ていてそれは意味があるのだろうか、と考える。  だから、わたしは助言する。  法律をやると、たぶん道が開ける。  ここが一番仲良しなはずなのである、本質的には。  ゲームブックの研究は、以前書いた、RGNのセミナーでの川邊氏のプレゼンに勇気付けらたことを書いておく。  ■六本木のゲームシナリオ研究会に参加してきました!  http://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200612140000/  わたしはこの当時、紙とボールペンで研究を進めいていたけれど、川邊氏の言葉を聴いてぱっと目の前の景色が開けた気がした。  わたしだけが興味を持っていたニッチだと思っていたものが、突然大洋につながっていたことに気付かせてくれたプレゼンであった。  まず、感謝の言葉を。  勇気を頂きました。  続いて、決意を。  絶対ものにして見せます。  わたしは覚えている。 「分岐の構造は、作家の文体である」  わたしはその言葉にこう付け加える。 「判断のポイントは、作家とユーザの接点である」  選択肢によって、作家とユーザはコミュニケートする。  わたしの定義によれば、 「ゲームとは判断を楽しむために作られたもの」  であり、ゲーム性とはユーザに判断の楽しみを与えることであるから、選択肢が実はゲームブックの本質なのである。どれだけそこで判断を楽しめるか。これが本質だとわたしは思っているのだ。  その集大成であるゲームブックの解析は、非常に有意義で、興味深く、発展性があり、そして、わたしを夢中にさせる。  知財法はよい。  だれかビジュアルスタジオライクを作って、わたしに1万円ぐらいで売りつけてくれればそれでよい。  物語は、誰も革新をする人がいなさそうなので、わたしがやる。  今日、はまろぐさんのエントリーが非常に面白くて、夢中になって読んだ。  ■続・ファンタジーの世界設定に考証の正しさは必要か?  http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/5223081.html  どれだけわたしの、  「書きたいぞ!! 書かせろ!! うわー、書きてー!!」  心に、ぴゅっぴゅと水鉄砲で攻撃を受けたか知れず、書きっぱなしで放置してある、ゲームブックを完成させたい気持ちに駆られる。  うっひっひ、すごいのいくぜ、ちょいとお待ちを。  1月ぐらいお待ち下せい。  一応、知財法の勉強もしているので、念のため。  PCT辺りなんて面白いので、ちょっと書いてみよう。  22.1 手続き  (a)  第11条(1)の規則に基づく決定が肯定的である場合には、国際出願を国際出願として取り扱うことが国の安全に冠する規定によって妨げられない限り、受理官庁は、国際事務局に記録原本を送付する。その送付は、国際出願の受理の後速やかに又は、国の安全を保持するための点検が行われなければならない場合には、必要な手続きを経た後できる限り速やかに行う。受理官庁は、いかなる場合にも、優先日から十三箇月を経過する時までに国際事務局に到達するように記録原本を送付する。受理官庁は、その送付を郵便で行う場合には、優先日から十三ヶ月を経過するときの五日前までに記録原本を発送する。  非常に重要なPCT規則の一部なのだが、こういう規則が500個ぐらいあって、ようやっと国際的な特許秩序が守られている。  まあ、先は長いよ(笑)と思いながら勉強する。

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