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今日のご遺体

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2014年03月01日
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カテゴリ:心理
 
前日の夜から熱で寝込んでいた私は2月7日の朝、次女の電話で
「パパが死んだよ」と起こされました。

父は5,6年ほぼ寝たきりになったのは心の病です。

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父が閉じこもる様になったのは
生まれ持った寂しい心と大切な人や大切なものを次々に失くした喪失感からです。


父は長男で弟1人と姉・妹の6人兄弟。
父の親(祖父母)の教育方針がなぜか

「男は中卒で自活しろ、女は学をつけろ」

と、叔母たちは進学させても父と叔父だけ中卒で家出し米屋の丁稚奉公人に。

「これからは学歴が無ければ苦労するに決まってる!!」と

祖父と大ゲンカした母は自営美容師の金策力で
父を夜間高校に行かせ、父は高校で副会長していたそうです。

母の予測通り学歴で左右される時代となり
叔母たちの連れ合いは地方公務員・JR(旧国鉄)・国家公務員・大学教授
父と叔父は一介のサラリーマンと自動車整備工
生活レベルに差がある事は事実で、父と祖父母の関係は円満ではなく
同じ境遇の叔父とだけ心を通わせられていました。


かわりに父が親の様に慕うのは
趣味で「日曜農業」していた畑の持ち主のUさんのオバーさんでした。
Uさんは連れ合いを亡くし、息子さん2人も独立し単身農業
毎週1時間かけて畑に通う父の方が息子さん達より会う頻度も多く
うちが家を新築した時はUさんを1泊で招待し
「息子にも家に招かれた事がない」と喜んでくれたそうです。


そんなUさんが突然、事故死しました。
冬に屋根の雪下ろしをしようと、体にロープを巻いていたのですが
屋根から落ちてしまいました。
ロープの長さは中途半端で屋根下に落ちる事も出来ない
ロープを這い上がる力など老人にはない
屋根からぶら下がったまま凍死したのです。

事故は北海道でニュースとなり、偶然TVでそれを見た父は絶叫したそうです。
次いで叔父もガンで自分より先に亡くなってしまいました。



2人の葬儀の時、いつも寡黙な父が立っていられないほど泣き崩れたそうです。


その後借りた町内の畑も分譲販売で廃園
聴力も失いどんな高い補聴器も不具合ばかり
北海道内8時間かかるところを日帰り出張できた自慢の運転も
「耳が聞こえないから危ない」と免許も返上
父自身のアイデンティティはほぼ全て失って行きました。

母もいて、2世帯住宅で次女家族の孫が4人、犬や猫も沢山いて
豊かでなくとも安定し、本来恵まれていたはずです。
でも父が人生に心を閉ざしたのはそこからです。


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和田秀樹著『痛快!心理学』より



健康な心とは…「元気な心」を持っている人
問題なのは「感情」の部分です。

「感情」とは気力や情動を表します。
親や配偶者の死への直面
子供の独立、定年退職などで「喪失体験」が次々と起これば
気持ちが落ち込みやすくなるもの無理ではありません。

それに加え、老化で前頭葉が縮むと意欲・気力が衰え無感動になり
神経伝達物質の減少が抑うつ的になり自発性が失われます。

「気力」をなくした人はその意欲を持てません。
歳を取っても「心の元気」を維持するためには
自分の好きな事、やりたい事を遠慮なく行う事が大切です。

「喪失体験」が増えるとその人のアイデンティティの一部となっていた物が
失われると、そのショックはうつ病を招きかねません。


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父は不必要にプライドの高い人で
それが故に頑張れる人でもありました。
そして「悪い人」じゃないけど「良い人」だったワケじゃありません。

仕事で北海道内を車で単独出張・営業してくるのですが
「残った在庫、田舎モンの親父にだまくらかして売ってきた」と
嬉々と話す父を不快に思ったのも事実です。


私は子供のころ、祖父に自分のオモチャを取り上げられ
年下の従姉妹に持って行かれる事が何度かあったり
母から言われ、祖父母にお菓子を
「差し入れだよ~」
知ったばかりの大人びた言葉を使っただけで祖母に
「差し入れとは牢屋にいる人間に言う言葉だ!」
マジギレされ祖母と母は大バトルしていた記憶があります。

祖父母が子供の私に辛く当たっていた部分は明らかに
自己都合・理解だけの行動と発言でした。

私が感じた父への不快感はどこか祖父母と似ていて
不誠実なのにその手段を取るのは、
人を信頼できないし、損したくない、負けたくないなど
何か欠乏したが故の倫理や認識の欠如だったのではないか?
そんな寂しさが心に巣食うのは、祖父母たちも愛情や絆を信じたり感じられなかったからではないか?
今にして気づき、寂しく思うのです。



その後の父は、唯一の趣味の読書もやめ
酒か眠剤を飲んで四六時中寝ているだけの人になりました。

ボケることはなく、内臓も一切悪くない。
でも耳は聞こえないので、家族とは「筆談ホステス」ならぬ
「筆談オジーサン」になり、母は裏の白いチラシを集めていました。

耳が聞こえない事は孤独を深めます。
父の耳は先天的難聴者の方と変わらない程の障害認定を受けました。
みんなといてもつまらなくなると「寝る」とその場を離れる姿に
私は申し訳なさを感じていました。


父が初めて補聴器をつけている姿に
『ズキン』と小さくショックを受け
運転出来なくなっていたり、筆談や鈴の付いた靴も見る度に
私の知る父の威厳がガクン失われていくのがとても悲しかったです。

「カウンセラーに一度連れて行けば?」
父の症状や仕事で遺族の心のケアを学びたかった私は
民間のカウンセリングスクールに通っていた事もあり
そうアドバイスしたのですが、父は硬くなに拒否したそうです。
どこかに出かける事に誘っても、黙って首を横に振るだけ
家族は父を前向きにする事はどうしてもできませんでした。


そのうち、酒のせいでやけに転ぶと思ったら
実は脳出血していて緊急手術
幸い命に別条も障害も残らず
手術した病院では長期入院させられないので、断酒目的も兼ね精神病院に入院。
看護師さんに話しかけられても聞こえず返事できないので
病院内でどこにいてもわかるように
父のスリッパには鈴がつけられ
チリンチリン鳴らしながら見舞いの私をニコニコ迎える父に胸が締め付けられました。


その後の父は完全自宅療養です。
結果、少しずつ命が枯れていきました。


手術後一瞬でた痴ほうも全く頭は正常に戻り
お稲荷さんや柿とかバナナなど少々の手乗りサルの様な生活
どんどん痩せて行きガンジーと呼ばれるようになり
自力で歩けなくオムツになりました。
父は現状維持できたとしても元気になる見込みはありません。

「延命はしない」と決めた母は
無理に胃ろうや点滴する事もなく
病院からの栄養食1缶だけ自由に食べれる様、枕元に置いていました。

今年の年明けにベットから落ち激痛を訴え検査してもどこも骨折もしていません。
ですが、1カ月後に肺炎で亡くなりました。


酒を飲めば、眠剤で眠れば
「何もないと感じる自分」と向き合わず眠りにつける
何も考えたくない、感じたくない…無になりたい
そう思っていたのではないかと思います。

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最近、心理学の本でアドラーが注目されています。



アドラーは【前向きな心理学】で
トラウマの経験があっても人生には
立ち上がろう、行動しようと思える前向きさがあれば
過去の経験は関係ないと言います。

否定はしないのですが万能ではないなと思うのは
「心の体力がまだある人には有効」な心理学だと思うからです。

頑固さの下の誰よりも寂しさを抱えた父の生命力は
「辛いなんて感じていません」
という無表情を貫くプライドが支えていたのだと思います。

幼い頃から我慢が多かった父
心の内を明かす事こそ生き恥であり
黙って耐えて飲み込む事
でも、納得しきれない失ったものへの悲しみを
見つめつづけない為に眠り続ける。
その理由を誰にも言えないし、自分でもそうとしかできない。

不器用で素直じゃないけど父は自分なりのプライドを貫いたのだと思います。

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大雪と札幌雪まつりの影響で飛行機のチケットが全く取れないのに
8,9日で葬儀の日程を決めてしまった長女と大ゲンカしました。

結果、帰れないので通夜には出れず母に告別式を12日に延期させました。
やっと10日に帰れる前日、父の写真を次女に撮って送ってもらい
傲慢だと思われても「我をつき通して本当に良かった」と反省していません。

なぜなら、父はとても穏やかな顔をしていて
見た事のない父にちゃんと会う事ができたから
こんな父に会えなかったら一生後悔していたからです


寂しさも苦しさも苦悩も感じさせない表情は
「父は楽になれたんだ」という
大きな安心感をくれました。

親孝行らしい事は何もしなかったけど後悔していません。

父の力の抜けた顔を見て救われたのと同様に
究極に親が子供に望む事は
「子供がちゃんと笑えて生きている」
それだけだと思うのです。

父が私に望むのは「見ていて安心できる事」だと思うからです。

子供が人生にくじけず生きていく事。
それは時に難しいけど唯一続けていく親孝行で供養だと思っています。

「パパ、やっと来たよ~お疲れ様だったねぇ」
もう無理しなくて良くなった父の亡骸にそう声をかけました。


続く





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最終更新日  2014年03月02日 04時13分58秒



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