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6月1日から10日まで中欧のチェコ、オーストリア、スロバキア、ハンガリーに旅行してきました。
6月1日(水) 成田からオランダのアムステルダムまでKLMオランダ航空で飛び、そこでチェコ航空に乗り継ぎプラハに向かいました。 ![]() これがビジネスクラス? まるでペテンです。 フラッグ・キャリアだというのに。 プラハには着いた時にはもう日が落ちていたこともあり、空港内は閑散としてほんとうに田舎空港にやってきたという印象を持ちました。 プラハはチェコ共和国の首都ですよ。 ![]() 夕方に現地に到着する場合には夕食が用意されないので、夕食に代わるような物を用意しておくのが賢明だとこれまでの経験から知っていたので、アムステルダムの空港内でクッキーなど軽食を手に入れてきました。 ところが、今回はアムステルダムからプラハまでの飛行機の中で夕食が出たのです。 残念!せっかく旅行慣れたところ生かそうとしていたのに。 結局、このクッキーはお土産になちゃいました。 この日は、家を出て以来なるだけ寝ないようにしてきたので、風呂に浸かってベッドに入ったらすぐに眠りこみましたが、夜中の2時頃には目を覚ましてしまいました。 うまくいかないものですね。 時差ぼけに陥るまいと、20時間以上の寝ないように頑張ったのに。 途中でチョットだけ寝たのがいけなかったんでしょうかね。 (1時間程度と思っていましたが、もっと長く寝込んでしまっていたんでしょうかね) 6時半からレストランが開かれるという話でしたので、レストランが開かれる時間を待ちかねて食事にでかけました。 レストランにはまだだれも居ませんでした。最初の客でした。 朝食を終えて時間を見ましたらまだ7時前です。 観光の出発は9:00の予定でまだまだ時間がありましたので、ホテルの近辺を朝の散歩と洒落込みました。 ![]() あれ! この建物は、今日の午後の観光予定に入れていた「市民会館」じゃない。 こんな近くにあったんだ。 この建物は、1912年に完成したアールヌーボー洋式の優美な建物で、中にはスメタナホールというプラハで最も大きいコンサートホールがあり、音楽好きな市民の憩いの場となっています。 ![]() あれ! これは「火薬塔」じゃない。 そうです。この塔は15世紀半ばに建築されたゴシック様式の塔で17世紀に火薬貯蔵庫として利用されたことから火薬塔と呼ばれているのです。 いや~、知らなかったな。ホテルがこんなに街の中心部にあるなんて。 この事は、この日の午後の自由時間の観光には大いに優位性を発揮したのです。 9:00にホテルのロビーに皆さんが集まり、この日の観光の始まりです。 この付近は旧市街で路が狭くバスをホテルの前に着けられないことから、まずバスを停めている処まで移動しました。 この時、路面電車の走る道を渡る必要があったので、皆で渡ろうと左右を良く見て車が止まってくれた事を確認して渡り始めました。 そこへいきなり電車が現れて、危うくひかれてしまいそうでした。 エエエエエ!! 驚きだな!! 車は止まってくれているのに、どうして電車が突っ込んできたりするの。 ガイドさん曰く「この国では、自動車は歩行者を優先してくれますが、電車は歩行者より優先が高いのです。電車には十二分に気を付けて下さい」だって。 驚きだな。電車の方が歩行者より優先だなんて。クワバラ!クワバラ! その上、よくよく観察してみると、電車は日本では考えれれないようなスピードで走っています。専用軌道なんかじゃなくて、道路の一部に軌道がひかれている路面電車なんですよ。 この驚きはこの後もさらに大きな驚きに発展していったのです。 この日は、とりあえずバスに乗ってプラハ城の観光に向かいました。 プラハ城は、市の中心部を流れるヴルタバ川の反対側の市街地を見下ろす小高い丘の上にありました。 ![]() 写真の中の尖塔はプラハ城内の聖ビート大聖堂で、その手前にある平たい建物が王宮です。 かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在もチェコ共和国の大統領府のあるということのようです。 ![]() プラハ城への入り口の正門には二人の衛兵が威厳を正して直立しておりプラハ城を守っています。衛兵の交代式は一時間毎に行われ、正午の交代式は伴奏とともに行われるということです。ただ、この日は時間に制限もあり、衛兵の交代式を見ることはできませんでした。 プラハ城内ではまず聖ヴィート大聖堂を見学しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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