今日のご遺体

2014/02/21(金)02:30

●『今日のご遺体・私のパパ』…パパへの手紙「グリーフレター」

グリーフケア(4)

関東で45年ぶりの大雪の前日、2月7日実父が77歳で亡くなりました。 「納棺師、自分の父を納棺する」です。 朝、母が起きて父を見に行ったら死んでいたそうです。 死因は肺炎、ここ2カ月弱は病院からの流動食の缶しかとれず、食事は受け付けませんでした。 体重は36キロ以下まで低下し不精ひげで小汚く 姉たちは「乞食かガンジーみたいだ」と言っていました。 目立った病気はなく、内臓疾患もなく 母曰く「むしろママより血液サラサラかもしれない」とも。 年齢的にも少し早い気がしたので 「生命力が尽きた死」そんな気がします。 父はここ5,6年ほぼ寝たきりの自宅療養で 寝たきりになったのは心の病です。 本人にとって、とても辛い日々だったと思います。 父を納棺したけど遺族としては初めてですし ありとあらゆるトラブルが勃発し、書ききれませんので 徐々にアップしていきます。 今回は私が父へのケジメとして書いた グリーフレターについて紹介します。 ------------------------------------------------------------ ■グリーフレターとは・・・ (深い悲しみの手紙)とも言います。 一般的には、大切な人を亡くすという大きな喪失をした時に使われます。 これを書く事で故人に別れを告げるのです。 一種儀式の様なもので気持ちの整理がつきます。 自分の中にまだこんな気持ちがあったのかと気づきます。 ありがとう(感謝) 謝りたかった事(謝罪) 怒っている事や残念な事(怒り) さようなら 『悲しみにおしつぶされないために、対人援助職のグリーフケア入門』より ------------------------------------------------------------  上記はグリーフレターに書くと良い【感情】の内容です。 共に過ごした人の事を振り返るなら必ずこれらの感情は抱くと思います。 私はおぼろげにしか覚えていなかったのですが それでもなんとなく内容にそぐわっていると思います。 「死んだ人間を悪く言うな」と言いますが 私は人は死んでいても人だと思っています。 その人と経験した出来事は全て事実なのです。 相手が悪かったり、自分が悪かったり誤解があったり色々あります。 死はショックや悲しみで気持ちが覆われるかもしれませんが 何年もその心の悼みを持続しているのは、心のどこかに 「亡くなった人にもう一度だけ会いたい」 「亡くなった人に思いを伝えたい」 と、実現する事のない夢を抱いていたり 故人との関係性の中で未完の問題が残っているからだと思います。 「この人は死んだのだ」とハッキリ認めてしまうと本当に関係性が切れてしまう 辛い気持ちや悼みを持続させる事は 「終わらせたくない」「終わりにできない」気持ちの裏返しなのだとも思います。 「辛さや悼みを感じてでも、故人の事を思っていたい」 それも確かに良いと思います、苦しみや悼みとより深く共存できるのなら。 私は父の事をこれからもずっと 「かわいそうな人だった」 と思い続けたくありません。 謝罪も感謝も父をどう思っていたかも 私の中に確かにある感情や事実は伝え 不憫な父と不出来な娘の通じ合わなかった 不完全な親子関係だったから 私たちは不器用だったから 手紙の形で気持ちを整理したいのです。 ■以下パパの棺に入れた手紙・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ パパへ 素直でかわいい子でもでもなくて生意気で勉強も出来なくて 私ができた親孝行は、夫と結婚した事と健康で のんきに生活している事だけです。 不出来なバカ娘でごめんなさい。 ですが、私たち娘に対してパパはあまりにも不器用で 愛情が伝わりにくく、コミュニケーションも対話も思い出も あまりにも少なすぎました。 私たち親子、家族はもっとちゃんと向き合うべきだったし そうして欲しかったと思い残念です。 私はとても自由な人生を送っています。 私の誕生を家族で唯一望んでくれたのも 人生の選択肢に迷った時、背中を押してくれたのも 私の事を一度も悪く言わなかったのもパパだけです。 だから今の私がいます。 家族から離れて暮らす自由は孤独と背中合わせです。 末っ子の私はパパやママと一緒に過ごした時間も 世話しない分、パパやママから受ける恩恵が一番少なかった事も事実です。 それは損だったのか?自分は幸せなのか?と 兄妹と比べ考える事もありました。 でも家を出たからこそ、家族に影響されない 私だけの考え方を持つ事が出来ました。 その事で心が解放されたのも事実です。 自由をくれて感謝しています、ありがとうパパ。 不器用にニヤニヤ笑う姿はキモチ悪いとかさわやかじゃないとか 水虫も大きな声でするくしゃみも鼻水もすごい汚くてイヤだし お風呂出た後、素っ裸でソファで寝てるのも最悪だと思ってましたが 今となると嫌な思い出だけど懐かしいです。 若い時の男前の姿の写真なんかはこれから友達にも世間にも自慢して行けます。 メケメケだから(笑) 若い時、美輪明宏さんに似てると言われあだ名「メケメケ」だったとか。 悪い事ばかりじゃなかったけど、人生の終盤パパが失ったものが パパの人生には大きすぎて重すぎて悲しくて苦しかった事 誰もパパを苦しみから救う事ができなかった事 そして、パパの子供の頃からの人生の苦悩を思うと 胸が押しつぶされそうになります。 パパが明るい人生を送って来れたなら 私たち家族の形ももう少し違った形だったんじゃないか? そんなことも思いました。 今、パパが人生を終える事がやっとできて 私は悲しみよりも心から「お疲れさまでした」と思っています。 もし、パパが今度生まれ変わるなら本当に愛情に恵まれて パパ自身が素直に笑顔になれる そんな環境に生まれることを私は心から祈っています。 そんな風にパパの事を思える私になれた事 パパからの最後のギフトだと思い、しっかり夫と噛みしめて生きていきます。 パパ、どうか私たち夫婦を見守っていてください。 巡り合わせで、たまたまパパの子供に生まれて 親子になったけど、いつかどこかでまた会えるのかも?しれないですね。 それまでは今いる世界でパパが好きな人達と楽しく過ごしていて下さい。 私が行ったらヨロシクお願いします。 その時までさようなら、また逢う日まで。 p.s.お土産に私の結婚式の写真持っていってねV                      パパの三女、結子 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 実家に帰り、家族それぞれに「恨み事でも良いから手紙を書いてみたら?」と 何気なく勧めましたが書いたのは母と2番目の姉だけです。 手紙は故人に思いを伝えられた様な気がしてわだかまりが 無くなり心が昇華しやすくなります。 小学生と中学生の甥っ子たちが 「ジィーちゃんキタネーんだよっ#」と 父に投げかけていた乱暴な言葉が父の娘としてとても悲しくて それでも可愛い彼らがこれから先、後悔して欲しくなく書いて欲しかったのですが …伝わらなくて残念です。 書いた手紙は家族でお互い内緒です。 キレイな文章でなくとも、父に気持ちは届かずとも 自分の気持ちを文章で書きだす事は、波打つ心を整える事ができます。 「私が知っている父」に私は気持ちのケジメはつけられました。 父に「キモッ」なんて言っていたどうしようもない私の中にも 父の心の平安を望んでいて 「意外とワタシ良い子じゃん!」なんて…。 イマイチ親子で通じ合わなかったけど 「それなりに親子愛はあったのか…。」 …今になりやっと父に愛されていた事を感じ取れ 気づくと自然に感謝の気持ちと涙が出るのでした。 私があっさりしているのは親の事を神格化していないし 物理的に離れているからでしょう。 育ててくれた事には感謝していますがそれ以上でもそれ以下でもなく 冷静に「能力もあるけど欠点もある人」と客観的に見る様になっていました。 残された母もいつかいなくなるのも自然の事で 老人扱いは少々気が引けても 出来ない事が増えても 嫌味無くフォローは出来ていると思います。 祖母が死んで25年ですが母は今だ祖母の死を 「かわいそうだった」と胸が痛む様です。 私は「やさしくてかわいいバアちゃんだった」ですが 祖母を語る母と私たち家族とでは温度差があり 母の言葉を聞く度、みな胸が痛むのです。 祖母は76歳の母には今も母親のまま それを卒業できないで良いのだろうか?と懸念しています。 うちの父の様に天命で死ぬ人もいれば 長く苦しい闘病で苦しんだり 生涯病と闘う人もいれば若くして病気になったり 志半ばだったり、事故や自殺、災害、殺人など 残される人の胸が引き裂かれ苦しみを伴う 出来事も沢山あります。 ですから、手紙は葬儀の副葬品として その時までに書かなければいけないものとは言いません。 心の傷が深い人は、手紙を書いてもすぐに心が晴れると言えないからで 「手紙を書きたい」と思えた時が丁度いい時なのだと思います。 私は大好きな祖母や大切な人が亡くなった時 その人に対する感情を誰にも言えず心に秘めて 自分の中だけで押し殺したり 今まで青空を見上げ「今何をしてるかなぁ」と その人を思ったりしてきました。 私の母は長女で戦争も体験した子供時代に 祖母と共に大家族を支えた苦労や苦しみが 今だ心の刻まれているのだと思います。 私たちはそれを受け止めるのが愛情なのかもしれません…。 手紙という形にすることは 少しずつ混乱した様々な自分の感情や故人との出来事を とき解き昇華できる作業になると思います。 それは何かが変わるきっかけにはなると私は信じています。 パパの遺影と棺 遺影が悲しく見えるか微笑んで見えるかは、見る側の人間の心次第です。 具合が悪くなる何年も前に用意されていた父の遺影写真を当時は 「うすら笑いで気持ちワルっ」と感じていましたが きっとあの遺影は母が思う父のごきげんな表情で 父もそれなりに気にいっていたからOKしたのでしょう。 お陰さまで乞食でガンジーな父を遺影に近くなるようメイクできました。 昔は7:3にポマードべったりのおしゃれオジサンだったのですから 私たちは父が思うカッコいい姿にして父を送りだしたかったのです。 今は私にもあの遺影写真はとても良い写真だと思っています。 どこかで父も喜んでいてくれたら良いなぁと思います。 【今日の教訓】  不器用だから伝えられる愛もある

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