姑の検査結果
去年の初めに、MRI検査をしてから、一年半近くたっている今日、姑が二度目のMRI検査をしました。これは、舅が当初から「お母さんはアルツハイマーで、パーキンソンで、だから・・」とあれこれ、言い募ることから、もう一度見てもらおうね、と言うことになって、予約を取った検査でした。前回のMRI検査は、大学病院の内科を窓口にして、姑のふらつくことと、食欲がないこと、気力が失われていることなどを、調べてもらうためのものでした。そのときは、単なる老化現象の範囲で見られる程度の小脳の萎縮はあるものの、深刻な病気が潜んでいるわけではない、と言うことでした。その結果、姑はそれまで同様、近所の家庭医(内科)のお世話になりながら、夏をすごし、言動に姑らしからぬことが増えて、人格が替わったか?と思うような様子が出てきたことをきっかけに、それ以前から、疑っていた鬱病ではないのか?という観点から、心療内科のお世話になるようになって、十ヶ月が過ぎようとしています。今日、検査の後で診察をしてくださった病院は、個人の脳神経外科クリニック。結果は、海馬に萎縮が見られるアルツハイマー、であり、小脳の萎縮も見られるうえ、脊髄の損傷が見られるので、ふらつくのはそのため。だそうです。もとより、アルツハイマーは直らない病気、姑の脊椎損傷を含む小脳の萎縮は、これも直らないものだそうで、あと5年ほどすれば、姑は車椅子の生活を余儀なくされるだろうと言うことでした。ショックです。と同時に、わからなかったとはいえ、方向違いの治療をすすめてきたことについて、反省をしています。反省をしていると言っても、その場では、その選択肢しか考え付かなかったことも、事実です。また、去年の段階で、同じことを言われていたとして、この一年の過ごし方が大幅に変わったとも、正直思いません。でも、旦那には今日、謝りました。彼自身に積極的に動く気持ちがなかったとはいえ、旦那は母親の異常を小脳から来るものだと、かなり強く主張していたのです。でも、前回の検査では、医師からそのようには説明されなかった・・・とはいえ、ごめんなさい。もちろんわざとではないけど、方向が違っていたことで、心療内科からの投薬は、姑のふらつく足元を、危険にさらしたのかもしれません。不必要だったかもしれない歩行訓練なども、負担なだけだったかもしれない。そのことについて、ごめんなさい。なのです。今夜、旦那は遠方での仕事のためホテル泊まりです。母親の検査結果を聞き、旦那は素直にショックを受けていました。今後、どのようにやっていくべきか、について、今日のお医者様が「貴方に話をしたい」と、私の顔を見て、言われました。検査には舅ももちろん同行しており、診察室には三人で入っていましたが、舅が今回の検査を頼むについて、日頃の心配な様子と伝えた姑の情報から医師が想像していた状態と、今日の姑の脳の状態は、かけ離れていたと、医師は言います。もちろん、医師には私1人ではなく、旦那同伴で来週の火曜日、会うことにしました。姑を囲む生活環境を、変えることを見据えて、考えを進めていかなくてはなりません。参った。脳クリニック、にありがちなこととして、一連の話は本人も交えた上で、進められたものですが、舅も姑も同じ話を聞いていたにもかかわらず、全く理解していません。姑は、帰りの車に乗るなり「アルツハイマーでなくてよかったわ」といい舅は、姑に対する対応の悪さを指摘した医師の態度に、ご立腹。本来ショックを受けるべきポイントとずれている。(-_-;)ショックを受けているのではないかと、心配だったため、今日は大サービスをして、朝9時の病院行きから一日ずっと、付き合いました。昼食を付き合い、午後からは通帳や保険の整理・捜索(姑が管理していたため、むちゃくちゃになってます)。夕食は舅が作ると言うことで、姑にジャガイモの皮を剥いてもらうなど、出来ることを頼みながら、舅シェフに、アシスト二名体制で、肉じゃがにトライ。途中、独自の手法も混ざりながら、そこそこのもの、出来上がりました。舅も姑も、楽しかったらしく、ショックを受けている様子は、あまり伺えません。夕食を済ませて帰宅後、旦那から連絡があり、今日の検査結果を伝え、謝りました。心療内科を強く勧めたのは、私ですから。旦那は「五年後に廃人になると宣告されたようなもんや」と言いますがこれはまた、ショックを受けているとはいえ、極端な反応。今後どうするかと言う話をする中で、彼が納得することも必要だけど、何より舅が納得することが必要なんだと言う話をしながら、旦那、時折私のことも批判し、ショックを受けてます。「近くに住んだほうが良いやろな」彼の思うこともわかる、我が家も、第二ステージに、突入ってことかなと、思います。