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カテゴリ:東北への旅
その時私は関ヶ原から小牧、岐阜、長浜そして京都という場所を戦国時代の転生(エネルギー)をまとって
戦国のエネルギーゾーンを駆け抜けていました。 その時の戦国の転生は 秀吉の妻であるおねの転生です。 彼女自身は子供ができず 秀吉にたくさんの女性ができるという苦しみがあったと思いますが おねほど戦国時代の武将たちと女性ならではの自由さをもって付き合えた人はいないと 思います。 信長さまにもかわいがられ また後に武将として活躍する加藤清正や福島正則などを 育てています。 その日私は この愛知の対立するエネルギーゾーンを感じながらその場からの影響を 受けないようにして京都まで戻ってきました。 関ヶ原の合戦の中では ほんとうに東西入り乱れて 大変なエネルギー対立があったのを 感じました。 なんとかその場はエネルギー攻撃を受けないで帰ってきたつもりが 京都到着したときには 気を失いそうなくらい辛い状態になっていました。 京都駅のハンバーガー屋さんで 喜楽さまに遠隔で応援を頼むとともに 今まで引き連れてきた関ヶ原からのエネルギーのセパレーションを徹底しておこないました。 その時に悟ったのです。 秀吉の妻のおねとしての呪(しゅ)をつけているから その呪(しゅ)によってエネルギーの攻撃が来るのだと。 ここでいう呪(しゅ)というのは のろいという意味ではありません。 安部晴明さまの弟子だったつきのせさまから教えていただいた概念ですが もとは何もないものが 呪(しゅ)をつけることによって 限定を生み出していくのが 呪(しゅ)の考えです。 映画の中に晴明さまが次のように言うセリフがあります。 安倍清明 「男が女を愛しいと想う。女が男を愛しいと想う。 その心に名を付けて縛れば、それが”恋”だ」 万物は名によって呪縛されるというのが陰陽道の理念で 1番短いのが氏名。人は名を持つことによってその人ならしめる、というのです。 私はその時つけていた秀吉の妻のおねとしての呪(しゅ)を手放して 透明になりました。 するとそれまで 縁があってくっついていたエネルギーがよりどころを失って 離れていきました。 この時に呪(しゅ)からの脱出の経験をさせていただいていたのです。 私は弘前のねぶたの会場で 自分を自分たらしめている呪(しゅ)の領域から 脱出して 透明になって祈りました。 坂上田村麻呂のために、 アテルイ軍団のために、 すべての蝦夷のために、 この弘前でねぶたに参加している人々のために、 すべての青森に生きる人々のために、、、。 この土地が祝福され 宇宙の愛のエネルギーに満ちあふれますように、、、 心から祈りました。 私たちのグループは会場を離れ もと来た道を車まで戻ることになりました。 私は皆より遅れてついていきました。 喜楽さまがやってきて「自分がかつてしたことに対して自分が許されないという想いを 抱けば、必ず それを攻撃するエネルギーをくっつけてくるよ。 その領域を抜け出て進むことこそが大切だよ。」そのようなことを言われました。 今はわたしにはわかりすぎるほどにわかっている事でした。 彼はまた その時の私の体に(とくに足に)多くの攻撃のエネルギーが張り付いていることを 説明してくださいました。 実際 私は歩くことさえ困難な状態で 皆についていっていました。 ありが父さんさまが 気にして 時折後ろを振り返りながら歩いてくださっていました。 途中、こんなところにどうしてこんな像がという感じで 木花咲耶姫の像があって そこでエネルギーをもらって何とか歩けるようになりました。 民宿に帰って 彩乃さまがフットマッサージをして治療してくださり それでも 取れない背中に刺さっている刀のエネルギーは 喜楽さまが手をかざした瞬間に ゴボッという音とともに はがれていきました。 ねぶた祭りでダメージを受けた私でしたが 次の日に温泉にいくことになっており その温泉でずいぶん肉体的には癒されました。 ところが この温泉 鳴子温泉という場所にあるのですが 目的地のホテルに行こうとしても なかなかたどりつけません。 道に迷っていったり来たりを繰り返しているのですが そこには小さな神社があったのです。 温泉神社と書いてあります。 どうやら この神社に寄ってからホテルにいくようにということかと判断して 温泉神社にお参りしました。 境内にはいると声がします。 「遊んでいくがよいぞ!」 そうか 遊んでいいんだなと思って 竜宮界のエネルギーを呼びました。 これはその時のエネルギーです。 ![]() その後で ご祭神のエネルギーが降りてきて ふれあってくださいました。 後で調べたら 木花咲耶姫のお父様の大山祇神でした。 これはその時の映像です。 ![]() エネルギーで触れ合うという世界をより強く経験ました。 私たちは宇宙における次元落ちの段階で 私たちのエネルギーに名前をつけました。 けれども どうもその名前にこだわっていると 規制されて不自由なこともあるようです。 確かに名前があると神様もわかりやすいし ロマンチックだと思いますが でも その上にはただ エネルギーだけの世界もあるのだということが体験できました。 私は今斉明天皇という過去生を見つめていますが 本当に私がそうであったかどうかは 定かではありません。 ただ それを見つめることによって テーマがわかりやすくなると いうことがあるのと 斉明天皇が生み出したカルマを だれかが斉明天皇として 解除していくことが一つの波動を挙げる方法かと思います。 ただ それにこだわっても先に行けない。 ただ ただ ある性質をもつエネルギーが 宇宙空間にただよっているという 感覚もどこかで大切にしていきたいと思いました。 ところで この原稿を書いているのは8月16日の午前3時なのですが 先ほどから瀬織津姫から京都のニーナに戻れ、戻れというメッセージが来ています。 京都では今夜は五山の送り火ですが どうやら迷っているたくさんの霊も今年は 天界に送り届けるような感じがします。 北海道のsima♪さまも彼女のブログでそのような感覚をかいておられますし のりぽんさまも コメントで京都の送り火のことを書いておられます。 いそぎ京都へもどります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月16日 14時58分36秒
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