2011/03/15(火)19:08
小さな悪の集まりから起きた地震を、小さな善の集まりで治める
今回の地震の惨状を見れば見るほど
皆さんの心の中に「自分に何かできることはないか」という気持ちが湧いてきて
今はまず募金をしたり、これからボランティアで救済に行ったり、
被災した人々への励みになることを見つけ、各自いろんな行動を起していくのでしょう
私も阪神大震災の折、愕然とし、いたたまれず
現地に行ったりとなったり、いろんな天災被災への募金などもしてきました
「がんばって」という気持ちも湧いてきました
今回もそうなんですが・・・ あまりもの惨状で 気づきました
今回は あれだけの悲惨さ あの地域の人々に罪は無いはずなのに
神様は なんという仕打ちを
「この世に 神も仏もあるものか」と思えるほどの惨状
と神様を信じなくなる人もいることでしょう
それほどの惨状
そこで だれのせい? と考えました いろいろ思い浮かびますが
それは・・・ 1人1人に潜む 「小さな悪」その集合想念が
反作用を起したのではないかと・・・・
だから みんなが悪いのだ
だから 被災した人への励ましどころか
まず自分を振り返って 反省しないといけない と 思えました
「自分のせいだ」と 考えました
悪い事を考えもしない善良な人のつもりでも
悪い事を考えている人を そのまま見逃していることさえ悪ですから・・・
それを認識し 反省しなくてはいけない
被災した人を 皆で助けよう で 終わってはいけない
今 皆さんの湧いてきている救済の気持ちが
「小さな悪の集まりから起きた地震を、小さな善の集まりで治める」ことに一見なるのだが
起きたことと フォローしたこととが 必ずしも一致してないのに
解決したような気分になってしまう
被災者の例で・・・
「震災にあったけど、いろんな人に助けられて、人の温か身を痛感した」といって
180度 性格が変わってしまった我親友
そうなってこそ気づく 気づかされたわけだけど
もともと 何が悪かったのかということには 気づいてない
そうです その親友くんの場合
「人に冷たかった」んです(私には良かったが、人をバサバサ切る)
そんなテーマのようなものが 各人にあるはずなのです
これを機に 自分の中にある「小さな悪」について考えてみてはいかがでしょう
そして そのことに気づき 反省し 「今度からはこうしよう」という気持ちが
みなさんに 湧いた上に 被災した人への救済の気持ち 行動を起せば
神様が 断腸の思いで起したであろう大震災を、起した意味があったことになるのでしょう
被災者の人生訓
単に救済のチャンスを与えてくれた 助け合いの精神を教えてくれた わけではなく
被災者で無い各人への気づきの時なのかもしれません
それでこそ「小さな悪」が消えることでしょう