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ひかる0513

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2013.02.14
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カテゴリ:カテゴリ未分類
このたび楽天ブログから 下記のFC2ブログに移転することになりました。

楽天ブログを退会したわけではありません。将来、写真アップロード問題が解決すれば、棲み分けを考えています。

最近、楽天ブログどのサーバー(日本のサーバーかタイランドのサーバーか)分かりませんが、これまでの方法では、写真をアップロードすることができなくなりました。

楽天ブログには10年間お世話になりました。10年といえば、日本のブログの歴史を考えれば、大変長い年月です。楽天ブログに心から感謝申し上げます。

FC2ブログに、本ブログに変わらずお運びくださるようお願い申し上げます。

移転先:http://koichi0513.blog.fc2.com/






Last updated  2013.02.14 14:22:34
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2013.02.13
カテゴリ:カテゴリ未分類
DSC_0106mangoe.JPG

ここのところ、ずっと暑い日が続く。しかもまだ乾季で雨が降らない。冬から夏に向かっていることが実感される。

わが家のマンゴーが実を今年は異常につけている。それが日に日に大きくなっている。今まで、マンゴーの実は生るのだが、数が少ないのと、先に鳥やリスにやられて、人間様の口に入ったのは一個だけという経緯がある。その一個のおいしかったことが忘れられない。

土地の人のいうには、一雨くれば、このマンゴーの実の大部分落ちてしまうのだと実も蓋もないことをいう。ここの雨は、日本に見られるように、むせび泣くようなしとしとと一日降り続けるというようなことがない!雨季でもどかーっと滝のように30分だけ降る。だから、木の実は大部分落とされてしまうのだろう。

今年のマンゴーの収穫が楽しみである。

バナナの実は二房、順調に育っている。つっかえ棒をしてもらっているので、今回はその重さで幹が折れるって言うことがなさそうだ。

あ、ちなみに、日本では単にバナナと言うと実だけを指す。しかし、ここではバナナの樹、バナナの葉っぱ、バナナの花、バナナの実といわないと単にバナナとだけいっちゃうと何を言うのか分からない。それぞれ用途があるからである。もっとも、スーパーで単に「バナナ」といえば実のことをさすのではあるが・・・






Last updated  2013.02.13 11:16:56
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2013.02.11
カテゴリ:カテゴリ未分類
DSC_1782kobkuhn ka.JPG

ぼくのうちの隣の隣にかわいい女の子がいます。あだ名がニックノイnic noiちゃんです(ちょびっとちゃん)。

彼女に日本から仕入れ来たドナルドダックの小さな人形をプレゼントしました。礼儀正しく合掌して「コックンカー」(ありがとう)と言って、Nさんと写真に納まりましたが、まだ戸惑いが隠せない状態。

でも、ママーと一緒に家の中に消えるか消えないころ、ギャーっという歓喜の声が聞こえました。

a pretty girl lives in my neighbor's beighbor, whose nickname is nic noi (a bit chan). Nanna san presented her a doll of Donald Duck which i bought in Japan. she politely greeted with uniting both palms "Kobkuhn ka" (Thank you very much). and she was taken a pic with Nanna san. still then she looked a bit perplexed. we could hear her loud shouting with joy Wow! as soon as she and her mother disappeared themselves into their home.

DSC_1784nicnoi.JPG







Last updated  2013.02.11 21:05:02
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hirugao?


朝の散歩。ムラの大池の池之端に咲く「ひるがお」(?)

昔ある国際的なサイトで、毎朝散歩して道端に咲く花を写真に撮っては、世界の友だちに送っていたのです。簡単な英文メッセージと最後にfrom Koichi in Tokyoと付しただけのものでした。これが世界中に作るきっかけになりました。Nさんもその一人。






Last updated  2013.02.11 11:41:57
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2013.02.10
カテゴリ:カテゴリ未分類

DSC_1770strange floX.JPG
今日、中国正月。日本の「寝正月」と同じで、一族はは何も働かないで寝ていて、食事は外食と決めているのだそうだ。

Nさんはニックを連れて、朝食を買って来てくれた。

昼は、ヒアさん(Nさんの夫さん)がプラサーさんを車で連れてきて、わがムラの前の1級国道を南に走ったところにあるハンブルなレストランでおちあって、おいしい麺類を食べた。ここはしょっちゅう来る麺類屋で、たしか娘夫妻と子どもたちもつれてきたことがある。フィッシュボールがふんだんに出てくる。

ヒアさんは、そのまま帰ったが、プラサーさんがわが家で一眠りして、夕方彼とNさん、ニックと4人で、「ローマイ・チャイカ」という一流になり損ねたレストランに行って、純タイ料理を食べた。ここへは以前、大本教授と弟とその教え子を招待して食べさせたところである。その時はおいしいと感じた。タイランドで有名な鍋物の「トムヤンクン」を注文したが、まずい上に辛すぎて食えないと、ぼくはちょっと口にしただけで、自分の胃腸の自衛のために食べなかった。そうしたら、プラサーさんも辛すぎて、えびが新鮮でなくまずいからと言って、わざわざぼくのためにスパイスが入っていない別の「トムヤンクン」を注文してくれた。いくらか食えたけど、全体においしくなかった。シェフが変わったのだろう(ひと様のおごりでおいしくないとも言えないのだが、こういうときが一番胃腸に悪いので、仕方なかった)。

DSC_17772 tomyangkun.JPG

この国のいいところは、大きなレストランには、必ずと言っていいほど子どもの遊び場がある。簡単で安全な遊具が置いてあって、そこで存分に遊べる。あるレストランは必ずウェイトレスの一人が遊び場の傍に付き添ってみていてくれることである。もう大きいニックも、さっそくそこで遊んで、小さな子達をたちまちに家来にして、レストランを走り回っていた。

わが家に帰る途中、車の中で、ニックに訊いた。ニック 君の食べたビーフステーキはおいしかったかい? 彼は「うんおいしかった でも ルンコイチ 日本で食べたビーフステーキの方がはるかにはるかにおいしかったよ」と。それは、去年の5月、成田着後2泊、千葉駅前のビジネスホテルに泊まったとき、駅前の「そごう」だと思ったが、その食堂街に入った「銀座なんとか」というステーキ屋に入ったときのことを言っているのである。あの時は、今のニックと違ってまだ幼く、機嫌が悪いと露骨に顔と態度に出して人々をがっかりさせていた。ぼくらが、まず日本式のカレーライスを食べようと思って、行列を作って入ったところが、どこを間違えたかカレー屋ではなくて、高級な銀座なんとかのステーキ屋だった。ニックはブーたれてものすごい形相で、カレーを食いたい~とぶつぶつ言っていた。でも、一所懸命なだめて、カレーよりここのビフテキを試してみようよと説き伏せて、そこにい続けた。出てきたビフテキの見た目の豪華さ!ニックの目はいっぺんでキラリンとなった。そして、食べ始めたら、もうガキのようにがつがつ うーうー唸りながら食べていた。まるで何日も食ってない野良犬のように食べていたそのビフテキの味が、いまでも忘れられないのである。それにしても、11歳のガキのいうこと? 「ここのステーキより日本で食べた銀座なんとかのステーキのほうがはるかにはるかにおいしかった」って。

DSC_1778rommai chyka.JPG

[写真:今日昼飯のハンブルなレストランの道端に咲いていた不思議な花;まずい「トムヤンクン二つ、一つは辛い、他の一つは辛くない。両方ともまずい;このレストランの飾りつけ。蛇年にちなんだイルミネーション]








Last updated  2013.02.10 22:18:47
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2013.02.09
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ぼく的には、

この楽天ブログの写真アップロード機能が機能していませんので、ご面倒でしょうが、フェイスブックのアルバムをご覧ください。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.341654115952355.78044.100003233098003&type=3






Last updated  2013.02.09 16:38:44
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2013.02.07
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horn harmonica.jpg

La Cinquantaine (金婚式)をアトリエで練習演奏していたら、階下のNさんから激しい拍手が立ち上ってきた。これは17歳のときホルンハーモニカで文化放送で演奏した曲目である。まだ間違いが多く人前では演奏できない。
while i practiced and played "La Cinquantaine" with my harmonica at the atelier, strong clapps by Nanna san came up from the ground floor. Thank you Thank you but sitll coz of with a lot of errors, i cannot play it for the public.

写真は広告からの借り物です。






Last updated  2013.02.07 21:45:57
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2013.02.06
カテゴリ:カテゴリ未分類
DSC_0067baby fruits of mangoe.JPG

英語で物理学の基本理論を読んでいると、デジャブーのようにある光景が浮かんでくる。

ぼくの性格の一貫した傾向なのだが、受動的に鑑賞するより、能動的にやることの方が好きである。スポーツでも音楽でもそうなのである。とりわけ、音楽を聴くことが好きな方によくみられるのだが、歌や曲や演奏家(歌手)について、驚くべき知識をご披露なさる方がいらっしゃる。話に付いていけない。ぼくは黙って聞くしかない。(そういう方に楽譜すら読めない方が多い)

なんでもそうなのである。食物も食べるよりも作るほうが好きである。

勉強もそうであった。小学校4年生のとき、算数の問題を解くより作るほうが好きだった。で引き算の問題を作って、引く数の方が引かれる数の方が大きい問題も作って、行き詰まってしまって、先生に尋ねたことがあった。先生は「お前は小さいから 解けないよ 大きくなったら 解けるから」という答えだった。ぼくは背が伸びれば引き算が解けるのかと思った。

すべてについてこうだった。英語でも中2のとき、教科書のずっと先にある(進度ではとてもそこまで行かないで学年が終わりそうな位置)「セルフィッシュ・ジャイアント」全文を夏休み中に翻訳して先生に見せたことがあった。先生は非常に驚いて、丁寧に添削してくれた。

大学受験勉強でも、ぼくは問題集の全頁をさいころを振って、出たページの問題のナンバーをピックアップして6題の試験問題(ぼくの目指す大学は毎年6題出て120点満点だった)を、毎日寝る前に作って、翌日の夜それを解いて、自己採点する。これを受験の年の2学期ずっとやった。そして、折れ線グラフに自己採点の結果を記入して壁に張り出していた。最初は上下運動の激しい不安定な成績だったが、やがて100点以上の範囲以内に確実に収まるような変動を示すようになり、数学には絶対的な自信を持つにいたった。

告白すると、ぼくは今でも、学者の癖に、読むより書くことの方が好きである。ちょっと恥ずかしいのだが、ぼくはお世辞にも読書家とはいいがたい。

そのデジャブーとはこうである。高1のとき、古本屋から、分厚い英語の小説“Quo Vadis”(主よ いぞこへ?)という本を買って来て読んだのである。古代ローマの恋愛小説である。そのヒロインはリギアであって、ついさっきまで奴隷のキリスト教徒だと思っていた。ヒーローはローマのマルクス・ウィニキウスである。ぼくはついさっきまでローマの有力貴族だと思っていた。(ぼくは「マルクス」という名前に違和感がなかったのは、中1のときの「時事問題」の先生の佐藤先生に端を発するけど、この“Quo Vadis”の主人公がマルクスだったことにも負うところが大きい)

ついさっき、ウィッキペィディアで調べたら、それらは、いくらかぼくの思い違いであった。発行年は19世紀末で、ヘンリク・シェンキェビッチ途いう人であった。この方は後に“Quo Vadis”を功績の一つとして、ノーベル賞を取った人だということも、ついさっき知った。

16歳の少年のぼくは、この本を読み上げて、感動の余り呆然としてしまった。それ以来、ぼくは英語にというよりも、何か、困難に打ち勝った達成感というのか、とても広い意味の自信をもってしまった。英語に関しては、その後、不勉強と怠慢で上達が止まってしまって現在に至る。

ぼくが物理学の本を英語で読んでいると、デジャブーとして甦る光景は、“Quo Vadis”に取り組んで、悪戦苦闘していた少年のぼくの姿だった。

写真:Nさんが見つけたのだが、わが家の、マンゴーの樹の花に実をつけ始めた。







Last updated  2013.02.07 09:33:14
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2013.02.05
カテゴリ:カテゴリ未分類
  • legal check-up of car.JPG
  • DSC_1749brake check.JPG
  • DSC_1750thai suki rest.JPG



今日はぼくのポコアポコの車検のために持ち込みの検査と車検証(ステッカー)の交付と二つをしに出かけた。

車検証交付所の役所の近くにある車の検査工場(民間)に行って検査を受けた。20分で完了。合格の証明書が発行された。これで850B(2550円)支払った。(大昔、イギリスでも車検の検査を受けたことがあった。これも検査そのものは見てる目の前で行われた。15分もかからなかった。そしてもらったのは不合格証であった。you failこの一言だった。2,3日かかって不合格箇所を直してもらって、合格証をもらった)写真は:今回の車検の様子。2枚目はブレーキ検査である。

次に、役所に行った。コンピューターが故障中なので時間がかかるといわれた。しかし、それも含めて30分で車検証が交付された。

3リットル車なので、相当の金額がかかると思っていた。しかし、役所に支払ったのは2500B(7500円)。

合計約1万円かかった。やはりここの物価水準では安くはない。この金はヒア(Nさんの夫さん)が出してくれた。もちろんお返しは十分する。それよりも、検査と車検証交付合計しても1時間かからないというこの速度はなんともうれしかった。

Nさんも、自分で車検のすべてをやったのは初めての経験であるので、車検証をもらったときは、トーストトースト♪と叫んでいた。

昼食をセントラル(ラーマ2)デパートでお祝いしようということで行ったところ、Nさんはそうはまっすぐ行かない。途中「アムウェイ」(むかし日本ではマルチ商法で悪名をとどろかせたあのアムウェイである。タイランドでは、それはアムウェイブランドの高級品のクラブのような位置にあって、店舗も美しく清楚である)に立ち寄って、ノイ(Nさんのお姉さん)さんの化粧品や、お米、その他を買っていた。そして、ようやくセントラルデパートのたどりついた。

Hotpotというビュッフェ方式のタイスキのレストランに入った(写真:その飾りつけ)。ぼくはおなじみのタイスキ店のMKよりもHotpotの方が味がよく好きだ。お客にはここへ連れて来よう。






Last updated  2013.02.05 21:12:54
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2013.02.04
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DSC_0041jp banana.JPG

量子力学を英語でいうと、quantum mechanicsと書く。量子とは素粒子(時代によって分類が異なる)をさらに抽象化したものであって、「質のどんづまりで量的にのみ区別されるある実体」=物質(これはマルクスが価値実体である「抽象的に人間労働」を突き止めたときに用いたフレーズである)と理解していた。たぶん、それは間違いがない。だからこそ、つまり色もにおいも目にも見えない手触りもできない五感的な質的認識を超えたものの運動の記述、すなわち、量子力学の記述は量を扱う数学でのみ可能であるということもある程度納得できた。でも、それは物理学者の言語学的な怠慢あるいは自らの貧困な言語能力の吐露であると、ぼくは思い続けている。マルクスは数学をほとんど用いずに価値の諸法則を展開した(正直言って、『資本論』でマルクスが数学を使えば簡単なのにと思うことしばしばであった)。ぼく自身「経済学」で数学を使うときは常に自虐的であった。

今、アインシュタインの相対論(とくに一般的相対論=重力場の理論)と量子力学との統合理論の候補である「超弦理論」を勉強している。ある本の中で、量子力学の歴史を振り返る箇所で、quantize またはquantizationという言葉が出てくる。この言葉は量子quantumと語源的に同じである。ちなみに量を英語にするとquantityである。だから、ぼくは頭の中で「量子化(すること)」と言う言葉をみると、量子力学の概念としてのイメージを描いていた。

著者は、物質はquantizedされるものという発見とか、物質のquantizationが量子力学の始原(プランク定数の登場などのことを想起せよ)という表現を用いていると、このquantizeという動詞とかquantizationという名詞に出会っていると、はっと思い当たった。量子力学のそもそもの初めに、既存の概念を利用できないときに、この言葉が、きっと他から借用されて、なぜ利用されたかという疑問が生じたのである。それは量子力学の範囲で「量子」を考えてはならないということを意味する。

辞書を引いてみた。ぼくの辞書は、weblio (http://ejje.weblio.jp/)である。そうしたら、次のような記述が見つかった。

“量子化すること
変数のとる範囲を,重複しない,必ずしも等間隔でなくてもよい有限個の区間に分けて,その各区間をその区間内のある割り当てられた値を使って指定すること.
〈例〉人間の年齢は1年という量(区間)で量子化されることが多い“

非常にびっくりしてしまった。人間の年齢の「年」ということで区切ることが「量子化」することになるとは・・・じゃあさぁ なんとあたしたちは事物をひっきりなしに量子化しちゃってるじゃん?

英語でびっくりしたことの一つで、芭蕉を字引で引いてみた。なんとjapanese bananaだって、あれバナナかよ。写真はわが家のジャパニーズ・バナナ

DSC_0050red jp banana.JPG







Last updated  2013.02.04 20:39:18
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