藤川さんよ永遠に!
私は、母が昼間に風呂に入るようになってから、私も昼間や夕方までには、お風呂に入るようになった。昨日の夕方、入浴中にふと、「そろそろイルミネーションの季節だ」ということを思い、去年、見に行った日の夜に食べた「ピーナッツかぼちゃ」のことを思い出した。そのかぼちゃは、藤川さんの畑で採れたもので、去年の秋に藤川さんがうちに持ってきてくれたものだった。そして、藤川さんが今どうしているだろう??とものすごく気になって仕方なく、胸がざわざわするのを感じた。しかし、お風呂を出た時間は5時半近く。主婦には忙しい時間なので電話をかけることをもう少し待つことにした。実は、そのかぼちゃを届けてくれた時、彼女は「私、一か月入院していたの」とガンが見つかって、その治療のために入院していたことを突然なのにあまりにもあっけらかんと言った。なんでも治療がうまくいって数値が下がっているし、副作用もないということだった。「この人がガンなのか?」と思うほど元気だった。しかし、ガンの部位が一般的に深刻な場所であり、治療後に数値が下がるのは父のことを思い出しても、誰にもあることがわかる。その後、その抗がん剤に慣れてしまうと、良くなることはないからだ。さて、夜。7時半頃、そろそろいいかな?と思い、彼女の携帯でなく、自宅の方に電話をした。旦那さんではなく娘さんと思われる方の声だった。そして、そこで彼女が一昨日の8日に亡くなっていたことを知った。虫の知らせというものだったのかも知れない。彼女と知り合ったきっかけは、残念ながら思い出せない。多分、私がまだ水戸福祉新聞をやっていた時の頃だと思う。彼女は、社協に勤めていて、その後定年になってもいろんなボランティア活動をしていた。ひと言でいうと「苦労をいとわない人」である。ふいにビラ一枚を届けてくれるなんて朝飯前!辻さんの個展でもお会いしたし、多分彼女に世話になった障害者は、たくさんいると思う。去年、私がハート展に入選した時のこと。夏、京成で開かれたハート展のビラを配るのを1000枚以上もやってくれた。各市民センターを回って、ビラをおいてきてくれたのだ。その行動力は頭を下げても下げきれないほど。常に前向きで明るくて、次女がミャンマー人と結婚してイチゴを作っているとか、色んな話をしてくれた。LINEを見ると彼女の好きだったノウゼンカズラの写真を私が送った8月に既読にはなっているが返事はなかった。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
実は、お電話で、次女の明子さんと話していて驚いたことがある。
彼女は、三姉妹で「知子、明子、尚子」というそうだ。私の姉は知子といい、夫の妹は尚子であるから。
私の母は、明子さんならぬ昭子で、母の妹は彼女と同じ和子。ここは、ありふれているが、私も夫もたった1人しかいない姉や妹と名前が同じことに運命を感じた。生きているうちに、伝えたかった!!とつくづく思う。