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カテゴリ:冤罪(狭山事件等)
自分の初参加は1983(昭和58)年でした(サンダル履きでの参加でした)。 皆で歌を歌いながらのデモ行進でした。 自分にメガホンが回ってきたときは『かえせ!石川くん』を歌ったと思います。 シュプレヒコールは、だいたい各部落研のキャップに順番が回ってきたときあげられました。 差別裁判うち砕こう インターナショナル 解 放 歌 ワルシャワ労働歌 ベンセレモス(われらは勝利する) We shall overcome(勝利を我等に) 国際学生連盟の歌 原爆を許すまじ 竹田の子守唄 チューリップのアップリケ 山の子の歌 リムジンガン(臨津江) その他、『母は闘かわん』、『抵抗のうた』、『解放の夕焼け』など。 狭山事件の再審を求める『黄色いゼッケン』は、狭山の集会時だけでなく、部落研の日常活動(学内での朝ビラや、昼休みの署名とりなど)でもつけていました。 一般学生の目からは既に浮いてた時代ですが、部落出身学生の中には、ゼッケンを見て名乗り出てくる子がたまにいたのです。それで意識的につけていました。 ゼッケンにはたしか以下のような文字が印刷されていました。
ランニングタイプで、両脇の紐を結んで使うところなど着用の仕方は部落解放同盟のそれと同じだったと思います(遠い目)。ご参考まで。
はるばる大阪からの初参加でした。 学内の教職員、部落研OBからのカンパと、バイトで、皆バス代を工面しました。 到着までは、車中で、上記の歌の練習をしたり(歌詞を覚えたり)、上回生とペアの指定座席上で「冤罪」の例会学習をしたりしていました。 途中、マイクが自分にも回ってきました。簡単な自己紹介と、あと「津軽海峡・冬景色」を一曲歌いました。 石川一雄さんの完全解放が達成され 狭山オンライン署名等の取り組みを通じてつながったみなさんとこのように昔語りができる日が必ず来ると自分は信じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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