himekyonの部屋

2017/02/07(火)23:51

横浜ぶらり旅 三渓園2

神奈川の四季(128)

2昨日の続きです。 昨日は、横浜から帰ってからバイトがあり、写真1枚のみの更新でした。 15年来の山友のM子さん、親子ほど歳が離れていて息子と同じ年代です。 himekyonには娘はいませんので、娘のような感じというのでしょうか。 山歩きをしていても、M子さんにはとても追いつけないのですが、 それでも何度もお誘いしていただいて、大きな高い山にも一緒に登りました。 今回は、近場の山歩きをと誘っていただいたのに、生憎の天気予報、 高尾山か伊勢原の大山だったら雨でも登れますよねとのことでしたが、 たまには観光もしたいですがいいですか? 横浜の赤レンガ倉庫で「いちごフェスティバル」があるので行ってみたいんです ・・・で決まりました。 前日は、東京の山仲間との金時山、東名道が渋滞でお姉さんの住む板橋の家に着いたのが 夜11時半過ぎだったそうで、それでも朝、8時前には横浜駅に着いていました。 1日500円の横浜市営バス「ぶらり横濱めぐり旅」チケットを購入して、三渓園を目指しました。 予定より早く開園の9時前に着きました。着物姿のおばさまたちがずらり、お茶会があるようです。     大池に浮かぶ舟と三重塔     園内案内図 himekyonは2度目、M子さんも来たことがあるそうで、また来てみたかったとのこと 次の目的地へのバスの時間が11時11分発、 2時間で広い庭園を見て回るにはどう廻ろうかしらね      鶴翔閣 明治・大正時代、生糸・製糸の貿易で財を成した原三渓(富太郎)が、祖父が購入して別荘を建てた この地に庭園を造り上げ、鶴翔閣を建てて自宅としていました。 この日は、2組の結婚式があり、帰り際には、花婿・花嫁さんが池をバックに記念撮影していました。  この時はまだ青空が見えていて、天気予報の雨はうそのよう      臨春閣 江戸時代、紀州徳川藩初代藩主が、和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築 庭園内は、京都・鎌倉などから歴史的建造物17棟を移築して自然と調和するよう造営されたそうです。          豊臣秀吉が愛用したという手水鉢 瓢箪文様が入っています。    旧天瑞寺寿塔覆堂 豊臣秀吉が、大徳寺に母の長寿祈願のために建てた寿塔(生前墓)を納めるための建物だそうです。       亭樹( ていしゃ) 屋根のある台、東屋の意味だそうです。  ねねの菩提寺、高台寺の「観月台」を模して造られたもの  臨春閣を移築した当時は、豊臣秀吉が建てたものとされていたので 秀吉にちなんだものを揃えたようですが、近年になって紀州徳川家の建物と推定されたそうです。           ユキヤナギ(雪柳)1輪     ヤブツバキ(藪椿)     日本水仙     水仙と臥竜梅 花はまだ1・2輪ほど     紅白梅と水仙     聴秋閣 徳川家光が二条城に建てたものを春日局が賜ったものだそうです。       旧燈明寺三重塔  室町時代の建物で関東の木造塔屋では最古のものだそうです。            旧鎌倉・東慶寺の仏殿    旧矢箆原家住宅(やのはらけ) 江戸時代後期、飛騨白川郷の三長者と言われたひとりだそうです。       いろりでは、毎日火を熾しているそうです。    いろりの火は、暖をとるだけでなく、茅葺を乾かし、虫を防ぐ意味もあるそうです。       厩跡に荷車  建物内に厩があり、3頭の馬を飼っていたそうです。     水舟 ブナの大木を二つ割にしてくり抜き、わらび粉を取るための沈殿槽として使われていたものだそうです。     奥座敷 客間として使われたそうで、農家としては珍しいそうです。    客間の扇の欄間   碇の欄間   櫂の欄間       2階の柱 煙にいぶされて黒光りをしています。    垂直に近い階段(上から撮っています) 2階は、主以外の住居と蚕部屋だそうです。 以前白川郷と五箇山の合掌造りを見たことがありますが、だいたい同じですね。      ざっと一回りして大急ぎで三渓記念館へ      茶席・望塔亭でお抹茶をいただき一休み (お菓子はすでにひとつお腹におさまっていました)   なんとか11時11分のバスに乗り、次の目的地へと    

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