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出版秘話

2006年12月31日
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カテゴリ:出版秘話
私は夢中で書いていました。

月の少女ルナ

書きながら、

これを人に伝えたいきらきら

と思っていました。

そして自分でそれを人に伝える様子が、
しっかりと頭に浮かんでいました。


紙とペンを買いに走りました。
紙の色も、ペンの色もちゃんと決まっていました。


少しでも早く、
誰かにそれを見て欲しくて…


その夜、2つのクリスマス会があったので、
どうしてもそこでそれを発表したくて、
私は夢中で仕上げました。

家を出る前に、一度サキにその話を読んで聞いてもらいました。

「ちょっと、ごめん…雫

途中、涙で読めなくなり、ストップ。
2回ほどやり直して、ようやく最後まで聞いてもらうことができました。


サキの感想は…

「聞いてすぐに感想が言えないような話だね。

10分くらいはひとりになって考えたい

…そういう話だと思う」


そう言いながら、残っていた紙とペンを手に、
最後のページのイラストをサラサラと描きました。


娘サキ、12歳。
私が初めて娘の言動に驚いたのは娘が3歳のとき。
以来、何度もサキには驚かされてきました。


たくさん泣きました。

たくさん笑いました。

がっかりしました。

感動しました。

憧れました。

心が震えました。



…それらすべての思い出が、”月の妖精”ということばで、
優しく解きほぐされていくようでした。


二藤部冬馬さんの”lunalian月が、ずっと流れていました。

これは、本じゃない。

童話ともいえない?

読むものじゃない。

聞くものでもない?

そう、感じるもの。


これまで自分では想像したこともない、
まったく新しい形の表現と出会いました。


クリスマス会のあと、ゲームクリエイターのセトハル君がこの作品をネットで公開するための作業に協力してくださることになりました。

私はこれまで「本を出す」というのは「お金がかかる」ことだと思っていました。

そしてそのお金をかけて作った本も、
買ったり、借りたりして実際に手に取り、
開いて中を読んでもらわなければ、
その人に自分の書いたことは伝わることはありません。


私のような無名な著者だと、なおさら厳しいものです。

毎日のようにこのブログに足を運んできてくださる方。
偶然、ここへたどり着いた方。
その中に、


(へぇ~、童話を書いている人なんだ…)

(どんな童話を書いているんだろう?)


と、興味を持ってくださる方がいたなら…

そこですぐに私の作品を見ていただけたら、
どんなに素敵でしょう
きらきら

その私の小さな願いを、
セトハル君とセトママさんが、叶えてくださいました。


その日、私は子どもたちを連れて瀬戸家に行きました。
子どもたちが寝静まる頃、セトママと娘のちいちゃん(高校生)が、私の書いた紙のコピーを取るため、コンビニへ…。
私は緊張しながらセトハル君と音の作業です。


途中、睡魔に襲われるたびにセトママがあったかいコーヒーコーヒーをいれてくれました。

「できますよウィンク

と簡単に言ってくれたセトハル君のことばに反して、実際の作業はとても大変そうでした。

作業を待っている間、私とセトママはボクシングジムで借りてきたDVDを鑑賞。

ワハハ本舗の「冬の幽霊たち」

私のボクシング仲間で、いつもここへコメントをくださる
闘うバイオリニスト
こと西垣恵さんが出演されているらしく、ボクシングジムで借りてきたものでした。


「ちらっと映ってるのかなぁ?」

なんて聞いたので、エキストラなのかな?と思っていたら…

と~~んでもない!!!

最後のあたりでは、西垣さんのバイオリン演奏なくしては成り立たないほど重要な役割。

セトママと2人で思わず、

「すっご~~~い!びっくり

と絶叫!西垣さんの美しいバイオリンの音色にうっとり…

真夜中の制作作業に、なぜか西垣さんが一緒に加わってくださっていたような気がした出来事でした☆


やがて空が明るくなる頃、完成!!
結局、徹夜になりました晴れ

出来上がったものをみんなで鑑賞し、セトハル君に作品のコピーを渡されたとき、ふいに涙が…

本当にありがとうございました!!号泣

思わずセトママに抱きついて、あとからあとから溢れる涙。
完成した喜びと、瀬戸家のみんなへの感謝の気持ちが、胸いっぱいに膨らんで…


「こんなに一生懸命やっていただいて…

お金にならないことなのに…」


「そうじゃないのよ。

私もハルオも、楽しいことがやりたいだけだからウィンク


自分のためにここまでしてくださる方たちを目の当たりにすると、もう感謝の涙しか出てきませんでした。

こうして、みなさんへの公開が実現することになりました。
瀬戸家のみなさん、本当にありがとうございました
ピンクハート

快く音楽を使わせてくださった二藤部冬馬さんにも、
心から感謝しています
きらきら

せっかくだから年明けに合わせて、

元旦0時にアップしたいと思います。

3分56秒の短いストーリー。
なるべく温もりを直接伝えたくて、すべて手作りです。


新年の幕開けに、おつき合いくださると嬉しいですぽっ

ひなたまさみ







最終更新日  2006年12月31日 11時07分17秒
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2005年12月02日
テーマ:お勧めの本(4966)
カテゴリ:出版秘話
おはようございます♪今日も3時に起きました。いえ、起こされました(笑)。

母の本についての嬉しい報告があります

先日、文芸社から転送されてきた一通の手紙。
差し出しは群馬県のある図書館。

不思議に思いながら中を読んでみると・・・

視覚障害者に朗読ボランティアにより図書を朗読したテープを貸し出しするサービスがあるのですが、『とうせんばと私』を朗読したい、と申し出てくださったボランティアの方があり、その許諾が欲しい、との旨でした。


結論:ひなたまさみ 
   朗読者デビューします♪



実は私、数年前に『朗読者』というとても切ない本を読んで以来、ずっと「朗読」について興味を持ってきました。絵本の読み聞かせを長く続けていますが、将来的には自分の朗読したCDがついた絵本を出せたらいいな☆とか、老人ホームや病院で朗読ボランティアができたらいいな☆などという夢も密かに抱いていました。

母の本は広島・呉の方言での会話や、幼い頃の遊び歌などがたくさん出てくることもあり、話すうちに私の方から「私にもやらせていただけますか?」と志願したのでした!

90分テープで4~5本、数ヵ月かけての録音になりそうです。
体力的にも時間的にも、余力はない今の私ですが、この母の本に限り、今回は挑戦してみることにしました。


たった一人でも、楽しみに待ってくださっている視覚障害のある方のために、時間はかかると思いますが、母に代わって気持ちを込めて朗読させていただきたいと思います。

そんな話が進む中、今度は広島・呉市の月刊タウン情報誌の編集部からも嬉しいお知らせが!

母と私の本をそのタウン誌で紹介、母の本に関しては、本の一部の文章にプロの画家の方が絵をつけてくださり、絵本のようにして紹介してくださる話が進んでいる、とか。

そしてその編集部とつながっている呉の朗読ボランティアグループにも、私の読む「とうせんばと私」のテープを寄贈させていただくことになりました。

私と母の故郷。
大好きな呉の街の人たちが・・・
母とともに「とうせんば」で生きた人たちが・・・

一冊の本から、
数本のテープから、
そして数ページの紹介から、

活気に満ちた「とうせんば時代」を思い出し、
夢や希望を胸に、また、元気いっぱい、明るい気持ちで生きていかれますように☆


いつも私の健康を案じてくださっている皆さんへ・・・

いつもありがとうございます!また、私の病気が出ちゃいました!(笑)でも朗読ボランティアとしての活動は、まだまだ先の楽しみに取っておくつもりですので、ご安心ください。母の本に限っての今回のチャレンジ、どうかあたたかく見守ってくださいね♪

ひなたまさみ






最終更新日  2005年12月02日 06時43分42秒
コメント(28) | コメントを書く
2005年11月20日
カテゴリ:出版秘話
みなさん、こんにちは♪
しばらくお休みしてしまい、ご心配をおかけしました。


以前から気になっていた歯の集中治療をしたところ傷口から化膿してしまい、今回ばかりはどうにもなりませんでした(^^;

おかげさまで、こうしてブログが再開できるほどに回復しました。あたたかいコメント、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします!

さて、今日はついに発売開始となりました私の母の書いた本『とうせんばと私』(編集後記は私、ひなたまさみが書いています)を紹介させていただきます。

*どんな内容の本?

戦後60年。今では「幻の町」となってしまった広島県・呉市にあった商店街「とうせんば」が空襲で焼け落ちるまでの、当時の人々の活気に満ちた暮らしぶりや生き様をまだ幼い少女だった頃の母の視線(3歳~8歳頃)で綴った本です。

*「とうせんば」ってなあに?

広島県呉市に、かつて「とうせんば」と呼ばれる商店街がありました。とても賑やかな商店街で、夕方の買い物時ともなると、いつでも人がごった返し、なかなか前へ進めないその様子から「とうせんぼ」→「とうせんば」と呼ばれるようになったそうです。

母はその「とうせんば」の乾物屋の末娘として生まれました。お茶目で好奇心旺盛だった母は、いつでもその商店街の中を駆け回り、たくさんの人たちの温もりの中で育ったようです。

*なぜ執筆を?

母はこの原稿を、入院中のベッドの上で書きました。当時、父は癌の末期で母とは別の病院に入院していました。そして本の編集をしている間に父は他界、母は現在も入院生活です。本人曰く、ある日先祖のお墓の夢を見て以来、毎晩のように「とうせんば時代」の夢を見るようになったそうです。まるで映画でも観ているかのように、その映像はあまりに鮮明で、思わず当時にタイムスリップしたのかと思うほどだった、とか。

それと同時に、その夢は母にとても懐かしい幸せを与えていました。なぜなら母は「とうせんば」が大好きだったから。その大好きだった「とうせんば」のことを、そして当時の温かい人々のことを、どうしても書き残しておきたい!・・・そんな気持ちから母は夢中でペンを執ったのでした。

*母の願い

この原稿を書き始めた頃、母の容態は非常に悪く、正直とても本が書けるようには思えませんでした。ところがひとたび原稿を書き始めた途端、どこにそんな力が?と思うほどの勢いで一気に書き上げてしまったのには、私は本当に驚かされました。

母はこの本を「とうせんば」を知るすべての人に読んでもらいたい、と願っています。みんなもきっと「とうせんば」のことが大好きだったに違いない、みんなもとても懐かしがって、喜んでくれるに違いない、と信じているのです。そして、自分と同じように苦しい闘病生活を送っている人たちに決してくじけないで、希望を持って明るく生きていきましょうとエールを送りたいようです。

戦後60年。空襲や原爆を体験している人たちが、どんどん少なくなってきました。この本は決して辛く悲しい「戦争体験記」ではありません。けれども、お兄さんの出兵や空襲の時の会話などがきちんと記されています。私は娘としてはもちろん、人生の後輩としても「よくこれを書いてくれた!」と母には感謝しています。そして一人でも多くの人がこの本を読んでくださることを心から願っています。

*購入方法について

全国どこの書店からも取り寄せていただくことができます。また、Amazonなどからも購入できるようになっています。

11月12日(土)毎日新聞・15日(火)読売新聞に「文芸社・11月のおすすめの一冊」(全14冊)の中の一冊として掲載していただいたおかげで、広島では複数の書店で平積みをしていただいたり、全国あちこちからたくさんのお問い合わせが始まっているようで、私としてもとても嬉しく思っています。

*既に予約をしていただいているみなさんへ・・・

お待たせしてしまっていて、大変申し訳ありません。

母が買っていただける方には、なるべく自分自身でサインを・・・と願っていましたが、残念ながら母の体調が思わしくなく、サインができる目処がたちません。

執筆後にベッドの上で撮った母の写真と、母がサインの際に書き添えるつもりで用意していた短いメッセージを、申し訳ありませんが、私(ひなたまさみ)の代筆で、順次送らせていただきますので、どうかご了承ください。


*母の写真・メッセージつきの本を希望の方へ・・・

新たにこの本に興味を持ってくださり、購入を希望してくださる方は、ぜひ個人メールで私の方まで送付先とお名前をお知らせください。(本代は定価のみ、送料は不要です)
いつもブログを読んでくださっているみなさんへ、感謝の気持ちを込めて、母に代わって私が代筆させていただきます。(予約をいただいた方からの発送になりますので、少し時間がかかってしまいますが、、、)

最後に、いち早く本の紹介をしてくださったTheSkyさん、ドランチィさん、本当にありがとうございました☆この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

●「とうせんばと私」 文芸社
杉山 津矢子・著 (ひなたまさみ・編集)
定価 1,200円+税


(ちなみに・・・)
表紙のおかっぱ頭の少女は母です。島根の親戚の家にあったため、奇跡的に残っていた貴重な一枚です。私の息子ヒデキ(小2)を知る人は、「ヒデキそっくり!」と笑います。


ひなたまさみ






最終更新日  2005年11月20日 17時03分32秒
コメント(26) | コメントを書く
2005年11月10日
カテゴリ:出版秘話
おはようございます♪

ぎっくり腰が良くなったと思ったら、今度は四十肩!右肩から指先にかけて、しびれや痛みが走り、再び接骨院通いが始まりました。(あ、でもまだ本当に悪くなる一歩手前ですから、大丈夫です!)申し訳ありません。昨夜はメール更新、訪問が出来ませんでした。

***********************

本の出版が決まってから、娘のサキ(小5)とこんな会話をしたことがあります。

「ママ、本が売れたらお金持ちになれるの?」

「う~ん、印税っていうのがあるんだけど、本の値段のうち、ママのところへ送られてくるのは少しだけだからね・・・」

「え?印税ってどのくらい?

「本を作った会社によっても違うみたいだけど、ママのところは最初は2%なんだよ。だから、例えば1冊1000円の本だったら、20円。10冊売れて200円。1000冊売れてやっと20,000円。どう?お金持ちになる、なんて夢の話でしょ~?」

私は自分が本を出版するまで、「印税」について詳しいことはまったく知りませんでした。私の場合、初版の1,200部のうち、宣伝用や見本分の400冊を除いた800冊が印税の対象。重版になると6%、更に次には8%、と率が上がっていきます。そしてその入り方も、半年くらいの単位でまとめて振り込まれる、ということも初めて知りました。

娘は本の値段分がそのまま私の手元に来る、と思っていたようですが、現実はなかなか厳しく「印税で生活する」なんて「夢のまた夢」という感じです。

「しかもママはたくさんのお金を人から貸してもらって本を出すことができたから、これから少しずつでも頑張って返していかなくちゃいけないんだよ。だから“お金持ちになる”なんて期待しないでね」

すると、黙って話を聞いていたサキがぽつりと言いました。

「ママ、それは特別な20円だね」

え?特別な20円?

「うん。だって、誰かが買ってくれないと入らないお金でしょ?やっぱりそれは特別だよ。だから大事に20円ずつ貯金箱に入れて、貯めていこうね♪

・・・どうやら娘は、どこかで誰かが「おねえちゃん」を買ってくれるたびに、お小遣いをもらうように20円ずつ手渡される、と思ったようです(笑)

特別な20円かぁ~

私は娘の思いがけない一言に、ハッとしました。
確かにサキの言うとおりだ、と思いました。
無名の私が出した本に、何かの縁で出会ってくださる人たち・・・。


それは、これまでいろんな仕事を経験し、自給や出来高によってストレートに得てきたお金とはちょっと違う出会ってくれてありがとう」のお金なんだなぁ~。

私の心の中で「たったの20円」が「特別な20円」に変わった瞬間でした。

そして昨日、ついに初版800冊分の印税(源泉徴収分を差し引いた)18,720円の振込みを確認しました。

☆☆☆ひなたまさみ、

    生まれて初めての印税収入です!
☆☆☆


早速サキに報告をしたら、

「すごいねぇ~!20円が18,720円にもなったんだね。そんなにたくさんの人たちが買ってくれたんだね!!!」

この特別な18,720円を、私はサキへの手紙を添えて現金のまま封筒に入れ、封をしました。

サキがもっと大きくなって、いつか仕事をしてお給料をいただける日が来たら、その時に封筒ごと渡すつもりです。
そんな日がいつかきっと訪れますように!と心からの祈りを込めて☆

サキ、大切なことを教えてくれてありがとう♪

そして、いつもあたたかく応援してくださっているみなさん、

「本当にありがとうございます!!!(^^)」

ひなたまさみ






最終更新日  2005年11月10日 07時12分14秒
コメント(26) | コメントを書く
2005年11月06日
カテゴリ:出版秘話
こんばんは☆
昨夜はメンテナンスのため、アップできませんでした。そして今日はパパの会社の毎年恒例!「ディズニーランド・バスツアー」のため朝7時過ぎから家を出て、ついさっき戻ってきたところです。

すっかり遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
「出版秘話」の後編、読んでいただけると嬉しいです♪


**********************

山本先生からの思いがけない申し出に、思い切って出版の決心をした私でしたが、正直不安でいっぱいそんな大金、借りてしまって良いのかな?ちゃんと返せるかな?本当に本になるのかな?・・・でした。それでもそんな私の不安や戸惑いとはまるで無関係のように出版契約は済み、担当の編集者が紹介され、話はどんどん具体的に進んでいきます。
物事が決まっていくとき、ってこんなものなのかなぁ?

そんなある日、山本先生から電話がありました。

「本の挿絵についてはもう決まったの?」

「挿絵ですか?いえ、まだ・・・。出版社に20名くらいのイラストレーターの方がいらっしゃるようで、その中から私の作品のイメージに合う絵を描いて下さる方にお願いすることになるようですが・・・」

「実は、ちょっと見て欲しい絵があるの。私の知り合いで、風景画を描く人がいるんだけど、その人の絵を見た時の印象と、あなたの作品を読んだ時の印象が私の中で、ふと重なったもんだから、、、。あ、もちろん、無理にその人の絵を使って欲しい、というわけじゃないの。挿絵はあなたのイメージで決めてね。ただ、一度その人の絵を見て欲しくて・・・」

私は絵については、まったくわかりません。描くのも、見るのもセンスがない。それでも先生が私の作品とイメージが重なると言ってくださったことが気になって、早速先生の家へ向かいました。そして、早速そこに積まれていた数冊の絵のファイルを開いたのです。
 
湯川仁士(ゆかわまさし)さん。(絶滅の危機に瀕していたブナの叫びを感じて以来、山を歩きながら、一人静かに自然保護を訴える想いをパステル画と詩で表現し続けている50歳の男性)これが私と湯川さんの作品との初めての出会いでした。

絵はどれも穏やかで、優しいものばかりでした。絵のことがよくわからない私でも、見ているうちに、ひだまりの中でひなたぼっこをしているような心地良さを感じ、心がほっと癒されていくのを感じました。そして中の一枚の絵を見た瞬間、衝撃が走りました。

これだ!!!!!

空に向かって元気いっぱい、堂々と立っている一本の木。眩しい光。見た瞬間、私はその絵が「おねえちゃん」の中で、サキと不思議な少女が出会う場面にピッタリだと感じたのでした。
これを表紙にしたい!

すぐに、山本先生と一緒に、湯川さんに会いに行きました。ブナの絵でトルコ日本芸術世界勲章を受賞された実力者、と聞けば、てっきり広々とした屋敷で、のんびりと絵を描きながら生活されている方だろう、と思いきや、湯川さんは山のふもとの小さなアパートに家族4人で静かに暮らしていらっしゃいました。

すっきりとした家の中で、湯川さんのアトリエとなっている一番小さな部屋だけが、まるで魔法の森のように、息を呑むような生命力に溢れる木々の絵に囲まれた不思議な空間でした。病人を抱え、当時の私のように夜勤のある工場に勤務。たくさんの悲しみの中、山に登っては「失われた自然の再生」を祈りつつ、ひたすら絵を描き続けてこられた湯川さんは、山本先生から渡った私の童話の原稿に目を通してくださり、彼の絵を表紙に使わせて欲しい、という私の申し出をその場で快諾して下さいました。

「私はずっと陰の世界、暗闇の世界を生きてきました」・・・出てくる言葉からは深い悲しみが、顔の表情からは泉のように自然に湧き出る慈しみが伝わってきます。絵の印象どおり、透明感のある静けさ、穏やかであたたかい人、という印象でした。

私は湯川さんに中の挿絵もすべてお願いすることにし、これまで人物を描いたことがない、という湯川さんにとっては新たなチャレンジが始まりました。本の裏表紙の夕焼けの絵では、沈む太陽の「赤」を求めて、湯川さんは町を歩いたり、広告の赤を探したり、、、その一枚の絵にかける情熱の深さに、私はとても感銘を受けました。出来上がった絵には「血の赤にならないように」という彼の言葉どおり、私がそれまで見たことのない、とても幻想的で見事な太陽が描かれていました。

山本先生の勇気、湯川さんの創作への姿勢に刺激を受けた私は、そんな二人への感謝の想いを表現するため自分にできることは今ある自分の力のすべてを注ぎ込んで本を作ること」しかない!と思い、湯川さんのあたたかい手描きのパステル画(本当に筆ではなく、直接指の腹でぼかしていくのです)に合うよう、無機質な活字の文字ではなく、字には自信はないけれど、真心を込めた手書きの文字で、まるでお母さんが子供に優しく語りかけるような本を作ることに決めたのでした。

本の最後の一枚の絵にも、私には深い思い入れがありました。そこには一番優しくて、愛情に満ちた絵が欲しかったのです。何度描き直していただいても(何かが違う)のです。山本先生と湯川さん、私の3人はこれまで湯川さんが描かれた数百枚の絵すべてに目を通し、「これ!」という一枚が見つからず途方に暮れました。そこで最後に私が「これまでで一番優しい気持ち、愛情を持って描かれた絵はどれですか?」という質問をしたところ、別の場所にしまわれていた、湯川さんにとって特別な一枚の絵を持って来てくださいました。樹齢数百年にも及ぶ一本のブナの木。雪を湛え、寒さに耐えながら静かに生き続ける慈愛に満ちたその木の姿が、私の目には親子がまさに「抱っこ」しようと駈け寄る様子に映りました。

これです!この絵を使わせてください!

それは私にとっても「奇跡の絵」でした。

最後に、表紙の「おねえちゃん」という題字を娘のサキに書いてもらい、本はついに完成。

一方、癌と闘う父には本の原稿、表紙と背表紙の絵が決まる度にコピーを見せに行きました。ベッドの上で父も「おお、できたか!」と本の完成を楽しみにしてくれているようでしたが、残念ながら今年の1月末(本が完成する4ヵ月前)、永遠の眠りにつきました。

完成した本を父に手渡せなかったことは本当に残念でしたが、私が本を通して伝えたかった想いは、原稿に目を通してくれていた父には伝わっていたはず。父は今もきっとどこかで見守ってくれている、と信じています。

こうして、サキへの想い、両親への感謝、山本先生の夢、湯川さんとの出会い、奇跡の絵、大好きな父との別れ・・・たくさんの想いや出会いを重ねながら、一冊の本「おねえちゃん」はようやく産声をあげたのでした。

「おねえちゃん」の出版は、私一人の力では実現できないことでした。

私はたくさんの人たちのおかげで誕生することができたこの本が、これからも一人でも多くの人たちと素敵な出会いを重ねていってくれると嬉しいなぁ☆と、心から願っています。

今、これを読んでくださっているみなさんとの出会いも「おねえちゃん」が呼んでくれた「奇跡」のひとつですね。
本当にありがとうございます☆
これからもどうぞよろしくお願いします♪

ひなたまさみ






最終更新日  2005年11月07日 00時24分39秒
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2005年11月04日
カテゴリ:出版秘話
こんばんは☆
昨日は、たくさんのお祝いメッセージをありがとうございました♪

ブログを始めて4ヶ月、おかげさまで昨夜アクセス30000を越えました(^^)

重度の機械音痴な私なので、いつでもやめられるように(笑)、こっそり始めたブログですが、今や毎日のみなさんの訪問やコメントにたくさん元気をもらっています。
本当にいつもありがとうございます。


さて、記念すべき30000番目に訪問してくださった方が、ゲストの方だったようで残念ながらわかりません。もしも昨夜2時前後に訪問してくださった方で、心あたりの方がいらっしゃいましたら、個人メールでお知らせくださいね。

今夜は、あずみよしきさんにリクエストしていただいた「おねえちゃん」の出版秘話を書きます。実はブログを始めた頃、一気に書いて消しまして・・・(^^;
そのあと出会った方たちも多いので、最初から来てくださっている方たちには「知ってる話」になりますが、ご容赦ください。なるべく簡潔に書きたいのですが、前・後の2回で書きたいと思います♪

*********************

昨年の今頃、私は週に5日、深夜のパン工場で仕事をしていました。
父が癌の末期である、とわかって以来、昼間に加えて仕事を始めたのです。22時から翌3時まで。残業はだいたい1時間程度。21時過ぎに家を出て、帰って来るのは朝の4~5時。
平均2~3時間の睡眠時間のため、仕事へ向かう電車の中と、工場が休みの日で足りない睡眠を補っていました。

息子ヒデキは当時小学1年生。たいていはヒデキが寝てから家を出ていましたが、たまにまだ起きているうちに出なければならない時には、決まって大泣き!
そんなヒデキをなだめながら、小学4年生だった娘のサキが、
「ママ、あとは大丈夫だから。お仕事頑張ってね♪」
と、送り出してくれました。

明るくなった頃、家に帰ると、サキがいつの間に着替えたのか、自分の着ていたパジャマを脱ぎ、ぶかぶかの私のトレーナーやパジャマを着て寝ている姿を見た時には、寝ている娘を抱きしめて、思わず涙が出ちゃうこともありました。

そんなある日、工場で配られた社内誌の片隅にあった「アンデルセンメルヘン童話大賞」の公募に目がとまりました。(そうです、勤め先が“アンデルセングループ”の工場だったのです)

大賞:賞金30万円

私は咄嗟に30万円あったら、何ヵ月パン工場が休めるだろう?と考えました。
「子供たちと一緒に寝る」・・・あたり前のことが、あたり前じゃなくなっていた時のことでした。

でも、童話なんて書いたことないしなぁ・・・

私は子供の頃から、作文は大好きでした。ヒデキが生まれてから、育児の中で印象に残った出来事は、たくさん書き溜めていました。でも「本を出す」とか「作家になりたい」と思ってはいませんでした。
自分にはそんな才能はない、と思っていました)
ただ、その時は必死で生きている時でした。

*30万円が欲しい!

*寂しい思いを必死で我慢して頑張ってくれているサキに、せめて優しいお話を作ってあげられたら・・・。


(恥ずかしながら)この2つの理由から、私はとにかく童話を書いてみることにしたのです。

翌日から、パン工場でミニクロワッサンを並べながら、くるみパンを丸めながら、お話を頭の中で考え、家に帰るとコーヒーを飲み、すぐにパソコンに向かって、頭に浮かんだことを夢中で書きました。

・・・書いているうちに、自分の幼少時代のことをたくさん思い出し、何だかとても懐かしい気持ちになりました。やがて、自然と気持ちは両親へ・・・。長く闘病生活を送っている母、そして癌と闘っている父、そしてサキへ、私の大切な人たちへ、溢れる感謝の気持ちを込めて作ったこの話を、もしも一冊の本として形に残せたらどんなにいいだろう?

私はその作品を応募するのはやめにして、出版社の審査を受けてみることにしました。

そして届いた結果は「共同出版」。これは大まかに言うと、初版分はこちら側で持ち、宣伝や書店への流通、増刷からの費用は出版社側が持つ、というようなもの。丁寧に作品の講評をつけて下さったことも、高く評価して下さったことも嬉しかったのですが、
かかる費用はざっと○百万円!

睡眠を削り、子供に寂しい思いをさせ、30万円が欲しい私に、そんな大金なんて用意できるはずがありません。

仕方がない。諦めよう・・・

そんな時、以前から知り合いだった(長く保育の現場に携わってこられた)山本先生が原稿を読み、
「これを本にするなら、私がお金を出しましょう」と申し出てくださったのでした!こんなことがあるなんて!?

山本先生は決して「お金を持て余している」わけではありません。ご自身が若い頃、お金で苦労をされた経験から「才能ある若い人を応援したい!」という気持ちを人一倍強く持っていらっしゃったのです。

サキに寂しい思いをさせていない時だったら、父が癌の末期でなかったら、私は感謝しながらも辞退していたと思います。(そんな大金を借りるわけにはいきません)

でも、その時の私は山本先生のご好意に甘え、「本を出す」ことへ、勇気を出して一歩を踏み出す決心をしたのでした。

(つづく)

ひなたまさみ






最終更新日  2005年11月04日 23時18分40秒
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2005年11月03日
カテゴリ:出版秘話
みなさん、おはようございます♪
秋深まる「文化の日」、いかがお過ごしでしょうか?


さて、今日はいつも応援してくださっているみなさんにどうしてもお知らせしたいことがありまして・・・。

「おねえちゃん」(文芸社)という童話を出版して4ヵ月。
私のもとに、とっても嬉しい知らせが舞い込んできました。


私の友人の一人が、同僚の方にこの本を紹介してくれたのですが、その方の3人のお子さんのうちの一人(恐らく“おねえちゃん”)が、本を読んで号泣したという報告を聞いていました。

その小学生の少女が夏休みの宿題として、その読書感想文を書いて学校へ提出したところ、
読書感想文コンクールで、見事2つの賞を受賞したそうです☆

コンクール名、賞の種類などの詳細はまだ私にはわかりませんが、

とにかく嬉しい!!!

少女の元へ感想文が戻り次第、お母さまからコピーを私に送ってくださるそうですが、早く読んでみたいです。その感想文は、もちろんここへもアップさせていただく予定です。

自分の書いた本が、見知らぬ少女の心にも何かを感じてもらえた!この喜びは、とても言葉で表現することはできません。

いつも遊びに来てくださっているみなさんに、とにかく報告したくて書きました。

これから、この嬉しい知らせを持って、母の入院先の浜松へ子供たちと行ってきます。

*午前中にアップした内容の中で、現在確認中の部分を一部訂正させていただきました。あまりの嬉しさにすっかり舞い上がり、先走ってしまったようで。お恥ずかしい限りです(^^;
きちんとした詳細がわかってから、また報告します。


ひなたまさみ







最終更新日  2005年11月03日 10時53分43秒
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2005年10月10日
カテゴリ:出版秘話

「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」・・・感動しました☆


ガンと闘った青年医師、井村和清氏が、妻と2人の娘のために書き遺した一冊の本。父としての限りない愛に溢れたメッセージに、涙が止まりませんでした。

●「あたりまえ」のこと。

歩く。食べる。笑う。泣く。息を吸う。叫ぶ。手をのばせば取れる・・・
その素晴らしさに喜ぶ人がいない。みんな「あたりまえ」のこと、と笑う。
その素晴らしさに気づいているのは、それを亡くした人だけ。
なぜでしょう?


●「思いやりのある人になって欲しい」(娘たちへ)

思いやりのある人は、周りの人を幸せにできる。
周りの人を幸せにできる人は、周りの人たちからもっともっと幸せをもらえる。
世界で一番幸せな人・・・。


●「大切なものは目には見えない」サン=テグジュペリ(「星の王子さま」より)のことば。

(父としての)私も目には見えないけれど、いつでも心の中で生きている。


これはとても切なく、あまりにも悲しい話です。にもかかわらず、その事実ほどの喪失感を覚えなかったのは、井村氏の愛が「命」という限られた時を越え、家族や周りの人々の心に間違いなく届いただろう、と見ている人たちが確信できたからでしょう。


私は2人目の子供を産み、その息子が目に障害を持って生まれたことを知ってから、そしてその息子が私の母乳だけで育っていたことから、最初の子を産んだ時にも増して強く思ったことは、

(この子たちを残して)死ぬわけにはいかない

ということでした。

それでも、命の保証はどこにもありません。今日元気だからと言って、明日必ず生きている、とは言えない現実を思ったときに、

「もしも私が、我が子がまだ私の面影すら覚えられないほど幼い時期に、突然この世を去らなければならなくなったとしたら・・・自分がこの子たちをこんなに愛していたことをどうやって伝えることができるだろう?」

と考えました。そして他の誰かから伝え聞くのではなく、私は自分自身のことばで、子供たちに対する愛を直接伝える手段として、子育て手記を綴り始めたのでした。

母親を早くに喪った子供たちは、きっと寂しく辛い人生を送らなければならないだろう、それでも自分たちがどれほど親に愛されていたか、それがわかることで、人をむやみに憎んだり、傷つけたりするような人にはならずにすむだろう。

それまで一度も「作家」を目指したことのなかった私が夢中で手記を書き始めたのは、そんな我が子への「遺書」として、というのがきっかけでした。

井村氏のことばは、25年経った今も、私たちの心にしっかりと響いてきます。彼が引用していたサン=テグジュペリのことばもまた、今より60年以上も前に書かれたものとは思えないほどの新鮮さを持って、私たちに呼びかけてくれています。

「ことばを書いて遺す」ということの意味をもう一度しみじみ考えることができました。

これからも、思いやりのあることばで、子供たちにひとつでも多くのメッセージを遺していこう、と改めて思いました。

ひなたまさみ






最終更新日  2005年10月11日 01時01分29秒
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2005年09月03日
カテゴリ:出版秘話
今日、とっても嬉しいことがありました!

私の書いた童話「おねえちゃん」を読んでくれた小学生のなつきちゃんから、本の感想を書いたお手紙が届いたのです♪

なつきちゃんは、サキと同じ、3つ年下の弟がいる「おねえちゃん」。
本の中のサキの気持ちと自分の気持ちがぴったり重なったようです。なつきちゃんのおばさんにあたる人が私の学生時代からの親友なので、住所を知っていたのです。

「私のような気持ちをしている人はいっぱいいたんだって・・・」

「元気づけられました。ありがとうございました。」


こどもの文字って、生きている躍動感がそのまま伝わってきますね!

☆☆☆う・れ・し・い・な・あ~~~~~☆☆☆

誰からもらっても本の感想って嬉しいけど、小学生からもらったのは初めてだったので、思わず涙が出ちゃいました(^^)

私が興奮して娘のサキ(小5)に読んであげると、

「ママ、今すぐ返事を書いてあげて!」

・・・マンガを読んでは作者にファンレターを書いて送っている娘には、まだ一度も本人から返事が届いたことがありません。(超売れっ子作家の方ばかりなので、、、笑)

そして、弟のヒデキ(小2)に読んだところ、神妙な面持ちで聞き、首をかしげながら

「弟ってさぁ~、そんなにいけないものなのかなぁ???」

(確かに、手紙には、弟に苦労しているなつきちゃんの気持ちも書かれていました。)

「あはは、ヒデキったら!」

・・・(そんなところに反応しちゃって!フォロウできないぞ~!笑)

ここのところ、大変な毎日がつづき、キュッと縮んでいた心が、ほわぁ~ん♪とあったかくほぐしてもらったような出来事でした☆


「なつきちゃん、ありがとう~(^^)/」






最終更新日  2005年09月03日 17時58分47秒
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2005年08月24日
カテゴリ:出版秘話
台風が気になりますね。みなさん、夏バテは大丈夫ですか?

今日は再び娘のサキと2人で母が入院している浜松へ行ってきました。この一週間でもう3往復です。今日の一番の目的は「母の本の表紙を見せるため」でした。11月に発売予定の母の書いた本、その表紙がついに完成したのです!一日でも早く見せて元気づけてあげたかったのです。

母は透析のあとで疲れていましたが、表紙を見ると瞳を輝かせて嬉しそうな表情を見せてくれました。

広島県呉市の商店街にある乾物屋の末娘として生まれた母。その商店街はとても栄えていて、夕方の買い物時になると人がごった返し、なかなか前へ進めない、まるで「とうせんぼ」のようだ、というところから、いつしか「とうせんば」と呼ばれるようになったそうです。今から60年前の空襲ですべて焼き尽くされ、「幻の町」となってしまったその町での懐かしい思い出を、母は入院先のベッドの上で書きました。

一口に「本を出す」と言っても、さまざまですね。出版形態、費用などピンからキリまで、、、。私も母も「共同出版」という形ですから、正直費用もかかりました。それでも生きている間に本を作ることができ、自分の生きた証を一冊の本という形で残すことができるということは、本当に運が良く、幸せなことだと感謝しています。

この本の最後に、私は「編集」した人間として、「編集後記」を書かせてもらっています。母と一緒に何かを作る日が来るなんて、これまで一度も想像したことすらありませんでした。そのことも手伝って、私はこの本が完成する日を心待ちにしています。

いつもここへ遊びに来てくださっているみなさんに、今日はこの表紙の帯のコメントを先取りで読んでいただきたいと思います♪ちなみに表紙は、母のこの頃の写真(3~4歳時)の屈託のない笑顔が大きなアップになっています。(たまたま田舎にいた親戚の家に残っていた数枚しか残っていない写真のうちの一枚でした)

●「とうせんばと私(広島・呉 幻の商店街)」 杉山津矢子(文芸社)

あの町が消えるまでの活気に満ちた日々

津矢ちゃんが大好きだった「とうせんば」のにぎわい、懐かしいあの風景が今、蘇る!

*大切に伝えたい、すべての人の中に息づく
「一庶民の心の歴史」


(帯の裏)

「とうせんば」は、空襲で焼けてしまった、いわば「幻の町」である。
作品は記憶をもとに書かれているはずなのだが、あまりにもその記憶が詳細で、なにより「みずみずしい」のだ。
 そこに生きる人々の温もりやたくましさが目に浮かんだ。それは私にとって、少女「津矢ちゃん」としての母との新たな出会いでもあった。

(編集後記より) ひなたまさみ
                              






最終更新日  2005年08月24日 22時58分07秒
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