『とんとこひ・セクスアリテ』

2008/04/16(水)15:22

続・語り継ぐ戦争(八切止夫さん流)

ヒジリ地名図鑑(36)

抜粋 『被差別村落の歴史』 第三部  --- ---ひと息ついてください 八切史学誕生は敗戦満州  壬申戸籍以来それまでの寺人別や町人別、侍人別に比べて、入っていない無宿者の数が圧倒的に多いのが判って、新政府は狼狽して国策としてベンゲネットのフィリピン移民やハワイへ男は送りこみ女はアメリカのガールハウスやサンダカンへ向わせた。・・・  現代になってもオカミの立場では、体制を維持してゆくための国家公務員上級試験や司法試験の合格者を選抜するための次々の試験地獄をもうけ、有用な人材と、どうなってもよく出来れば死んでほしい棄民との二大別が、段々と判ってきてホンネとタテマエが判った。  「邪魔者は消せ」というが、ソ連の囚人部隊が代りにやってくれたのである。なにしろずっと監獄に入っていた輩ゆえ、女とみると銀座にあたる春日町通りでも、よってたかってである。  もちろんダワイにきているのだから服からシュミーズまで布類はまっ先に奪ってしまう。当時の満州では現地人には布地の配給を殆どなく布ならなんでも換金できたからである。  なにしろ満州では相手は武装兵である。とび出して行って、おまちなせと止めるようなのは、まったく一人もいなかったのも事実。みんな家の中へとびこみ二重窓の中から文字通り高見の見物でハラハラしているだけ。  まったく手のつけられぬ野生の猛獣みたいな集団の連中の白昼から街頭での襲撃である。  うっかり外出して目にとまり、気丈にも逃げれば射殺。アスファルトの上で血の流れ出るのでもごうかん。生きて居れば捕えて皆して次々と左右に転がし、拒めば銃床で頭を叩き割るから、白いアスファルトが見る間に、一面ずっと、どす黒くやがて真っ赤になっていった。  それまで派出所で威張っていた日本人の警察官は何処へ姿を消してしまったのかと思っていたら、夜になって暗くなると満警とよばれた満人の補助警官の後ろについてやってきて、戸口簿をもって、年頃の娘を非難させるからと、トラックに次々にのせて連行していった。安全な場所へ伴われていたものと思っていた処、その中の娘さんの頭を割られた屍体が奉天郵政局前広場に転がっているのが見つかったので、北春日自衛隊が秘かに結成された。  一度もう占領下に入ってしまうと、かつてのギリシアの三十未満の女性がイタリア軍の慰安要員にされてしまったように、すべて向こうの軍政下に入ってしまいどうにもならない。・・・「絶対に服従」するのが日本人の、薄気味悪いくらい不思議な二十世紀でも奇怪的奴隷根性の人種ゆえ、どうしようもない話であろう。・・・  もうその頃は、関東軍に見棄てられて集団自決したが死にぞこなった難民が次々とまた奉天へは流れこんできて、北春日小学校は、九月には五千人も各教室に別れつまっていた。  当時、衣料の配給は日系人だけだったので、途中で満人にモンペどころか肌着やパンツまでとられ、空俵を身につけた女たちが、途中でソ連兵に何十回も襲われて逃げのびてきた。  「八十五六人までは覚えていたが、その内に気を失い、土が凍ってきて気づいた時までには、百五十人ぐらいのロスケにのられた勘定になる」と逞しく語る打ち明け話もきかされた。  ずっと無言のままで股をひろげておればよいが、辛くなって拒むような事を口にしたり逆らったりすれば、それまでに日に百人近くにおかされてきた女性でも、見せしめにというか殴り殺されてしまったというから、 どんな日々のひどい目に堪えたにしても、辛うじて生きて北春日小学校へ入ってきた女は十人に一人ぐらいであったようである。 彼女たちはもう馴れっこになっていたのか、軍票の一円で朝から身売りに稼ぎにゆき、食物を求めてきていた。 とろうのおの 中島虎彦歌集 そのとおり私のギャグがうなるのは世界が苦悩に満ちているから

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