2016/02/06(土)02:26
『鉄鎖の次王の恋』41.
41.
「おれはそもそも、イオがボルニアの支配者であってもいいと思っていた」
問い詰めるようなレトの次王の目の前に、おそろしく刺激的な言葉を放り投げた。
義兄弟の本心に触れて、呆然とする。
背筋まで冷えたというよう。
「い、いま、なん、て?」
聞いたとおりだとつぶやき、なにか重要なことを考えるように虚空をにらむ。
「それは、為政者の慢心から一番離れているからだ。……わかるか?」
い、いやと弱々しく首を振る。
「たしかにおれたち3王は新しいボルニアを作るかもしれない。だがそれをチェックする『誰か』は必要だ。おれたちが間違ったら正す奴が必要だ。イオにはあらゆる権限がない。だが、わかっている通り、3王に等しく接触して、あらゆる物事を動かしている。その現状認識に異論はないな。おれたちが個々では知らないことも、イオはぜんぶ知っている」
レトの次王はしばらく考える。
「……たしかに」
「イオの出自は知っていると思う。老王に滅ぼされた部族の出身だ。現在の王政におそろしく恨みを持っている人間だ。おれとイオの馴れ初めを聞くか?」
「知ってますが、改めて聞きたいです」
次王は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「へりくだるなといっただろう。おれはおまえの意見を聞きたい。遠慮なく話せないようであれば、おまえを3王の一人と認めなくするが、それでもいいか?」
イオは自分に求婚した男をじっと見た。
気づかないうちに、レトの次王が気になり始めている。
「イオはなんで副官になったのですか?」
直球の質問に次王は頷き、それだとつぶやく。
「イオは、老王を暗殺しようとしていた。重罪である。おれは、老王の様子を探っていたが、常に前にいてじゃまをしていたのはこいつだった。イオはおれよりも老王の陰謀を熟知していたし、まっさきに殺したいと思っていた。それは、迷惑だった。それはわかるだろう? いまだれかの手で殺させるわけにはいかなかったんだ。しかし、イオはおれよりも優秀で、しつこかった」
しばらく長い間、レトの次王は考えていたが、言っていることの意味が分かり始めてはっとする。
「暗殺者として優秀だから、副官にしたのですか? 何かあれば自分を暗殺してくれるとでも!?」
「そうだ」
それで息をついて次王はいう。
「これは、リュディアでは既知だ。イオはそういうやつだと思われている。レトがどう取るかはおれが決められないが、これは一般的に広まるものだと思って対処してくれ」
自分のことのはずなのにそれが掴みようのない速度と権限で流れていく。
「おれは、イオにはもしおれが間違ったことしたら遠慮なくその背中を刺せと言っている。これもリュディアは知っている。おれは怖いのだ。いつおれも愚かな人間になるかわからない。おれは復讐に燃えるイオに出会った時、このちっぽけな赤毛のチビに、生きるに値する未来があるのだと、見せてやりたいと思った。それが老王の暴政を防げなかったおれたちのせめてもの贖罪だと思った。だから老王と同じだと思ったら殺せと命じた。おまえは老王のような暴政をする王に自分が成り下がる恐怖に耐えられるか?」
この王は、常に同じことしか言わない。
正直であろうとしているというよりも、根が素直なのだ。
しばらく呆然としているレトの次王に、鉄鎖の次王は言う。
「おまえを引き入れた時」
「え、あ、いつですか?」
「おまえが旅の話をしてくれるのを拒まなかった時だ。正直、ボルニアが南進政策をとれるのはおまえがもたらしてくれた話のおかげだ」
あ、あのときかと呟き、その視線が次王に向く。
「おれは、リュディアとヴァンダルではいつか破滅すると思っていた」
神妙にレトの次王は頷く。
「仲が良すぎるし、お互い考え方が似すぎている。だからおまえの接触は助け舟のように思えた。そもそも乗り気だったのはリュディアの次王だし、おれはそれに反対しないだけですんだ。感謝しているんだ。それが結果的にレト族だったが、そんなのはどうでもよかったんだ。おまえは簡潔で、下手に恩を売ったりしない。ドライで、外からやって来る旅人だ。商人だ。それがたぶんよかったんだ」
イオは手元に紙がない事に悔しさを感じた。
一言一句書き留めたい。
「リュディアもおまえを認めている」
「紙を……、」
イオは思わず言ってしまい、それからぽかんとする2人に冷や汗が滝のように流れる。
「あ、あ、あ、あ、す、すみません……、」
「ああ、そうか、イオ、そういえばアリエスと通じた交易に必要な紙がアイギスにはないんだったな」
違うけど、合ってる。
「レト族はリュディアの紙をこのアイギスまで運べるか? べつにエメラルドでもいいのだが、安定した交易品は紙だ。その隊商を組めるか? この包囲下だ。そんなことができるのはレト族しかいない」
色男は考える。
「アイギスに運ぶのでいいのか? 海運ならばシドの辺境の商人につてがある」
「それでいい」
これは独立気風の強い、シド北限商人の事を言っているのだが、この連中は北方の交易路の中枢であるアイギスに頻繁に船を送っている。クローナ河貿易圏の主流派からはずれた商人で、シド主流派ではない。
これは単純に荷を、北方大陸の北西端のシド領から、船を出してそこからアイギスに運ぶと言っている。レト族が大陸を陸路で縦断できるから言えることである。
(レト族はどれだけ交易に長けているのだろう?)
地図が頭に入っていないイオには、なにが起こっているのかさえわからなかった。
※
イオにとって分からなかったのは、それがセスクとどう関係するかということだった。
そう考えるうちに、セスクとパントの御前試合が盛り上がりを見せ、そもそもイオが企んだにも関わらず、歓声を上げる客席を地べたから見ると、おそろしい光景に見えてしまう。
格好の娯楽なのだ。
包囲されて自由がないアイギスで許される唯一の娯楽。
それがエスト対ボルニアであれば盛り上がる。
罵声がいくつも飛ぶ。
その空気の中、セスクは武者震いをした。
「もし、もし、もし、勝てなかったらどうしたらいいんでしょう?」
イオは笑った。
「キミが勝ったら奇跡だ。そんなことはだれも想定していない。キミはリュディア流を見せればいんだ。つまり磨き上げた剣技を見せればいんだ。手合わせする? それで落ち着けばいいのだけど」
「イオ姉は弱いから、練習にならないよ」
思わず笑ってしまう。
「それでいい。あたしより強いというのは参考にならない? あたしは鉄鎖の次王の副官をしているんだ。キミはもっと自信を持っていい」
セスクは、何回も素振りをする。見た感じ必殺の剣で、あまりお勧めできないものだったが、言っても聞きそうになかった。
「ようセスク、今日の調子はどうだ? 残念だがこの戦いはおまえの戦いだ、おれは手を貸せない」
にこにことしたようすでルキウスが励ましに訪れ、型通りの素振りをするセスクを見て苦笑いする。ルキウスは訓練用の木刀を握って、イオに放る。
「ほら、稽古つけてやってくれよ。すぐに忘れそうだ。リュディア流を思い出さないと勝ち目はない。おれはリュディア流は使えない。イオ、頼まれてくれないか?」
「あ、あ、えと、疲れませんか?」
「一日中でも戦場で戦い続けるだけの体力はつけさせた。こいつはもう戦場では失敗できないんだ」
なるほどと片手で木刀を構えると、セスクの空気が変わる。
(す、隙がない)
泰然とした鷹揚なリュディア流の構えで、無防備に見えるがこの構えが一番怖いことはリュディア流を知り尽くしていればよく分かる。
(なに、なに、なに、なにしたの!? ルキウス、なにしたの?)
まったく勝てる気がしない。
それで、イオは木刀をおろして、つぶやく。
「もう君には教えることが、ただの一つもない。勝てる気がしないよ」
セスクはムスッとしたが、ルキウスが慌ててとりなす。
「セスク、叩きのめすことがいいことではない。相手が降参したら、もう追い詰めてはいけない。ヴァンダルが闇雲に戦っているわけではないことは話しただろう? 勇猛であることと、相手を殺した数とは違う。族長は相手の命を奪うことを望まない。流した血の量を誇るのは蛮勇だ。ヴァンダルが信用されるのは、恨みを買わないからだ」
考えてみれば、セスクをルキウスに預けたのは、ルキウスが真にリクトルの副官に相応しいだけの人格者だったからなのかもしれない。
「おいおい、イオ、ここにいたのか。なんだセスクもいるじゃないか」
そうのんきな声をかけたのはパントで、横柄な感じで気安く話す。
「そうか、セスクはヴァンダルの特訓を受けているのか。これは手強いな、しかし、これはちょっと反則じゃないか?」
「なに言ってんだよ。こんなにチビなんだよ? あたしよりも小さいし、13才だよ。これぐらい許してよ。それにこの訓練は果たし合いのためにしてるんじゃないよ? リクトルさまを守れるだけの力をつけるためだよ?」
イオが抗弁するのに、パントは困ったように苦笑いをする。
「こっちだって近衛兵団のプライドを背負っているんだ。負けたらレイが首になるかもしれない。おれはあの人の下にいることに満足しているんだ。あの人はああ見えても、自由にやらせてくれるんだ。エマが口うるさいのもあるんだけど」
その名前が出てくると、イオはどうしても微笑んでしまう。
(あの紙風船、役に立ってるんだ)
ああ、エマと他愛もない話をしたいなあと、思えてきてしまって困る。
42.