パラドックス。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」他力をたのみとしない善人でさえ往生できる。ましてや、悪業に苦しみ、ひたすら他力をたのむ悪人が往生できないわけがない。「善人ばかりが住む家より、悪人ばかりの家に住みたい」私は悪くない、と自己の正当性を主張する人たちに囲まれて暮らすより、私が悪かった、ごめんなさいと素直に謝れる人たちと暮らしたい。「眼が見えると見えないものが、眼が見えなくなると見える」視覚を手放すことによって、他の四感が研ぎ澄まされる。さらに、第六感が目覚める。肉眼を閉じることによって、心眼が開く。「生きていると思っているから、宇宙の命が見えない。生かされていると気づいたとき、永遠の命が生きる」私たちが生きるための条件は、すでに与えられている条件である。太陽はすでに在った。地球はすでに在った。空気はすでに在った…。宇宙はすでにあり、命は遍満していたのである。自分の命が、自分のものだと思っている限り、命には限りがある。死が存在する。命は自分のものではない、大宇宙の命の働きだと気づくとき、死なない命があらわれ、すべてが命そのものだとわかる。自我が死んで、真我が生まれる。個体意識が消えると、全体意識と一つになる。すべて生滅の繰り返し、生死は変化の過程の一形態だと。生きるとは、ほんとうの命をありのままに経験すること。ほんとうのこと、それは、宇宙の命がひとつ、ただ今ここにあるだけ。