ひねもす日記

2009/08/04(火)14:32

美学のある人

ひねもす雑感(69)

さてもさても。 先生のお家はなんというか、とても美しかった。 その前に伺った別の先生のお家も、違った雰囲気だけど美しかった。 なんだろーなー。何でかなー。 とずっと考えている。 人のお家に行くと、色々感じるんだけども。 お洒落な家は、これはけっこうある。 でもって、キレイな家もまあある。 けど、『美しい家』とは違うんだな。 無駄なものが無いとか、収納が上手とかでもない。 正直、人の家をとやかく言える資格はわたしには無い。 無秩序で、収納も下手で、掃除もしてない汚家の主婦だからねえ。 なんで、こんなんだろうかなあーと思うけど、まあ良いかと思うんだよね。 なんで、まあ良いかと思っちゃうかと言えば、別にお洒落な家や、キレイな 家をそんなに欲してないから、だと思うのね。 でも、『美しい家』はいいなあーと思ったの。 けど、『美しい家』はマネッコできるものじゃないんだよね。 北欧風とか、英国風とか、アジア風とか、そういうものじゃなくて 統一感のあるオリジナル。 キレイさも、埃も、ほどほどのバランスであって。 すごく広くもなく、かといって息苦しくもない。 誰が来ても、“なんかホッとするよねえー”って気構えの要らない 感じ。 むう。 どうすれば、そうなるんだろうか? 生活がデザインそのものだなあ、と思うんだけど。 自分で出来ないんなら、いっそ画一的なものに身を委ねればいいんだろうけど。 でもそれもイヤだなあと思う、からややこしいんだよね。 んー、とりあえず出てるものは片づけるくらいの事から始めるべきだな、きっと。 先生方とご飯を食べて面白かったこと。 蒲鉾の切り方ひとつ、料理の合わせ方ひとつにも 「こうした方が “ 美 し い ” でしょう!」 って言葉が入るの。 それが実際美しいと思うかどうかは、各個人の感性の違いだけども、 この方達は常に “ 美 し い ” ことが基準にあるのだなあ、と感じたのね。 たしかに物ひとつ、行動ひとつ、言葉ひとつに至るまで、自分の中の 『美』と照らし合わせていけば、やがては生活・暮らしが美しいものになるのは 当たり前か。。。 気が遠いなあー(←もうくじけてるし)。 どっとはらいー

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