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今日のご遺体

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2014年03月31日
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カテゴリ:レア話
 
遺産分割、整理の話し合いは相続人同士でいつするのが適当なのか?

私の中では49日が適当だと思っていたのだが…。

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相続権の放棄とは…
被相続人が死亡して3ヶ月経過していても
【自己が相続人になったことを知ったときから起算する】
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長女曰く
「父親の銀行口座を凍結・解約するため」との返答

故人の口座は
金融機関側に「本人死亡」の情報が入ると口座がストップ
引き出すには相続人全員の委任状が必要
葬儀で急ぐ事は
「故人の口座から必要な金額引き出すこと」だろう
なぜなら最近のご老人は自分の葬儀代ぐらい貯金している。

逆にすぐ解約するとマズイ理由は
・故人の口座から引き落とし(光熱費・通信費)の有無
・振り込み(年金・その他)の有無

を考慮する必要がある。

そうそう一般の人の訃報の情報が金融機関に流れることはない。
実家は地方なので、どんな人でも地元新聞の「地域の訃報欄」に掲載される。
「隠密に葬儀をしたい」母としては速攻新聞掲載を止めた。

知り合いの葬儀屋さんは
「遺産関係の手続きは死後すぐやるとか聞かないし相談もされないな…」と。

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2月9日出発当日

関東は寝雪が残りながらも「やっと行ける」と安堵し空港行きバスを待つが
なかなか暮らせど来ない。
バスに乗れば45分で空港に着くのに道路は渋滞している様子…
やっと来た運転手に「これに乗ったら空港まで2時間かかります!!」

私たち夫婦同様「ギャッーーーー!!」って
キャリーを引きずりゼーゼー言いながら他の何組かの人と共に
駅に走って行き、なんとか飛行機に間に合う事ができた。

グッタリしつつ北海道到着
駅まで迎えに来た次女も「やっと来てホッとした~」と歓迎しつつ
長女に対する注意事項をうながしてきた。



父死亡の夜(2月7日)枕経を上げに坊さんと父方親戚が来た→『えっ?親戚に知らせたの??』

長女曰く「私はアタマ良いのに家族全員オカシイ私だけこの家の人間じゃない!」

2月10日に葬儀屋さんに来てもらい洗女と打ち合わせさせる。
長女曰く「洗女は東京のやり方持ち出す気でいるから、説明してもらう」と…。


次女は

「私は今まで聞き流してきたから洗女もそうした方が良い」
「ママが長女VS洗女でバトり神経ヤラれて憔悴して倒れそう」
「葬儀屋さんもわざわざ呼んで手間取らせるのが申し訳ないから呼ばないで欲しい」

との事だった。

忠告はありがたいが我慢する気が無かった
が、飛行機騒ぎでグッタリ疲れたので勘弁して欲しかった。

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帰宅すると、長女と旦那(義兄1)とその次男そして母がいた。
「げっ、なんでいるんだ?」とスルーし
まずは父に会わなければいけない。

2Fの仏間はタンス3組ある6畳
棺を取り囲むように【白布】が天井から床まで吊るされてボロを隠していた。

それにしてもやけに狭い!と思ったら
タンスの前にパイプベットがあり
それも白布で隠して棺を安置してあった。

「仏間だからこの部屋にしたのか?」
それにしては仏壇の扉は49日まで閉めるものだが全開OPEN
んーこれが北海道流?それともウチの宗派?がこうなのか?

仏間は導師と家族2人しか入れなく
「狭小で通夜かぁ…」
と他の人は茶の間で壁を向いて通夜を迎えた様子だ。


棺は一番安い【桐八】
私も一人でかつぐ事のでき
ネジもなくでカラーボックスより簡単に作れる。

今は棺や骨壷もネットで売っていて、それを持ちこむ人はあまりいないのが現実だが
Amazonで桐八が2万しないから送料入れても大分お得だ。

「パパに欲しいな…」と生前思っていたが
まだ健康な時だったし、管理が悪いとカビとか生えそうだから買わず終いだった。
購入したら自分ん家の棺なのだから
『棺カスタムしたらダメなのかな~』と思っていた。

話がそれるが…
痛車とか痛スノボーがあるから【痛棺】はダメなのだろうか?
棺前面に二次元嫁を描き、嫁の抱き枕と共に
「嫁(2次)と一緒にあの世に逝きたい」と願う人もいるのではないだろうか?

死という断絶や終焉の時、そのような趣味の物を持ちだしたら
「悪ふざけ」と捕らわれるのかもしれないが
今や結婚もしない車も買わないけど
アニメやアイドルには価値を見出し親近感を感じ
「俺たちが育てた!」
と本気で好きな人々は選挙権を百万単位で買う人だ。
凝り性の彼らは葬儀で嫁と共に逝けるのなら
その演出にメチャクチャ凝るのではないだろうか?

アイドルは肖像権があるし、大島優子も棺になるのは良い気がしないだろうが
秋元康やヒャダインがヤルと言えばAKB葬儀社とかスグ出来そうだ。
(あ、でも高くなりそうっ!)

冠婚葬祭はオプションという演出で売り上げを上げる業界である。
それに、アニメやアイドル好きの坊さんなんか間違いなくいると思う
痛棺を見て「故人の嫁も良いけど、ウチの嫁の方がもっといい」と
読経を上げるかもしれない。
冠婚葬祭業界は、消費できる購買層を自由度が低いだけで取り逃しているのではないだろうか?



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「パパ~来たよ~」と桐八の窓を開け父にご対面。

納棺師として気になったのが、棺の窓のアクリル版に砂ほこりが付きっぱなしだった件。
棺は倉庫でダンボールに折りたたまれた状態で保管されており
納棺する前に、ババババーっと組み立て持参する。
桐八はリーズナブルで回転率の良い棺も若干の砂ぼこりや木屑の汚れは必ず付いている。
窓を開けた時にアクリル板の中と外の両面を拭くのは当たり前の作業なのだが
「これも北海道流なのか…」と黙って拭き取って置いた。

当の父は確かに小汚く、髭もボーボーだし片目と口が開き歯も鼻毛も見える…。
でも【良い遺体】でした。

死後3日目、納棺されていた父
死んだ初日につけたドライアイスは溶けてなくなっていたが、臭くもないし変色もない。
闘病中の「病み疲れ」はあってもそれはメイクや処置でキレイに出来る類。


この仕事を通じて、父の遺体を見てやっと実感できたのが
「ご遺体は3、4日目が一番良い顔」
だと言える!と確信しました。

死に際の苦しみの表情も死後変化による筋肉の弛緩で表情がゆるみ穏やかに見える

父を見てグッと胸が熱くなったのは
「眉間に全然しわが無くて、父は苦悩を感じていない」そう思えたから…。
「楽になれたんだ、ヨカッタ。」
そう安堵出来た事がとてもありがたく、父に対して感謝の気持ちで泣けたのです。

色んなご遺体に接すると、頭の地肌からマッサージしても
眉間のしわが取れない故人様もいて、故人の表情は見る者の気持ちを左右します。
「人生の歴史」は技術だけでは改善できないのです


父は眠剤でとにかくいつも寝ていた人。
ベットから落ちてからは歩けないのでオムツをして
少々床ずれが気になりだした頃に亡くなった。

介護してきた母や姉たちは、思い通りに食べたり酒を止めない父に
憤りや不毛を感じていた時期もあったが
我をつき通した死に方により
結果、脂肪が無く栄養素がない父は即身仏さながらに
穏やかな良い遺体になれたのですから、不思議なモノだ


次女曰く
「何かしてあげたらナムナム~って手を合わせてね。だんだん仏に近づいてたよ。」と




延命治療の是非を論じる書籍が沢山ある。

もちろん「死にたくない・死なせたくない」そう強く願う人には
延命治療は大変意味のあるものでそれを否定はしない。

何かの本で
『「120歳まで生きたい」と言っている人がいたのでボクは随分この人は欲張りだなぁと思った…』
と、書いている本がありそれになんとなく共感できるのは
そこには本人の欲の様なモノを感じたからだ。

人生は苦楽どちらの中にいるのが良い悪いではなく
苦しくとも「人間らしい心と感情」で学びがある状態が大切なのだと思う。

父自身は生きることを放棄する様な終末だったが
家族にお礼なんか言ったことない人なのに人に感謝できる人になっていた。

私の中にある「誰かに認められたい」という気持ちは
人に「感謝される」「褒められる」事で感じ取れ
それが「生きる糧・生きがい」になる
だが、感謝してくれる人・褒めてくれる人がいるからこそそれが成り立ち
逆に「生き場所」を与えてもらえているに他ならない。

感謝の感情は心を整えると思う。
小さな事で人に感謝できたり、日常にありがたいと思えたら
「生きてるだけで丸儲け」になり
寿命という命の長さにこだわらなくて良いのではないだろうか?


父は本当は何を思っていたのかはわからない。
でも、私たち家族はそこから感じる事や学ぶ事が沢山あった。
死してさらに感謝を感じられた。
親が子に最後に与えられるものは「死を教える」ことだと思う。

次女はしきりに
「パパはちょうど良い時期に死んだんだと思う、きっと今がベストだと思って死んだんだと思う」
と言う。
こんな状態を治めるつもりで言ってくれているのかもしれないが
仏に近づいた父は、喜怒哀楽など「人間らしい心」は通り越してしまったから
もう人でいる必要が無くなったのかもしれない。




父のような自然に生きる力が消える亡くなり方なら
「遺体が傷むから」という常套句は本来使えない。
腐るというより乾燥し「シオれて行く」という状態。
延命治療が無い明治・大正時代なんかは
こんな亡くなり方は普通だろうし、ドライアイスなど本当に無用だっただろう。

葬儀は忙しく、時間が足りなくて終わってから心残りが1つ2つ出てくるモノだ。
それに、だんだん良くなる表情の故人を
すぐに火葬するのはもったいないと実感した。


それに
もしご自分で亡くなった家族の処置やメイクができるなら?
(もちろん納棺師に頼んでも良いでしょうが)
5,6日はイケるだろうから葬儀は焦らなくても大丈夫と私はそう思う





父への焼香が終わったら、いよいよ「長女と対決」だ
憂鬱な気持ちで棺の窓を閉めた

続く






最終更新日  2014年03月31日 23時32分14秒


2014年03月21日
テーマ:家族(144)
カテゴリ:カテゴリ未分類
 2月7日の夜から降り出した雪は翌朝にはすっかり関東を北国に変えていました。

2月8日:帰省予定当日

「こりゃ飛行機飛ぶのかな…」

寝ないで葬式に行く準備をし、朝一ペットシッターさんと自宅での留守中の打ち合わせ。
雪は一向に止まず旦那が
「えっ!!飛行機欠航っ?」と叫び
ネットやTVを見つつ航空会社に電話しまくりましたが…完全終了


茫然とした頭で
「うちのように葬式でどうしても帰らなきゃいけない他の人もきっといるんだろうな…」
と妄想していました。

とりあえず実家に知らせなければならない。
時間はまもなく正午

洗女「飛行機やっぱり雪で欠航、今日行けないから葬式延期して」

母「えええ?うわぁあぁ~どうしようねぇ」
母は関東では大パニックになっている状態に実感が無い様子。

洗女「なんとかこっちも行ける便探して見るし、列車も乗れるか探すけどでも葬式今日にしたんでしょ?ワタシ聞かされてないよ、だます様な事してヒドイ!」

母「いやぁ、9日の通夜にしようと思ったらお坊さんが骨折してて代わりのお坊さんが8日か10日の通夜じゃないと来れないって言うから仕方がないのさ」

菩提寺の坊さんが骨折って…;
代わりの利かない商売しているのに
随分不注意な坊さんだと少し呆れた。


洗女「ちょっとまって、なんでうちが坊さんに合わせないといけないの?ウチの葬式なんだよ?!」

母「いや~それに長女婿が休み取れないって言ってるし、親戚にももう連絡してこれから来ちゃうから」

洗女「甥っ子達は休みどうなの?オジサン達は?」

母「休み交代したみたいだけど、オジサンたちはみんな定年してるから…。」

洗女「じゃあ、休み取れないって義兄1人の休みのこと?!それに親戚呼ばないで葬式するって言ってたのママなのに何で呼ぶことになったの?!」

母「いやぁ長女が呼んだ方が良いって言うから…モゴモゴモゴ」

洗女「私は実の娘なのに娘婿の休みの都合で葬式出るの我慢させられるの?パパは私のDNAの半分なのに、そのパパにひと目も会えないで終わらせろっていうのかい?!」

母「仕方がないしょっ、ママの葬式の時に来てくれればいいしょ~」

洗女「フザケんなぁーー!!!」


理性がフットンでいる私の背後で旦那と猫が怒り狂う私の姿に怯えている様子が感じられました。

洗女「私はパパに会いたいんだ!
それに私が来なくてイイという事は、実の娘より娘婿を優先させるという事だ!
そういう考えなら私はもう北海道には二度と行かないし金輪際連絡もしない!
そちらからもこの電話を切ったら二度と連絡をしてくるな!!
ママが言う事はそういう事を私にさせるという事だ!!
それでもイイのかぁあああ!!」

母「ううぅ、どうしようぅ、困ったねぇいやぁ困ったぁ;」

私は本当にヒドイ事を言うし、大人げも無いと思う。
でもこんなに怒ったのは、たぶん今まで溜めに溜めたモノが爆発したのだと思う。

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恥ずかしながら、実家の姉2人は仲が悪い。
それはもう最悪と言える状態で
攻撃は主に長女から次女に
時にスコップで足を突いたり、平手打ちされたり…
その2人の関係が少なからず家族を不幸にして来ていた。

私は帰省すると、長女と次女と母それぞれの
「日頃のお互いへのウップン」を投げかけられてきた。


それはまるで転校生や中途入社の新人が古参の生徒や社員から
「この人は自分の味方になるかもしれない」可能性を加味され
妙になれなれしくされる、アレと同様であった。

皆それぞれの立場がある。
皆それぞれの言い分も、それぞれの事実もある。
誰も否定もしたくないし、日頃会えない申し訳なさもある。
誰の味方にも敵にもならないし、無条件に受け入れる
そういう役割の人が家族たちには必要なんじゃないか?

それが三女として私の役目だと思っていた。
姉たち2人の関係は2人で解決する問題。
それくらい私たちはもう年を取り大人になっていたから。

とは言っても八方美人は非常に疲れ、実家から足を遠のかせた。



父は誰にも肩入れする事が無く、いつも平等かつ無関心に家族に接していた。
母はその時、自分に都合が良い、自分の不安を埋めてくれる誰かに寄り添う人で
「条件付きの愛情」が見え隠れする母親だった。

それぞれ嫁いでも、嫁ぎ先より実家との結びつきの方が強い姉達は
今どきの結婚のスタイルなのだろうが仲が悪い。


ある母のその弱さは、私の言葉よりも他者の言葉を信じ
私のそれまでの全てを疑われる言葉を投げかけられた。
それから10年、実家と音信不通にすることにした…。


実は破たんしている我が家で
末っ子の私は何の発言権もなく認められないまま
一人上京し、社会に大人にしてもらった。
社会の常識はまったく知らなかったモノで
厳しく泣く事も多かったが、それは常識が欠如していたが故だった。
そして「人は意外と優しくて丁寧で親切でもある」と
家にいては知る事が無かった事も経験した。


「家族の思想から解放されて本当に良かった」
その後押しをしてくれた父はやはり私に一番大切な物をくれたような気がする。

母の弱さに憤り、姉たちの関係に疲れ
家族に対して誇らしさを感じられないのは
イコール自分自身に誇りを感じられないから。
そしてどこか欠落した部分が自分にあるからだろう。

音信不通の行動は誰一人理解されずとも
意固地を貫き、尚更孤独と業に苦しめられた。
だが何が自分をそうしたのか?
どうして母をそこまで許せないのか?
ある日見た夢が教えてくれた。

「どうして、私の言う事信じてくれないの!?」

そう何かに泣き叫ぶ夢を見て、ハッとして目を覚ました。
母や家族と距離を取りたかったのはその悲しみからだった。
私は母というアイデンティティに否定された気がして
自分を呪っていたのだと思った。


私にとって結婚は「家族を持てる」という喜びだった。
何も知らない義父母を落胆させたくないが為、実家とは連絡を取る様になった。
なぜか、母は私が音信不通になった理由は「父が悪い」としており
父を傷つけていたかもしれない事に怒りを通り越し、母の身勝手さに諦めを感じた。


父と2人きりの夜中に
「パパは何も悪くないし、東京に行かせてくれた事は感謝している」
すでに耳が聞こえなくなっていたのでチラシの裏にそう書いて
誰にも見られない様に破り捨てた。


自分語りになってしまったが、ワタシと己が家の恥の歴史を
独り言の様に告白する事は戒めであり禊でもある。
自己正当化するつもりはない、親不幸で器も小さい。
だが、私はそうやって親や家族に失望し
「自分より大きな存在」と思っていたモノが
「本当はそうでもない」と知る通過儀礼を通し大人になってしまった。

人は自信の無さや恐怖心は、家族間でも溝を生みだす。
納棺師の仕事を通じ、多くの家族の関係を見て
「幸せとは家庭円満で過ごす事」と強く感じるのは、なかなか会えないとしても
誰かとの絆があると信じられる事は死を超越しても
その後の家族の生きる力に繋がるのだと感じ取れたからだ

それは宗教に関係はない。
人が人らしく生きて、親は子供に根拠は無くとも自信を持てるよう育てる事。
単に家族の日々の営み、それで養う事ができるのだと思う。
今、自分は幸福な状態だと思えたら
きっと人は自然に色んなものに目が行き感謝できるようになるのだと思う。


父は生きる気力を失ってしまった。
父は寂しいとか弱音は言ってくれなかった。
父と私たち家族の関係の希薄さは反省でもあり、ショックでもある。
人は一人では生きられないの意味は、心の結びつきの有無の事に他ならない。
円満な家族を持たない私は大きな事は言えない。
円満じゃないからこのような展開なのだろう。
寂しいとシミジミと思う。

TVで「葬儀の場では必ず誰か1人ブチ壊す人がいます」と言っていた。
まさか自分がその1人になると思わなかったが
私は休火山で親の死に触発され爆発した。

円満な家庭を作るためのごまかしを自分に作ってはいけない
妥協できないなら我慢はしなくていいと思う。
小さなわだかまりは疑心暗鬼を生む
家族に嫌われることを恐れず、自分の意見は言って向き合った方が良い
今はそうしなければならない、と思った。

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母「じゃあ、葬儀屋さんも『告別式は別の日にしても良い』みたいな事言ってくれていたから聞いてみるかい?」
母はまた私が良くも悪くも有言実行なので
再び音信不通になることを恐れたのだろう。

再び母から連絡が来て
母「通夜は今晩やるけど、告別式は11日にすることになった」と段取りを整えた。
今回の葬儀で母自身の自己判断で行動したのは死亡診断書と告別式の変更だけだ。

うちでも飛行機は10日まで飛ばない状況が分かり、昼の便をやっと抑えることができた。

母「これでイイしょ?日付も変えたんだからこっちきたら長女に謝りなさいよっ!」

洗女「はあああぁ?なんでこっちが謝るんだー!!謝るのはソッチだろーが!!」

背後で日頃、長女にやられている次女のゲラゲラ笑う声が聞こえた。

母「ああぁ、なんでこんなキカナイ子になっちゃったんだろう…」
母のため息が聞こえたが、私は長女にもし何かされても戦う気は失せていなく
『メリケンサックと安全靴用意してやろうかっ』くらいに思っていた。


2月9日日曜日

昨夜の通夜の様子は誰からも伝えられないが、自宅で行ったのだろう。
納棺は家族で入れたそうだから、明日の10日に納棺されたままでもパパはメイクする事ができる。

そこへ長女からメールが来た。
「友人から聞いたのだが銀行口座を閉じるので法定相続人の印鑑と印鑑証明、住民票を持ってきて下さい」

・・・・。
父が死んでまだ2日である。
財産なんか何もなく、父名義の家があるだけだ。
10日(月)出発予定の朝一に寝雪が残るのに市役所に寄れる余裕などない。
「なんで早々に片づけたがるんだろう…」
長女とはインターバルを置いていたのに、またメラメラと怒りの残り火が燃えあがってきた。


続く







最終更新日  2014年03月22日 02時52分12秒
2014年03月13日
テーマ:家族(144)
カテゴリ:カテゴリ未分類
 
「え?アンタ来るの?」

そのひと言でブチ切れました。

洗女「アンタ来るのってナニ言ってるの!?娘だから行くに決まってんじゃん!#」
長女「いや、来るとかハッキリ言ってなかったし…」
洗女「そんなの行くに決まってるじゃん!日程変えて!」
長女「それは無理だわ、もうみんな仕事休み取っちゃって変えられないし」
洗女「ハァ~#ナニ言ってるの!?普通葬式の日程は一番遠方に住んでいる人が来れる日に合わせるんだよ!!」
長女「それに火葬場の日程も決まっちゃったし」
洗女「とにかく頑張って行くから葬儀9、10日に日延べして!」

姉の言う事は葬儀をする段取りの上で
「こちらの都合なんだからそれは甘んじて受け入れろ」という意味合いでした。

なぜ実の娘なのに自分が父親の葬儀に出られないのか?
葬儀に出られなくても仕方がないと認知されているのか?
「なぜこんな扱いを受けるんだ!」と
旦那に泣きながら訴えたのでした。


「家族が忌引きの休みを提出したからもう変えられない」
が葬儀の日程を変えられない理由だそうです。
が、まだ父が亡くなった当日の話です。

その日のうちに休み変更を受けてくれない会社があるならば
それはブラック以外の何物でもないでしょうし
同じ会社の同僚同士、いつ自分が葬家の立場になるか分かりません。
「お互い様」の精神で助けあえない状況にいるならば
日頃の自分の社内での人間関係の構築ができていないからじゃないの?
とまで思いました。

人間というのはトラブルが生じるとあれやこれやと
ネガティブな妄想が生まれる悲しき生き物で
今の私がそれでした。


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北海道は札幌雪まつり開催中でチケットは最も取りにくい時期
そして気になる東京の大雪の予報

また我が家には現在猫4匹おります。
旅行をほぼしないのもこの子たちがいる事が一つにあります。
今回はいつ帰ってこれるかわかりませんので
初めてペットシッターさんに依頼してみました。

旦那は義父母に連絡してくれて義父は
アワアワと「俺たちはどうしたらいい?」と行く気だったようですが
家族だけで小さく葬儀すると断りました。

義実家に行く度「お父さんは元気か?」と聞いてきて
「父の状態はあまり良くない」と本当の事を言っても
「それでも元気なんでしょ?!」と
「大丈夫、元気です」というまで会話を終えてくれないのです。


父は孫に恵まれたけど自分の殻に閉じこもり、反して義父は1人の孫も抱けないけど精神的に元気です。

同年代の人が具合悪いとか死んだとか
あまり聞きたくないのかもしれませんが
「自分の番」も考え義父は自分の墓を○○○万で建ててしまいました。
義兄もうちも子供がいないので将来無縁墓になるのは
ほぼ確定でどうしたものかと困ってしまいます…。

生前の葬儀相談とか樹木葬の墓地を探したり
「墓友」とコミュニティーを持ったりとたまにTVで見ます。
自分の逝き場所を作りたいという思いが湧き上がり、そういう活動できる人は
「私さびしがり屋だから」と堂々と言える気力のある元気な人なのだと改めて思いました。

父もそんな人であって欲しかったと思いました。


義父は「ウチからは5万、にーちゃん(義兄)からは3万出しといて」
と旦那に伝え香典を立て替える事に。

【教えて○○】みたいなやつでは
「嫁に行った娘の香典は10万」
とありましたのでそれが世間の相場らしく
強ち義父の香典の額も間違いじゃないのでしょう。
義父は旦那に「バッチリ決めてコイ!!」
と鼻息荒く気合を入れてくれました。


「パパも具合悪いし、今年の正月は北海道に行った方が良いかも…」
と話していたのですが、義父は年末になると
「いつ来るンダ?」とワクワクしながらお誘いの電話をくれていました。
父の状況を理解しようとしてくれない義父を少々恨めしく思いましたし
結果あまり帰省できすに死んだ父に申し訳なく思います。

それでも私が嫁いだ「ダンナ家」の義父が
ちゃんと香典を持たせてくれたのは私を
「うちの二男の嫁としてちゃんとしてあげています」
という義父の思いなのだと受け止め感謝しています。
全てが思い通りにいかなくても
嫁に行くという事はそういう事なのかもしれないと思いました。

花向け?に出してくれる義父からの香典は
「ダンナ家」の意地と後押しと思い勇気を得たのでした。
「金を出すんだから口出す権利はあるよな…。」と


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激安とされている航空チケットは
出発に近い日程だとオークション状態で
どんどん値段が上がっていき、購入するのは困難を極め
激安航空機の意味が全くない価格で購入。
それでも2月8日の16時~のチケットが取れたことを伝えると
長女「やっぱ日延べは無理」との返答
…そこから私は姉と何を話したのか血圧が上がり過ぎてあまり覚えていません。
ただ怒鳴りあった事だけおぼろげに覚えてはいますが…。

ですが、葬儀社の人がまだ家にいて火葬場の時間の都合を聞くと
葬儀社「この地域の火葬場は市営の火葬場で火葬料は無料です。
     『到着順での火葬』ですからいつ行っても良いんです。
     予約制ではなく、釜も30機あるので込み合うという事もないですし」


私の住む関東は市営でも火葬料は有料です。
それでも民営より安いので市営火葬場の市民の葬家は、繁忙期には1週間~10日待つなんて珍しい事でもありません。
関東の人は「火葬場の空きがあるうちに予約しないと葬儀がいつになるかわからない」
そこには友引きの火葬場の休みも入る訳ですから
火葬場の予約優先で葬儀の日程を組むのが一般的です。

洗女「ならば家族に焦って葬式しなくてもいい事説明して下さい」
そして長女からは怒った口調で「わかった、葬儀は9,10日にする」と電話を切ったのでした。

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7日の夜には「明日の関東の天気は雪の可能性」と警戒を促すニュースが流れていました。

その後、母が作ってくれた喪服を一応持って行くかどうか迷いながら準備をしつつ
(母も誰も着ないから持って来なくてもイイと言われていた)
次女に電話をしたところ、あれ?なんだか微妙に【話がかみ合わない】

「葬式8,9日になったのわかってる?」と次女

洗女「えっ?だって9,10にするって長女が…」
次女「違うんだって、9,10日にしようとしたら坊さんの都合で
   8,9日か11,12日じゃないと来れないって言うから
   やっぱ8,9日になったんだよ!」


洗女「聞いてない!!。゜(゜▽曲▽。゜)゜。だまされたーー!!」 
  
時刻は7日の23時、もう葬儀の日程も今さら変えられない。

日取りの事は教えてもらえないまま、私は8日通夜が終わった後
ノコノコと家に参上する事になっていた。

それがまた悔しくて泣きながら次女に怒りを訴え
「通夜中に行って思いっきりイヤミぶちかましてやる!」
と虎視眈々と長女に対して湧き上がる怨みと怒りから

「何をしてやろうか~~m(- -m)~呪~」と

ドロドロしたモノを抑えることができないまま
2月8日の出発の日を迎えたのでした。

続く






最終更新日  2014年03月14日 01時44分59秒
2014年03月04日
テーマ:家族(144)
カテゴリ:レア話

そもそも父は突然死に過ぎましたし、死んだ日取りがすごく悪かったです。

2月8日東京に45年ぶりの大雪が降り、首都圏は大パニックになりました。
その週から天気予報で大雪の可能性をうたっていましたが
天気予報がこれだけイヤな大当たりするのも困ったものです。




2月7日
前日から熱を出していた私は、早朝次女から
「パパが死んだよ」の一報で起こされました。
ですが、実家の取り決め事は長女が何でも取り仕切るので
「また連絡する」とのやり取りで再び寝こみました。
(3人とも家庭を持ち、次女は親と3F建て2世帯住宅で同居)

しばらくすると長女から
「葬儀屋さん呼んだ方が良いの?」との連絡
もちろん呼んだ方が良いのですが
もうずいぶん昔から母が、3人娘で墓守がいない事もあり
両親の祖父母と自分たち6人が入れる納骨堂を購入していまして
その寺の【檀家】になっていました。

家で不幸があったなら檀家の寺にまず一報するのが通常です。


洗女「まず寺に連絡して坊さんの顔立てないとダメだわ。
   先に葬儀社に連絡すると別の坊さん紹介スルって言いだすし
   紹介手数料も取られる。
   葬儀屋は後でだよ。
   それに葬儀社は別に1社ですぐ決めなくても
   相見(あいみつ)取って1番いいと思ったところで決めて良いよ。
   あと、パパは1Fに下ろしてね!
   2Fは暖かいからパパ腐っちゃうよ(笑)」

   
しっかりしている長女なのですが
こと葬儀に関しては彼女を買い被りすぎていたのかもしれません。
母親はというと
長女「かかりつけ医に死亡診断書を出されて、止めたのにサッサと市役所行っちゃったよ」との事。

死亡診断書(死亡届)をもらったら市役所に申請すると火葬許可証が貰えます。
それを火葬場で提出して初めて火葬ができ
火葬終了後に埋葬許可証が貰えます。

そんなの今どき葬儀社が代理でやる仕事ですが
チャカチャカ早く片づけちゃおう!と動きたがるのは母と長女はそっくりです。

「母テンパってるな…。」一端電話を切りました。

これが後で最悪の事態になります。

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余談が長いのですが…

葬儀社とお坊さんは大体結託していて
もちろん形式上は葬儀社がお坊さんを祭り立て上げ丁寧に対応しますが
葬家に檀家など決まった寺が無い場合
葬儀社にいる各宗派の言わば【登録派遣坊主】が紹介という形で派遣されます。


派遣されたお坊さんは、葬家からのお布施からバックマージンを葬儀社に渡します。

最近は「お経だけ読んでくれるなら誰でも良い」というくらい
葬儀の宗旨に対してドライな人も多いので
本当に祭壇の大きさに関係なく
【1日だけの葬儀】1DAY葬儀もあったり
お坊さん自体も葬儀社に
「葬式のご用命ありませんか~」と
モロに言わなくても、菓子折り持って営業に来ます。
マンションなどを事務所にし檀家を持たない
【マンション坊主】の方も結構いるので
「呼ばれてラッキー」というお坊さんも割といます。

そもそもこんな宗教離れは各家族とかの社会構造も有りますが
社会に対してその役目を果たしていないから宗教はなれしているのだと思います。

私は宗教は根本的に「悩める人の安心学」で人生の指針や生きるヒントをくれる与えるものだと思います。

が、悩める人はこの世にごまんといるのに宗教との結びつきが弱いのは
宗教家がその役割を果たしていない
人々が相談できると知らない
敷居が高い、洗脳への恐怖、献金の負担、政治への関与などが抵抗感となり
仏教=葬式、神道=初詣、キリスト教=クリスマスなど
イベント重視となるのだと思います。
日本人の信仰の薄さ、信仰に固執しない自由さは
平素な日常を送れる人にも、他国との摩擦の還元にもなりそれは良い事でもありますが
強い意志力を保つ拠り所が存在しないのも事実です。

また、たまに強い吸引力のある宗教があるとしたらカルトだったりしますし;

某出版社でTVの人生相談に出演されるお坊さんと医学部教授の2人が
悩みとは何か?どのように解決したらいいのか?を
対談する企画の本があったのですが
あまりにもレベルが違いすぎてお坊さんが何も良い事が言えず、答えられず辞退された…。
という極秘エピソードの絶対タイトルの言えない名著も有ります。

毎年3月は内閣府が決めた自殺対策強化月間です。
ブッタも「苦行じゃ悟れません」「人は救えません」って言っています。
宗教法人が営利事業で無いのなら
国の代わりに人々に生きる希望を与えるべく
大々的に悩める人を救う活動した方が良いと思います。

(もちろんされている宗教従事者の方もいるでしょうがあまりにも目立たない)

修行の卒業試験で富士の樹海とか東尋坊とかに悩める人を救いに行って
改心させられたら晴れて免許皆伝にするとか。
坊さんになりたいとしてもその適性や能力があるか?
宗教従事者こそ社会貢献活動をして初めて国から認められた公益性のある宗教法人
と言え、それぐらいして宗教の必要性が社会一般に認められやっと身近になると思うのです…が
私は言いすぎでしょうか?
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その後、長女に父の写メを送ってもらい顔を確認して
・父を1Fに下ろしたか?
・ドライアイスや空いている口をタオルなどの当てモノで閉じるやり方
・着せ替え用の服を用意する事
・葬儀社には細かい記載のある見積書を出してもらう事
・必要じゃないオプションは断れる事
と連絡しましたが音沙汰なし。


私がなぜ1Fに下ろせとうるさいか?と言うと・・・
そもそも、母は中途半端に信心深く随分昔から永代供養の納骨堂を買い
成人前に娘3人にそれぞれ50万近くする喪服一式を用意し嫁に持たせ
自分たちの葬式に対する構想を持っていました。
「誰にも知らせないで葬式したい」と。

建てなおす前の家も現在も田舎だからでしょう。
皆で集まり葬式もできる多目的スペースの部屋を作っていました。
以前の家も「この障子を外したら家で葬式出来る様にこうなんだよ」
と幼い時に聞いておりましたし、具合の悪い父を見て
「葬式は家で誰にも言わないで家族葬でいいね」と。

また、北海道の家は暖房をつけていればとにかく温かい!ので
幾らガリガリの父でも状態が分からない私には
「腐敗進行の抑制」や「暖気によるドライアイスの過度な消耗」を極力抑えたいですし

そして狭い回り階段で2Fで納棺されたままだと
棺を立てて下ろさなければならなくなります。
そんな状態じゃ父は棺の中で体育座りになってしまいます。



熱でガンガンする頭で連絡を待っていたらやっと長女から電話

長女「今、葬儀屋さん来てて祭壇作ってるわ」
洗女「えっ?何社か見積もり出さないの?」
長女「お坊さんの紹介で来た葬儀屋さんだからこの葬儀屋さんでイイって」
洗女「…。葬式1日だけ?」
長女「1日だけだとお坊さんダメだっていうから通夜と告別式2日やるって」
洗女「1Fに下ろしたんでしょ?」
長女「下ろしてないよ、もう葬儀屋さん祭壇作っちゃってるし」
洗女「!?なんで!言ったじゃん、下ろさないとダメだって!」
長女「そんな事言ったってそれで良いって言ってるし」
洗女「えええぇぇ?????!!!!」
長女「それで日程は2月8日9日に決ったよ」
洗女「!!チョチョ待って!私まだ飛行機チケット取ってないって!
   それに明日こっち大雪で飛行機飛ぶか分かんないんだよ!!」

長女「え?アンタ来るの?」
洗女「。゜(゜◎Д◎#゜)゜。!!!!!」



ここから怒涛の長女VS洗女の大バトルが勃発してしまいました。
人生初、アラフォーのこの歳になるまで姉とこんな大ゲンカした事ありません。
また、あまりにもメチャクチャすぎて
こんなヒッドイ葬式、赤い霊柩車でも見た事ありません。
今考えるとしょうもないエピソードがあり過ぎて救いようがないのですが
家族葬とか考えている人は参考になると思います。

続く

 






最終更新日  2014年03月14日 00時13分17秒
2014年03月01日
カテゴリ:心理
 
前日の夜から熱で寝込んでいた私は2月7日の朝、次女の電話で
「パパが死んだよ」と起こされました。

父は5,6年ほぼ寝たきりになったのは心の病です。

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父が閉じこもる様になったのは
生まれ持った寂しい心と大切な人や大切なものを次々に失くした喪失感からです。


父は長男で弟1人と姉・妹の6人兄弟。
父の親(祖父母)の教育方針がなぜか

「男は中卒で自活しろ、女は学をつけろ」

と、叔母たちは進学させても父と叔父だけ中卒で家出し米屋の丁稚奉公人に。

「これからは学歴が無ければ苦労するに決まってる!!」と

祖父と大ゲンカした母は自営美容師の金策力で
父を夜間高校に行かせ、父は高校で副会長していたそうです。

母の予測通り学歴で左右される時代となり
叔母たちの連れ合いは地方公務員・JR(旧国鉄)・国家公務員・大学教授
父と叔父は一介のサラリーマンと自動車整備工
生活レベルに差がある事は事実で、父と祖父母の関係は円満ではなく
同じ境遇の叔父とだけ心を通わせられていました。


かわりに父が親の様に慕うのは
趣味で「日曜農業」していた畑の持ち主のUさんのオバーさんでした。
Uさんは連れ合いを亡くし、息子さん2人も独立し単身農業
毎週1時間かけて畑に通う父の方が息子さん達より会う頻度も多く
うちが家を新築した時はUさんを1泊で招待し
「息子にも家に招かれた事がない」と喜んでくれたそうです。


そんなUさんが突然、事故死しました。
冬に屋根の雪下ろしをしようと、体にロープを巻いていたのですが
屋根から落ちてしまいました。
ロープの長さは中途半端で屋根下に落ちる事も出来ない
ロープを這い上がる力など老人にはない
屋根からぶら下がったまま凍死したのです。

事故は北海道でニュースとなり、偶然TVでそれを見た父は絶叫したそうです。
次いで叔父もガンで自分より先に亡くなってしまいました。



2人の葬儀の時、いつも寡黙な父が立っていられないほど泣き崩れたそうです。


その後借りた町内の畑も分譲販売で廃園
聴力も失いどんな高い補聴器も不具合ばかり
北海道内8時間かかるところを日帰り出張できた自慢の運転も
「耳が聞こえないから危ない」と免許も返上
父自身のアイデンティティはほぼ全て失って行きました。

母もいて、2世帯住宅で次女家族の孫が4人、犬や猫も沢山いて
豊かでなくとも安定し、本来恵まれていたはずです。
でも父が人生に心を閉ざしたのはそこからです。


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和田秀樹著『痛快!心理学』より



健康な心とは…「元気な心」を持っている人
問題なのは「感情」の部分です。

「感情」とは気力や情動を表します。
親や配偶者の死への直面
子供の独立、定年退職などで「喪失体験」が次々と起これば
気持ちが落ち込みやすくなるもの無理ではありません。

それに加え、老化で前頭葉が縮むと意欲・気力が衰え無感動になり
神経伝達物質の減少が抑うつ的になり自発性が失われます。

「気力」をなくした人はその意欲を持てません。
歳を取っても「心の元気」を維持するためには
自分の好きな事、やりたい事を遠慮なく行う事が大切です。

「喪失体験」が増えるとその人のアイデンティティの一部となっていた物が
失われると、そのショックはうつ病を招きかねません。


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父は不必要にプライドの高い人で
それが故に頑張れる人でもありました。
そして「悪い人」じゃないけど「良い人」だったワケじゃありません。

仕事で北海道内を車で単独出張・営業してくるのですが
「残った在庫、田舎モンの親父にだまくらかして売ってきた」と
嬉々と話す父を不快に思ったのも事実です。


私は子供のころ、祖父に自分のオモチャを取り上げられ
年下の従姉妹に持って行かれる事が何度かあったり
母から言われ、祖父母にお菓子を
「差し入れだよ~」
知ったばかりの大人びた言葉を使っただけで祖母に
「差し入れとは牢屋にいる人間に言う言葉だ!」
マジギレされ祖母と母は大バトルしていた記憶があります。

祖父母が子供の私に辛く当たっていた部分は明らかに
自己都合・理解だけの行動と発言でした。

私が感じた父への不快感はどこか祖父母と似ていて
不誠実なのにその手段を取るのは、
人を信頼できないし、損したくない、負けたくないなど
何か欠乏したが故の倫理や認識の欠如だったのではないか?
そんな寂しさが心に巣食うのは、祖父母たちも愛情や絆を信じたり感じられなかったからではないか?
今にして気づき、寂しく思うのです。



その後の父は、唯一の趣味の読書もやめ
酒か眠剤を飲んで四六時中寝ているだけの人になりました。

ボケることはなく、内臓も一切悪くない。
でも耳は聞こえないので、家族とは「筆談ホステス」ならぬ
「筆談オジーサン」になり、母は裏の白いチラシを集めていました。

耳が聞こえない事は孤独を深めます。
父の耳は先天的難聴者の方と変わらない程の障害認定を受けました。
みんなといてもつまらなくなると「寝る」とその場を離れる姿に
私は申し訳なさを感じていました。


父が初めて補聴器をつけている姿に
『ズキン』と小さくショックを受け
運転出来なくなっていたり、筆談や鈴の付いた靴も見る度に
私の知る父の威厳がガクン失われていくのがとても悲しかったです。

「カウンセラーに一度連れて行けば?」
父の症状や仕事で遺族の心のケアを学びたかった私は
民間のカウンセリングスクールに通っていた事もあり
そうアドバイスしたのですが、父は硬くなに拒否したそうです。
どこかに出かける事に誘っても、黙って首を横に振るだけ
家族は父を前向きにする事はどうしてもできませんでした。


そのうち、酒のせいでやけに転ぶと思ったら
実は脳出血していて緊急手術
幸い命に別条も障害も残らず
手術した病院では長期入院させられないので、断酒目的も兼ね精神病院に入院。
看護師さんに話しかけられても聞こえず返事できないので
病院内でどこにいてもわかるように
父のスリッパには鈴がつけられ
チリンチリン鳴らしながら見舞いの私をニコニコ迎える父に胸が締め付けられました。


その後の父は完全自宅療養です。
結果、少しずつ命が枯れていきました。


手術後一瞬でた痴ほうも全く頭は正常に戻り
お稲荷さんや柿とかバナナなど少々の手乗りサルの様な生活
どんどん痩せて行きガンジーと呼ばれるようになり
自力で歩けなくオムツになりました。
父は現状維持できたとしても元気になる見込みはありません。

「延命はしない」と決めた母は
無理に胃ろうや点滴する事もなく
病院からの栄養食1缶だけ自由に食べれる様、枕元に置いていました。

今年の年明けにベットから落ち激痛を訴え検査してもどこも骨折もしていません。
ですが、1カ月後に肺炎で亡くなりました。


酒を飲めば、眠剤で眠れば
「何もないと感じる自分」と向き合わず眠りにつける
何も考えたくない、感じたくない…無になりたい
そう思っていたのではないかと思います。

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最近、心理学の本でアドラーが注目されています。



アドラーは【前向きな心理学】で
トラウマの経験があっても人生には
立ち上がろう、行動しようと思える前向きさがあれば
過去の経験は関係ないと言います。

否定はしないのですが万能ではないなと思うのは
「心の体力がまだある人には有効」な心理学だと思うからです。

頑固さの下の誰よりも寂しさを抱えた父の生命力は
「辛いなんて感じていません」
という無表情を貫くプライドが支えていたのだと思います。

幼い頃から我慢が多かった父
心の内を明かす事こそ生き恥であり
黙って耐えて飲み込む事
でも、納得しきれない失ったものへの悲しみを
見つめつづけない為に眠り続ける。
その理由を誰にも言えないし、自分でもそうとしかできない。

不器用で素直じゃないけど父は自分なりのプライドを貫いたのだと思います。

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大雪と札幌雪まつりの影響で飛行機のチケットが全く取れないのに
8,9日で葬儀の日程を決めてしまった長女と大ゲンカしました。

結果、帰れないので通夜には出れず母に告別式を12日に延期させました。
やっと10日に帰れる前日、父の写真を次女に撮って送ってもらい
傲慢だと思われても「我をつき通して本当に良かった」と反省していません。

なぜなら、父はとても穏やかな顔をしていて
見た事のない父にちゃんと会う事ができたから
こんな父に会えなかったら一生後悔していたからです


寂しさも苦しさも苦悩も感じさせない表情は
「父は楽になれたんだ」という
大きな安心感をくれました。

親孝行らしい事は何もしなかったけど後悔していません。

父の力の抜けた顔を見て救われたのと同様に
究極に親が子供に望む事は
「子供がちゃんと笑えて生きている」
それだけだと思うのです。

父が私に望むのは「見ていて安心できる事」だと思うからです。

子供が人生にくじけず生きていく事。
それは時に難しいけど唯一続けていく親孝行で供養だと思っています。

「パパ、やっと来たよ~お疲れ様だったねぇ」
もう無理しなくて良くなった父の亡骸にそう声をかけました。


続く






最終更新日  2014年03月02日 04時13分58秒
2014年02月20日
テーマ:家族(144)
カテゴリ:グリーフケア

関東で45年ぶりの大雪の前日、2月7日実父が77歳で亡くなりました。



「納棺師、自分の父を納棺する」です。

パパ


朝、母が起きて父を見に行ったら死んでいたそうです。

死因は肺炎、ここ2カ月弱は病院からの流動食の缶しかとれず、食事は受け付けませんでした。
体重は36キロ以下まで低下し不精ひげで小汚く
姉たちは「乞食かガンジーみたいだ」と言っていました。

目立った病気はなく、内臓疾患もなく
母曰く「むしろママより血液サラサラかもしれない」とも。
年齢的にも少し早い気がしたので
「生命力が尽きた死」そんな気がします。
父はここ5,6年ほぼ寝たきりの自宅療養で
寝たきりになったのは心の病です。
本人にとって、とても辛い日々だったと思います。

父を納棺したけど遺族としては初めてですし
ありとあらゆるトラブルが勃発し、書ききれませんので
徐々にアップしていきます。

今回は私が父へのケジメとして書いた
グリーフレターについて紹介します。

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グリーフレターとは・・・

(深い悲しみの手紙)とも言います。
一般的には、大切な人を亡くすという大きな喪失をした時に使われます。
これを書く事で故人に別れを告げるのです。

一種儀式の様なもので気持ちの整理がつきます。

自分の中にまだこんな気持ちがあったのかと気づきます。

ありがとう(感謝)
謝りたかった事(謝罪)
怒っている事や残念な事(怒り)
さようなら

『悲しみにおしつぶされないために、対人援助職のグリーフケア入門』より




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上記はグリーフレターに書くと良い【感情】の内容です。
共に過ごした人の事を振り返るなら必ずこれらの感情は抱くと思います。
私はおぼろげにしか覚えていなかったのですが
それでもなんとなく内容にそぐわっていると思います。


「死んだ人間を悪く言うな」と言いますが
私は人は死んでいても人だと思っています。
その人と経験した出来事は全て事実なのです。
相手が悪かったり、自分が悪かったり誤解があったり色々あります。

死はショックや悲しみで気持ちが覆われるかもしれませんが
何年もその心の悼みを持続しているのは、心のどこかに

「亡くなった人にもう一度だけ会いたい」
「亡くなった人に思いを伝えたい」


と、実現する事のない夢を抱いていたり
故人との関係性の中で未完の問題が残っているからだと思います。

「この人は死んだのだ」とハッキリ認めてしまうと本当に関係性が切れてしまう
辛い気持ちや悼みを持続させる事は
「終わらせたくない」「終わりにできない」気持ちの裏返しなのだとも思います。


「辛さや悼みを感じてでも、故人の事を思っていたい」

それも確かに良いと思います、苦しみや悼みとより深く共存できるのなら。


私は父の事をこれからもずっと
「かわいそうな人だった」
と思い続けたくありません。


謝罪も感謝も父をどう思っていたかも
私の中に確かにある感情や事実は伝え
不憫な父と不出来な娘の通じ合わなかった
不完全な親子関係だったから
私たちは不器用だったから
手紙の形で気持ちを整理したいのです。




■以下パパの棺に入れた手紙・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

パパへ


素直でかわいい子でもでもなくて生意気で勉強も出来なくて
私ができた親孝行は、夫と結婚した事と健康で
のんきに生活している事だけです。
不出来なバカ娘でごめんなさい。

ですが、私たち娘に対してパパはあまりにも不器用で
愛情が伝わりにくく、コミュニケーションも対話も思い出も
あまりにも少なすぎました。
私たち親子、家族はもっとちゃんと向き合うべきだったし
そうして欲しかったと思い残念です。

私はとても自由な人生を送っています。
私の誕生を家族で唯一望んでくれたのも
人生の選択肢に迷った時、背中を押してくれたのも
私の事を一度も悪く言わなかったのもパパだけです。
だから今の私がいます。

家族から離れて暮らす自由は孤独と背中合わせです。
末っ子の私はパパやママと一緒に過ごした時間も
世話しない分、パパやママから受ける恩恵が一番少なかった事も事実です。

それは損だったのか?自分は幸せなのか?と
兄妹と比べ考える事もありました。
でも家を出たからこそ、家族に影響されない
私だけの考え方を持つ事が出来ました。
その事で心が解放されたのも事実です。
自由をくれて感謝しています、ありがとうパパ。

不器用にニヤニヤ笑う姿はキモチ悪いとかさわやかじゃないとか
水虫も大きな声でするくしゃみも鼻水もすごい汚くてイヤだし
お風呂出た後、素っ裸でソファで寝てるのも最悪だと思ってましたが
今となると嫌な思い出だけど懐かしいです。

若い時の男前の姿の写真なんかはこれから友達にも世間にも自慢して行けます。
メケメケだから(笑)
パパメケメケ時代

若い時、美輪明宏さんに似てると言われあだ名「メケメケ」だったとか。


悪い事ばかりじゃなかったけど、人生の終盤パパが失ったものが
パパの人生には大きすぎて重すぎて悲しくて苦しかった事
誰もパパを苦しみから救う事ができなかった事
そして、パパの子供の頃からの人生の苦悩を思うと
胸が押しつぶされそうになります。
パパが明るい人生を送って来れたなら
私たち家族の形ももう少し違った形だったんじゃないか?
そんなことも思いました。

今、パパが人生を終える事がやっとできて
私は悲しみよりも心から「お疲れさまでした」と思っています。

もし、パパが今度生まれ変わるなら本当に愛情に恵まれて
パパ自身が素直に笑顔になれる
そんな環境に生まれることを私は心から祈っています。

そんな風にパパの事を思える私になれた事
パパからの最後のギフトだと思い、しっかり夫と噛みしめて生きていきます。
パパ、どうか私たち夫婦を見守っていてください。

巡り合わせで、たまたまパパの子供に生まれて
親子になったけど、いつかどこかでまた会えるのかも?しれないですね。

それまでは今いる世界でパパが好きな人達と楽しく過ごしていて下さい。
私が行ったらヨロシクお願いします。

その時までさようなら、また逢う日まで。

p.s.お土産に私の結婚式の写真持っていってねV


                     パパの三女、結子

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



実家に帰り、家族それぞれに「恨み事でも良いから手紙を書いてみたら?」
何気なく勧めましたが書いたのは母と2番目の姉だけです。

手紙は故人に思いを伝えられた様な気がしてわだかまりが
無くなり心が昇華しやすくなります。

小学生と中学生の甥っ子たちが
「ジィーちゃんキタネーんだよっ#」
父に投げかけていた乱暴な言葉が父の娘としてとても悲しくて
それでも可愛い彼らがこれから先、後悔して欲しくなく書いて欲しかったのですが
…伝わらなくて残念です。

書いた手紙は家族でお互い内緒です。
キレイな文章でなくとも、父に気持ちは届かずとも
自分の気持ちを文章で書きだす事は、波打つ心を整える事ができます。

「私が知っている父」に私は気持ちのケジメはつけられました。

父に「キモッ」なんて言っていたどうしようもない私の中にも
父の心の平安を望んでいて
「意外とワタシ良い子じゃん!」なんて…。
イマイチ親子で通じ合わなかったけど
「それなりに親子愛はあったのか…。」
…今になりやっと父に愛されていた事を感じ取れ
気づくと自然に感謝の気持ちと涙が出るのでした。


私があっさりしているのは親の事を神格化していないし
物理的に離れているからでしょう。

育ててくれた事には感謝していますがそれ以上でもそれ以下でもなく
冷静に「能力もあるけど欠点もある人」と客観的に見る様になっていました。

残された母もいつかいなくなるのも自然の事で
老人扱いは少々気が引けても
出来ない事が増えても
嫌味無くフォローは出来ていると思います。

祖母が死んで25年ですが母は今だ祖母の死を
「かわいそうだった」と胸が痛む様です。
私は「やさしくてかわいいバアちゃんだった」ですが
祖母を語る母と私たち家族とでは温度差があり
母の言葉を聞く度、みな胸が痛むのです。

祖母は76歳の母には今も母親のまま
それを卒業できないで良いのだろうか?と懸念しています。


うちの父の様に天命で死ぬ人もいれば
長く苦しい闘病で苦しんだり
生涯病と闘う人もいれば若くして病気になったり
志半ばだったり、事故や自殺、災害、殺人など
残される人の胸が引き裂かれ苦しみを伴う
出来事も沢山あります。

ですから、手紙は葬儀の副葬品として
その時までに書かなければいけないものとは言いません。
心の傷が深い人は、手紙を書いてもすぐに心が晴れると言えないからで
「手紙を書きたい」と思えた時が丁度いい時なのだと思います。

私は大好きな祖母や大切な人が亡くなった時
その人に対する感情を誰にも言えず心に秘めて
自分の中だけで押し殺したり
今まで青空を見上げ「今何をしてるかなぁ」と
その人を思ったりしてきました。

私の母は長女で戦争も体験した子供時代に
祖母と共に大家族を支えた苦労や苦しみが
今だ心の刻まれているのだと思います。
私たちはそれを受け止めるのが愛情なのかもしれません…。

手紙という形にすることは
少しずつ混乱した様々な自分の感情や故人との出来事を
とき解き昇華できる作業になると思います。
それは何かが変わるきっかけにはなると私は信じています。


パパ遺影
パパの遺影と棺


遺影が悲しく見えるか微笑んで見えるかは、見る側の人間の心次第です。

具合が悪くなる何年も前に用意されていた父の遺影写真を当時は
「うすら笑いで気持ちワルっ」と感じていましたが
きっとあの遺影は母が思う父のごきげんな表情で
父もそれなりに気にいっていたからOKしたのでしょう。
お陰さまで乞食でガンジーな父を遺影に近くなるようメイクできました。

昔は7:3にポマードべったりのおしゃれオジサンだったのですから
私たちは父が思うカッコいい姿にして父を送りだしたかったのです。

今は私にもあの遺影写真はとても良い写真だと思っています。
どこかで父も喜んでいてくれたら良いなぁと思います。


【今日の教訓】  不器用だから伝えられる愛もある







最終更新日  2014年02月21日 02時30分30秒
2013年10月09日
カテゴリ:残念な話
美しい女子高生が刺殺された。
犯人はすぐに捕まったが女子高生は2時間後に亡くなってしまった。
女優志願のキレイな子で、この衝撃的な事件にTVでは「かわいそ、かわいそ」の悲劇扱いなのだが…ネットからするとかなり違和感がある事実が発覚した。

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犯人とはフェイスブックで知り合い交際
2人仲良く撮った写真もネット上に公開されていた。
そして別れに至る事になり、怒りから犯人は彼女との性的関係を伺わせる
あられもない姿の彼女の写真を海外サイトを経由してネット上に公開してしまった。
マスコミ・大手プロバイダーはその事には触れていない。
が、ネットで一度公開されてしまった情報は日本中・世界中の人の目に晒されてしまった。
「流出した情報は誰かが絶対見逃さない」
今はそんな世の中なのだ。

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「明るく努力家のアイドルの卵が変質者に刺されたみたいな事件になっとる、マスコミの限界がよくわかる事件やな 」
「ネットが事実でマスコミが嘘と言う形w綺麗な顔立ちの子だから擁護の意見が多いけれどビ○チが一人殺されましたってだけの事件」
「FBで知り合う →仲良くなる→容疑者エ○写真を要求→女子高生が自画撮りして送る→自宅で密会→女子高生が飽きて容疑者を捨てる→容疑者画像をUPして脅迫…こんなところかねー」
「トップニュースで扱ってあーだこーだ語るコメンテーターがアホ極まりないな 」
「被害者の人権を守る為だからね、仕方ないね 」
「マスコミには「報道しない自由」もあるらしいでいいんじゃね 」
「被害者は本当に可哀想だと思う 、しかし芸能人にでもなろうとする者が自らエロ画像動画という時限爆弾を仕掛けるのは馬鹿だと思う 」
ネットユーザーの正直な感想だ。


この事件でインタビューされた近所の人は
「この辺でこんな事が起きるなんて信じられない」
「近所でも評判のいいお嬢さんだったのに…」
と純粋にショックを受けているが2人の関係を知ってしまったら…。
人は美しいもの規律正しい人に疑いを持つ事がない。
だが改めてちゃんと認識しなければいけないのは「美しい」とは必ずしも正義ではないのだ。


【考える人とおめでたい人はどちらが幸せか】著者シャルル・ペパン著はこう言う。
『美は、私たちを導き、奥に秘められた価値に同意させようとする。
その魔力の恐ろしさを示すいい例が、ナチスのプロパガンダである。
美しい行動、権威を誇示するかのような巨大モニュメント。
ヒトラーを中心とした全体主義政権は芸術家を動員し、自分たちの政策、価値観を広めようとしたのだ。…私たちはそれを当然の様に受け入れてしまう、あげくの果てに
「こんなに美しいものが間違っている筈がない」などと思いこんでしまうのだ。』

マスコミが彼女のしてしまった事を報道しなければ
「こんなかわいい子がかわいそうに」で終わる人もいるだろう。
全てを白日の下に晒すインターネット
知る人には「マスコミは全て報道はしていません」と証明された事になる。


彼女はまだ高校生で恋愛上での冷静さを失っていたのかもしれない。
だが彼女は自分の美しさの力は十分に理解し、それを使って生きて行こうしており
事実表面上はそのようにしてきたのだろう。
だがおこなった事がいかに自分を傷つける「取り返しのつかない事」か?
気が付いた時には脅威はもうそこまで迫ってしまった。

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残念ながらこの事件は日本語で言うと
「痴情のもつれ」…リベンジポルノ事件というなじみの無い言い方になる。

リベンジポルノとは…振られた仕返しに、元恋人の裸の写真をネットに投稿する――このような「リベンジポルノ」と呼ばれる行為の事を言います。
「リベンジポルノは(恋愛)関係が終わったときに始まることが多い。かつて同意の下で撮られたプライベートな写真が、被写体の同意なしで、あるいは被写体が知らないうちに、あとで他人にばらまかれ、オンラインの複数のサイトに投稿されることもある」

これを禁止する法律が、米カリフォルニア州で制定されており違反すれば最大6カ月の懲役や1000ドルの罰金が科せられます。

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結果、彼女の写真を公開した犯人の思惑通りにいっている。
目的は相手を苦しめる事。
犯人は彼女の夢を復讐の為に壊したかったのかもしれない。
だがそれだけじゃおさまりが付かず、殺人に至った訳だが残念ながら個人的には彼女にも十分落ち度があると思えてしまう。
将来を思うなら幾ら未成年とは言え「自分の行動と発現に責任を持つ」事を知らなければ
どこから足をすくわれるのか分からないのだ。

人生はどこで誰が自分の足をひっぱるか?…そんな恐怖がある
石田徹也作「健康器具」


最近は「ちょっとした優越感」から世間に公開した写真や発言が
世界中のあらゆる倫理感にさらされ「審判」にかけられる。
そして公の晒された記録は回収できないのである。

当然ご両親もなぜこの事件が起こり、何が晒されているかもう知っているだろう。
彼女の育て方として良い事と悪い事をなぜもっと理解させる事が出来なかったのか?
両親それぞれ男親・女親という性別の違いや親としての役割や関わり方の違いから今後苦しむ事を思うと他人事でも絶望的な思いがしてくる。

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【告発のとき】という映画がある。


イラク帰還したはずの息子は42か所刺された上で肉片に解体され燃やされ更に害獣に食い荒らされた姿で見つかった。
「あんなに良い子だった息子がなぜこんな事に?」
怒りの捜索をして行くうちに実は息子はかなりの暗黒面がある人物だったと知り…
「誰が真の悪者か!?」と断言しきれないかなり後味の悪い作品。

時代により正しい生き方とはその時々で変化するモノなのだ。

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高齢者を踏切事故から救おうとして亡くなった女性の事故は葬儀が終了するまで連日報道された。
「彼女の正義感」を人々は論じ「自分ならどうするか?」と実に考えさせられた。

そんな彼女の「小学校の卒業文集」までニュースで紹介されていた。
『私はどうしたら正しい人になれるか?それは努力する事だと思います、でも努力はとても大変…でも頑張りたいと思います』
というような内容で「彼女の骨の髄からの誠実さ」が涙を誘った。
が、私は思うのである「今は亡き彼女は本当は少し後悔しているんじゃないか?」と。

「『自分は』正しいと思って疑わなかった行動が取り返しのつかない事になる」
そんな出来事が今とても多いと思う。


今回の女子高生の事件、飲食店の冷蔵庫に入る若者たち、土下座させ逮捕された主婦、そしてこの踏切事故の女性。
踏切事故の女性は確かに正しい…自分の心に正しい、だが彼女は家族や友人知人に対してまで命をかけて行うべき事だったのか?
彼女は正しい…が自分が死ぬかもしれない危険性も自死したかったかもしれない「高齢の男性の本当の苦しみへの理解」はあったのか?
価値観の視野が一本筋は通っている。
だが「自分が支える、自分を支えてくれる大切な人達への責任」
それを思うと、本当の所は一瞬の判断・ノリで決断出来なくなるのも当然なのかもしれない。


良き行動力があることはすばらしい事だ。
自分を晒されても恥ずかしくない生き方をしていれば、何も恐れる事はないのかもしれない。
だが残念ながら、どんなに正しい生き方をしていても世の中の全ての人は全員「イイネ」と賛同はしてくれないのだ。
                                   
ある芸能人が「全員が自分を支持してくれる訳でもないし、自分を嫌う人がいるのも仕方がないと思う」
私はその達観した思いにこそ「イイネ」と思った。
それは本当に仕方がない事なのだ、なぜならば世の中の多様な価値観がありどんな感情あれど、思う事は自由なのである。


人の目線や意見に左右されてばかりいては、自分の気持ちを生かす事はできない。
だが人は悲しいかな、【数の脅威】には勝てない部分がある。
小さなコミュニティーでさえ、その中で支持されない事は生き難さにつながる。
生きやすさとは…自分の発言・行動次第なのだ。

我々は社会をにぎわし、眉をしかめるようなニュースを見ていつまでそれを「今後の教訓」にし続けなければいけないのだろうか?
正直最近すこしうんざりしてきている自分もいる。

お子さんを持つ親御さんには子供に自分の情報を発信する時は「それは一生残るモノだ」と徹底的にネットリテラシー教育をした方が良いと言う事だ。
発言一つが将来の自分を助け足を引っ張ったりもする。
小学校時代作文集のタイトルは大抵「足あと」だったがそれは=「消せない足あと」
だと今さら気づき、誰も教えてくれなかった事も含め後悔が過った。
もし、過去に「はずかしい足あと」を残してしまったとしたら…?
謙虚に過去を反省、素直に「ワタシ本当にバカでした」と恥じる勇気とそんな自分を笑い飛ばせる精神力が必要になるだろう。
人生のハードルは「無駄な事で」高くしない方が良い、誰かを悲しませない為にも。







最終更新日  2013年10月10日 02時04分40秒
2013年09月08日
カテゴリ:宮崎駿

…前半からの続き

「苦しい思い出のハズなのに、なぜ…?」


この事をもちろん父とも話していないし家族には今も言えていない。
軍歌という戦争を賛美するような代物を歌う父は泣いていたのか?懐かしんでいたのか?触れられないのだ。


彼ら世代が味わった経験者の思いは永遠に消えるモノではないのだと思えた。
同時にその影響を子供世代も確実に受けている事も痛感した。
私の知る親と言う人達が感じて学び、その生き方を見せつけられ育てられた私達。
ミームという文化は善し悪し問わず伝えられてしまう。
環境のせいばかりにしてはいけないのは十分理解している。
それでも大人になり考えるのは
「過去に大きな大戦がなければ親も私も違う人生だったのではないか?」
と思えてしまい少しだけ泣けてくるのだ。

ヒトラーの元護衛で、第二次世界大戦末期のヒトラー最後の日々を目撃した最後の生存者、ローフス・ミシュ氏(96)が5日ベルリンで心臓発作のため死亡した、というニュースがあった。
分からないなりにも、何か心にチクンと棘を感じるニュースだった。
この世の大きな慟哭は世代を超えた影響力が残るものだと今は実感できる。

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引退会見の話に戻ると…

韓国の記者「風たちぬのゼロ戦問題についてどう思いますか?」という質疑に対し
宮崎監督:周囲も「風立ちぬ」に対して難色を示す反応があったとはいうものの
「ぜひお金を払って映画を見てほしい」と個人の意見を述べなかった。


もちろん公の場で政治的意見を述べる立場にないこともそうだが
誰よりも間違った政治、権力、社会風潮を憎んでいるのが宮崎駿世代だと思う。
作品から何を感じ取るかはその人の経験や感性からであるからゼロ戦設計を主体のテーマにしても伝えたいのはその心の部分だからなのだろう。


人は生きていかなければならない。
その為には国民が飢えることなく経済を周らせる為にも、国民が一致団結し同じ方向性をもつことが有効策だ。
それもどこまで国民だけの為なのかはわからないが…。

シリア問題でアメリカはG20で賛同を得ようと必死になっている。
中国も韓国も日本を様々な形で攻防してくるのはそういう国策の一環もあるのだろう。
共通の敵を作るのは国民の団結力=国力が上がる近道だからだ。
この情報化社会に未だ戦争のプロパガンダ方式を持ち出し
それに感化されているかもしれない人達に呆れる以外にどうしたらいいのだろう?
人はきっと何かにこだわり続ける事で怒り続け、傷つき続け、負け続け、悲しみ続けるのだと思う。


2012年10月に流通ジャーナリストの金子哲雄氏が若くして亡くなったのは世間に衝撃を与えたが
奥様である金子稚子さんは著書「死後のプロデュース」の中で
「必要以上に悲しみ過ぎないでいられる事の方が大切だ」と言い切る。
グリーフケアの世界ではよく「いつまでも悲しんでいい」とは言われるが私も違和感を感じていた。
大きな喪失、悼みであっても悲しみ過ぎるのはソレに取りすがる事だ。
本当にそれでいいのだろうか…?


初めの1歩はキツイとしても
傷ついた心を自分なりに整理していく事、受け入れていく作業は悲嘆を癒すには必要なのだと思う。
宮崎駿監督が「生きろ」という答えだけを持ち、作品を作り続けた事。
金子夫人が執筆とそれまでの関係者に全国を挨拶して歩いている事も
自分を奮い立たせ、長い期間をかけて答えを模索しながらたどり着くのだと思う。
だがその道すがらは苦しくとも必ずゴールがあり、必ず成長できる旅なのだと思う。

自らを幸せにする為のこだわりじゃないなら、それは過去に負け続けている事にならない。


そんな事を考えると、宮崎駿監督の過去の作品もゼロ戦についても個人的意見は差ほどない事に気が付くのだ。
ただ「愚かさとは何か」は作品からもそれぞれの意見からも見て取れる。


時代が流れどのように変わるか分からない今の世の中に
今も生きづらい環境や状況に置かれている人はたくさんいる。
「ふつう」とか「一般的」と思われる凡庸な幸せさえ手が届かない、苦しい環境下に虐げられている人はきっと沢山いる。
そのせいで明るさや華やかさや普通ささえ目にする事で心がキシキシする思いを抱く事を「行儀が悪い」と宣言する事は相手の事情を深く知ると指摘できない事だと思える。

それでも
今どんなに辛く苦しい人生、状況の人でもそれを乗り越えなければならないと言われるのは、
今そこにいる人にも「希望」を託しているからかもしれない。

親世代と行き違いはあれど、共通するのはおそらく子世代には前を向き幸せに生きて欲しいという愛だろう。

今朝2020年のオリンピックが東京に決ると言うビックニュースがあった。
開会式・閉会式の総演出を願わくば宮崎駿監督率いるジプリで占めて欲しいと思った。
空には飛行石をまとった木が浮かび、王蟲(オウム)が歩き、ナウシカにメーヴェで会場中を飛んで欲しいな、と。
世界に誇る日本のアニメ産業で世界中の人に伝えて欲しいのだ。
「この世は生きるに値する」と。

 








最終更新日  2013年09月08日 18時36分23秒
カテゴリ:グリーフケア
3,4年前の夏になるだろうか?
宮崎駿監督をすぐ間近で見かけた事がある。
スタジオジプリの隣の家にメイクに行ったのだ。

スタジオジプリはその建物自体「そのまんま宮崎ワールド」ビデオ
外から見る感じでは1Fは「癒し系の喫茶店かな?」と思わせるような和みを感じさせ
「なんか良い雰囲気、入ってみたいな」と感じさせる場所だった。

「ここがジプリか~」なんて感じ入りながら仕事の途中、何かの拍子に外に出ていると
宮崎駿さんが隣のジプリの前をふつ~に歩いて歩く人おられた。

「うわっ!本物の宮崎駿!!」と驚愕しびっくり
「どーしよー握手してもらいたい!でも仕事中だし、隣の家の不幸で来た納棺師が不謹慎すぎるかもしれないし、ハヤオにも失礼だと思われるかもしれないし・・・」雫
と【世界の宮崎】をガン見しながら混乱している間にジプリの中に入って行ってしまった。
(たぶん少しぐらいは目があったとは思う)
あの夏から私は一生の後悔を抱えてしまったと言える。
私がメイクを行ったご葬儀はそこそこな規模のお葬儀でジプリからも供花が出されていた。
個人の一生の思い出となる経験値をあげる為に、職務を犠牲にしていいのかどうか?
私は未だ答えが出せず、あの時握手の一つお願いできなかった事を後悔し続けている。

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宮崎駿監督の引退会見を感慨深く見ていた方も沢山おられるだろう。

現在公開中の「風立ちぬ」
まだ観ていないし、評判は賛否両論で庵野監督の吹き替えに違和感を感じそうで二の足を踏んでいたが
やはり会見を見て「観に行こうか」と気持ちが揺さぶられた(単純か?)

宮崎駿監督:子供たちに「この世は生きるに値するんだ」 ということを伝えるのが根幹にあると思ってやってきました。

「そんなにかっこいいことは言えません」
とも言われたが充分にカッコよく、重みのある言葉だと思う。
ナチス強制収容所に収監されていた
V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う」
共通する思いがあると感じ取れるからだ。




宮崎駿と言う人が、この世に生まれ何を経験し感じ、何に対して怒り憤ったか?
そして何を思いながら生きていけば「生きるに値する」と感じ取れるのか?
ナウシカに始まり風立ちぬで長編映画作りは終えるのは体力的限界ももちろん理由にあるのは確かだろうが、生涯をかけ伝えたかった事を「一応は伝えられた」そのゴールにたどり着けたからではないかと私は思える。
なぜならこれまでの作品の流れが全て
【宮崎駿と言う人自身の生涯をかけたグリーフケアだとも思えるからだ。】

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私は宮崎駿監督の子供世代にあたる。

正直ジプリの作品全て好きな訳じゃないし先日のラピュタの「バルス祭り2013」はネットで見て面白がっているクチだいなずま
それでも今回の引退会見に感情が揺さぶられるのは、やはりこの仕事をしてきたからと自身の親の世代からの影響があると思う。
私のお客様になる世代は多くは高齢者であり、私の親自身70をとうに越えた高齢者で父は何回も死にかけている。
親と祖父母の関係、親の生き方そして親と自分に対する教育やその関係
こちらがじきにオムツを取り替える事になるからこそ見えてくる、親と言う人の未完成さやその人生全てを肯定できない事実があるのも知る年頃だ。

親の人生や人格を部分的にでも否定したくなる問題の根源…それはその人格だけに問題があるのか?という点にたどり着いた。
もしかしたら「そうなってしまった環境や状況にあった上での今ではないか?」


人は日頃、意識していないものに自分が思っている以上に影響を受けている。
「~が流行っている」となるとそれが本当かどうかもわからないのに、便乗し本当の流行となる事もある。
小さな噂や情報で一喜一憂し、いつの間にか誰かが作った時代の風潮に流されている。
その最も恐ろしい影響がもちろん戦争や紛争だと思う。
子供の時に聞かされた、親が子供の頃の戦争体験は「ほたるの墓」きらきらの主人公と同じ世代なのだろう。
貧しく苦しく食べるものもなく、子供なのに母親(祖母)とヨイトマケ的な仕事に働きに出た事や、野良猫まで捕まえて食べたどくろとも聞いた。
親からはその苦渋は一生消える事はなく、おかげで生命力は強く感じる人達になっている。
が、最近では「毒親」という言葉もある通りやはり生き抜いた自信からか?
一方的主張や指南が多すぎる為、世間に出て逆に苦労する事もあった為「友達親子」という世代が出て私は大変驚いたものだ。

子供心ながらそんな痛々しい話を聞きたくなく「昔の話を蒸し返すな」と幼くても付き返したものだ。
ある日、私と父しかいない夜テレビで「懐メロ特集」があり
なぜか軍歌を歌手が歌っていた。
私はイヤな気分になったと同時にものすごくショックを受けた。
日頃、冗談の一つも言えない何を考えているか分からない父がソレを口ずさみテレビと共に歌っていたから…。

「苦しい思い出のハズなのに、なぜ…?」

ソファーに寝そべりながら表情を見る事はできなかったが、理解もできずそしてなぜか近づいてはいけないような気がして歌う父を背後から茫然と見ていた。



後半に続く・・・








最終更新日  2013年09月08日 18時41分40秒
2013年07月05日
カテゴリ:カテゴリ未分類
バーニーが葬儀屋さんだったと言う事で、試写会に行ってきました~



この事件「アンビリバボー」でご存じの方もいるかもしれませんが、実話です。


アメリカの葬儀屋さんは皆、専門の学校を出て遺体処置やエンバーミングの技術も習得するらしいので「もしかしたらそんなシーンも観れるかな?」と応募したら当選ちょき
ウキウキしながら観に行きました!


「良い場所で観たいな」と入場30分前には着いたのですが既に長蛇の列。
世の中の人って真面目なんだな~と感じました。
それに割りと年配の人の方が多い…昨今のエンディングノートブームで生き死に関係の情報には敏感なのでしょうか?

で、予告も無く時間通り本編が始まり冒頭のシーンは
バーニーが卒業した葬儀学部で後輩に遺体処置のデモンストレーションをしているシーン
壇上にご遺体が寝ていて、バーニーが流暢に説明しながらご遺体を処置していく。
バーニー「故人はこの世の見納めておこうとするのでどうしても目を開けてしまいます」
上手い事言いますが本当はマブタの皮膚とか神経が委縮してたりするからです。

バーニー「ですがこの場合は瞬間接着剤で目を閉じます」
と眼球よりに直に接着剤を垂らして目を接着させていました。

このシーンの後どこからともなく年配のご婦人が「本当かしら・・・?」とのけげんな声

「本当ですとも」とお伝えしたかったです。
映画ですし遺体処置の技術がどこまで忠実に再現されているかはわかりませんが
日本でも接着剤が使われるのは事実です。
ただし、アロン●ルファなどは乾燥すると白くなるので液体は表面から見える位置につけるとヨロシクない。
でも素材として乾いても白くならない接着剤なのかも・・・?
倫理的にねぇ~確かに接着剤には抵抗ありますよね・・・もし医療用が出たとしても成分は同じでしょうね。
舞台裏は知らない方が良い事もありますよ、後はちゃんと自分の時は目を閉じて死ねるように頑張る感じです。


あとは鼻毛の処置や口には歯の表面をなだらかに表現する為?の薄いマウスピースをいれ
「絶対、歯は見せてはいけません」と言っていました。
あ、でも鼻毛とか爪やすりをした後に必ずそれを「フッ」って
毛とか爪のカスを吹き飛ばすのが「飛沫感染するっ!ありえないっ!!」とおののきました。

バーニー


町の人のインタビューで
「彼がやるとどんなに醜いバアさんでも立ちどころにキレイになる」と
言われていて、私も人様にこんな風に言われたいと羨ましく観ていました。

一方、葬儀社内でのセールスのシーンでは
葬儀の事前相談に来た老夫婦に
「ご主人が選んだこの棺は市役所から支給される生活保護者や浮浪者用です。
保証書も無いのでウジやモグラにも食べられたり…ご主人は背が高いのでこの棺だと脚を折らなきゃいけなくなる」
と、結構アコギなセールスをしていました。

アメリカは葬儀社は教会での葬儀なので祭壇は作らず、棺で売り上げをあげる
安い棺だと利益出ないのでしょう。
ちなみに高級棺は副葬品を入れる小さな引きだしが棺にふたに組み込まれていました。


葬儀シーンが終わると、バーニーと殺されたマージョリー婦人とのやり取りになって行き
「おくりびと」だった映画がサスペンス?そして法廷ものになって行くのでしたが
結末は、どうする事がベストだったのか?考えさせられる実話でしたね。

私から見ると、町のみんなの人気者のバーニーはどうも親切すぎて胡散臭い。
だけどそんなバーニーが町のみんなは大好きだから
「良い人のバーニーがあんな事するなんて間違いだ」等と彼を援護する。
原理主義者ぽいバーニーの中にも悪魔はいるのだろうが
人は自分に都合の良い物しか信じたくないのかもしれない・・・というお話です。

バーニー2



ジャック・ブラックの小奇麗なのにキモチわるいのと
シャーリー・マクレーンの意地悪そうな口角の下がった顔が素晴しかったですピンクハート
人間ドラマの深めの探索が得意な方にお勧めです。









最終更新日  2013年07月06日 00時27分13秒

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