ひめのゆめ活動日記

2011/12/09(金)02:58

大阪湾と「八十島祭」と渡辺党

大阪湾は東に大阪、西に淡路島に囲まれる楕円形の湾です。 その湾の北にはちょうど神戸があります。 この大阪湾ですが  古名を「茅渟の海(ちぬのうみ)」と称し、神武天皇の兄、五瀬命が傷を洗った海を血沼(ちぬ)の海と呼んだのが由来とされ 天皇が即位した時に行われる浄めの儀式とされる場で、 天皇は大阪湾の澄ノ江(住江、住吉の浜)で身を清め、八十嶋の祭事を行ったそうです。 その当時は大阪湾はとても大切な土地だったのですね。 ただ 当時と今とはずいぶん大阪湾の様子もかわっており この八十嶋祭の場所は今の 大阪梅田のあたりで行われたようです。 先日私が宿泊した大阪北新地には 曽根崎と呼ばれる地名が残っていますが 曾根崎の「ソネ」(埆)は、石が多くやせてしまった土地を意味し、元々曾根崎洲と呼ばれる淀川河口の砂洲で、荒廃地であった。 平安時代から鎌倉時代にかけて行われていた「難波八十島祭」(なにわのやそしままつり)の旧跡とも言われ、 祭りに加わっていた須牟地曾根神社は当地にあったとされている。とのことです。 この八十島祭りですが 調べてみると次のように書かれています。 平安時代、天皇即位後の大嘗祭(だいじょうさい)の翌年、吉日を選んで使者を摂津の難波津に遣わし、 生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)・住吉神(すみのえのかみ)などをまつり、国土の発展、皇室の安泰を祈った儀式。 この天皇の清めの儀式に従事したのが 渡辺綱を祖とする渡辺氏です。 海上交通を通じて日本全国に散らばり、各地に渡辺氏の支族を残しました。 彼らは瀬戸内海の海上を統治していくのですが 今週末と来週の初めは この渡辺氏ゆかりの 方たちのセッションが連続して入っています。 なにかが動いているのでしょう。 ちなみに 私とこの渡辺綱さまの最初の出会いは 福知山で三次元的におこりました。 福知山のあおい荘という旅館の前を 通過する時代まつり(福知山鬼まつり)の人々の姿。 勇ましい源頼光につき従う4人の勇ましい武者たち、、 金太郎さんで有名な坂田金時、そして 渡辺綱、、、、。 退治された鬼と解放された女性たち、、 幼いころの思い出が 蘇りますが その当時は渡辺氏が こんなにも日本史で重要な役割を 担っているとは 夢にも思いませんでした。 今、たくさんの光が 渡辺党ゆかりの人々に降りてきますようにと 祈ります。

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