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ひめのゆめ活動日記

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2008年08月15日
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カテゴリ:東北への旅
その夜私たちは弘前のねぶた祭りを見に行くことになりました。

東北ツアーの日にちは当時夢ワークの東京校の講師をしてくださっていたkasumiさまの

リーディングによるものです。

結果として私たちは青森においてもっとも大きなイベントであるねぶた祭りに遭遇することに

なりました。

前日も雨でしたが その夜もせっかくの祭りだというのに激しく雨が降り始めました。

このままいくと祭りは中止か?と思われましたが それでも雨のなか弘前ねぶたは

盛大に行われました。

(今年は京都でも祇園祭りは雨が続きました。 わざわざその時間になると雨を降らせる

天を仰ぎ見ながら 私はユダヤの影響をうけた祇園祭について考えていました。)


雨が強く降りしきるなか やっとの思いで弘前ねぶたの会場に着いた時

私は初めて見る勇壮なその祭に言葉を失いました。

ねぶた1.jpg


ねぶた2.jpg


大きな大きな山車は 一面明かりをともした巨大な提灯(ねぶた、ねぷた)を乗せていて

その提灯には 迫力のある特徴的な絵が書いてありました。


坂上田村麻呂の絵もあれば 美女や菩薩の絵もありました。 

中には蛇をまとい、口からは赤い舌をだし、 おどろおどろしい雰囲気をかもしだしているのもありました。

山車の後ろには 太鼓とチャッパがその世界の演出を十分に担当していて 

生きのいいお姉さんたちが肩をだして祭りの装束で太鼓を

打ち鳴らすさまは京都の祭りでは見られない躍動感に満ちていました。


この山車のねぷたの絵にしても どれだけの人たちがどれだけの日数をかけて

描かれたものなのでしょうか、、 すごいなあと思いました。


子供たちの多く参加して 太鼓やチャッパを大人顔負けに打ち鳴らすようすは

感動的でした。

私は10年ほど前まで 地元の弁財天の奉賛会のお手伝いをさせていただいたり

和太鼓をたたいていたこともあって この祭りにかけられた人々の労力の大きさと重さと

尊さがほんとうによく理解できました。


それだけに この祭りを見て ほんとうに言葉にならないくらい打ちのめされてしまったのです。


------------------------------

なんということをしてしまったのだろう。

この祭りはやっぱり征服者がその土地の人々を支配するために利用してきた

祭りだったんだ。

当時 東北地方に独自の文化を気づいて幸せに生きていた人々を 都の中央政権は

支配するために坂上田村麻呂をこの地に送った。

平和の使者として京までやってきた首長のアテルイとモレを殺害し その一族を

生きたまま土に埋めてねぶたの祭りは始まった。

人々はそれを知らない。 知らないどころか 自分たちの祖を封じ込める祭りを

本当の自分たちの祭りだと信じて続けてきている。


なんということをしてしまったのだろう。 京の都の支配者たちは 私たちは

なんということをしてしまったのだろう。
----------------------------

そこにいるのはもはや ひめのゆめではなく 北海道、東北の蝦夷に兵を送った

(過去生)斉明天皇としての私でした。

後悔の念とともに 涙があふれました。

雨の中 傘をさすのも忘れて 黙って山車が通りすぎていくのを見続けていました。

1時間くらいそうしていたでしょうか。

斉明天皇のエネルギーをまとった私の所には 容赦なく攻撃のエネルギーが来ました。

それは アテルイ軍団からのものもあれば その一族からのものもあれば

東北でなくなった坂上軍のものもあったように感じます。


大阪でアテルイとモレの墓に参り 共に東北に里帰りした彼らに なんと誤ればいいのか、、。

それに間にはいった坂上田村麻呂の苦しみ、今でも英雄としてそのエネルギーを使われ

カルマを積んでいる彼の重さを感じた時、 どうしてやればいいのか、、、

京の都は、、天皇は、 公家たちは ただ命ずればよかった。

なんということをしてしまったのだろう。


自責の念で心は張り裂けそうになっていました。

それだけに 今は エネルギー攻撃による体の痛みがかえって救いでした。

東北ツアーの他の参加者たちはどのような想いでこのねぶた祭りを見ていたのでしょう?

だれも 声をかける人もなく 私はただただ 体の痛みを救いとして雨のなかに一人

立っていました。

心も体もボロボロ状態でした。


ずいぶん経って ふと思ったのです。 

私はいったいこんなところで何を感傷にふけっているのだろう。

一人自責の念に打ちひしがれていても何も始まらないじゃないか!

そんなことをするために 私は東北に来たのではない!


その時 初めて斉明天皇としての着物を脱ぎ去りました。

これには この前に経験した 愛知での経験が役にたちました。

天はこの時のために 私にその経験をさせてくださっていたのです。


(つづく)












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最終更新日  2008年08月16日 01時31分38秒
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