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カテゴリ:ヒバクシャ問題
「チェルノブイリの祈り」(岩波書店)を初めて読んだ7年前の2004-12-13、新聞の訃報で偶然、熊取 敏之氏を知りました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。 熊取 敏之さん(くまとり・としゆき=元科学技術庁放射線医学総合研究所長、元放射線審議会長・放射線影響研究)は11日、肺炎で死去、83歳。通夜は15日午後6時、葬儀は16日午前10時30分からさいたま市浦和区駒場2の3の4の蓮昌寺会館で。喪主は妻治子さん。自宅はさいたま市中央区上落合2の4の5の804。 内科医として、54年3月、太平洋のビキニ環礁で米国の水爆実験に遭遇して被曝(ひばく)した「第五福竜丸」の無線長・久保山愛吉さんらの主治医を務めたほか、旧ソ連のチェルノブイリ事故で現地調査をするなど緊急被曝医療研究に携わった。 (12/13朝日) 著者の言 ・・・この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリをとりまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です。・・・チェルノブイリは・・・私たち国民の運命になったのです。・・・私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。このことについて一度も深く考えてみたことがないからです。・・・一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢によって語られることはすでに歴史です。・・・宇宙的な大惨事、チェルノブイリです。・・・苦悩は私たちの避難場所です。・・・しかし、私はほかのことについても聞きたかったのです、人間の命の意味、私たちが地上に存在することの意味についても。・・・何度もこんな気がしました。私は未来のことを書き記している・・・。 チェルノブイリ原発第四号炉と建屋が大爆発により崩壊したのは,一九八六年四月二六日午前一時二三分五八秒。観測データによれば、四月二九日にポーランド、ドイツ、オーストリア、ルーマニアで、三〇日にスイスとイタリア北部で、五月一~二日にかけてフランス、ベルギー、オランダ、イギリス、ギリシア北部、日本で、三日にイスラエル、クウェート、トルコで、四日に中国で、五日にインドで、五~六日にアメリカ合衆国とカナダで放射能値が記録されている。 ちなみにこの本が発表されたのは一九九七年。日本での第一冊発行は一九九八年一二月一八日。九八年現在、この本が刊行された国はモスクワ、スウェーデン、ドイツ、フランス。 (以下は「チェルノブイリの祈り」からの抜粋) 叫び ・・・ぼくはひとりの女性が自殺しようとしているのを見たことがある。・・・煉瓦をひろって自分の頭を打ち付けていた。彼女は村中に憎まれていたポリツァイ(独ソ戦の際ナチスが被占領地の住民から徴募した警官)の子を身篭っていたのです。・・・覚えているんです。殺された父が運ばれてきたときのことを。・・・父は機関銃か自動小銃で撃たれたのです、・・・でも大地は安らかな眠りの地ではなかった。まわりでは戦闘がくり広げられていた。・・・当時ぼくは死を誕生と同じように受け止めていました。母牛から子牛が生まれるときも・・・女性が茂みで自殺しようとしていたときも・・・。忘れてしまいたかった。・・・ぼくが体験したもっとも恐ろしいことは・・・戦争なんだと思っていました。 しかしぼくはチェルノブイリの汚染地にでかけた。すでに何回も。そこでぼくは無防備であることを理解したのです。ぼくは崩壊しつつある。・・・ ・・・最初の数日に感じたことは、ぼくらが失ったのは町じゃない、全人生なんだということ。・・・妻と娘を病院に行かせました。ふたりは身体じゅうに黒い斑点ができていました。・・・「検査の結果を教えてください」と頼んだら「あなたがたのための検査じゃないといわれた。「じゃあ、いったいだれのだめの検査なんですか?」・・・ぼくは証言したいんです。ぼくの娘が死んだのはチェルノブイリが原因なんだと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことを忘れることなんです。 恐怖・・・最初のうち私たちはここでたずねました。「放射能はどこにあるんですか?」「あなたが立つと、そこにあるのよ」じゃあ、この土地ぜんぶってこと?・・・住人は出て行ったのです。こわがって。・・・私はここはこわくありません。・・・私たちはここで家をもらい、夫は仕事をもらった。・・・人間より恐ろしいものってほんとうにあるのでしょうか?・・・土地や水がこわいなんて考えられない。恐ろしいのは人間です。・・・第二の人生を生きるのはもう力がないわ。・・・最近、森の近くで野生化した馬の死体が発見されました。別の場所ではウサギが。殺されたのではなく、病死でした。みんながこれを心配しはじめました。ホームレスの死体も見つかったけど、話題にはならなかった。どういうわけか、どこでも人は人の死体に平気になっているんです。 希望 「ばあさん、ネコはだめだ。そういう決まりなんだよ。毛に放射能がくっついているんでな」 「いんや、お若いの、ネコがだめなら、わたしゃ行かないよ。この子をひとりで残していけるもんかね。この子は私の家族なんだよ」・・・ 「どうしてあそこに残っている動物を助けちゃいけなかったの?」・・・ あそこで日ごろ経験しないことがぼくに起きたんです。ぼくは、動物や木や鳥に近くなった。・・・ぼくらの間の距離がちぢまったのです。ここ何年か汚染地に通っています。すてられて荒れはてた民家から野豚が走り出たり、ヘラジカが出てくる。こういうものをぼくは撮っているんです。ぼくは映画を作りたい。動物の目ですべてを見てみたい。 絶望 ・・・最初の何日か、いちばん問題だったのは、悪いのはだれかということです。それから、私たちはさらに多くのことを知り、なにをすればいいのか考えはじめたのです。いかに身を守るべきかを。いまでは、これは一、二年の問題ではない、何世代にもおよぶことなんだとあきらめて、思い出を一ページ一ページめくりながら、過去をふりかえるようになりました。・・・同級生はみな息子をこわがり、<ほたる>とあだ名をつけたのです。こんなにも早く息子の子ども時代が終わってしまうなんて。・・・よく夢を見ます。陽の光がふりそそぐプリピチャの町を歩いている夢。いまは、ゴーストタウンです。歩きながらバラの花を眺めている。・・・私はとても若かった、息子はちっちゃかった。愛していました。恐怖はすっかり忘れてしまいました。観客でしかなかったかのように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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