2010/03/05(金)00:22
現場が違う
さてもさても。
日常のあれこれに気を取られて、というよりぼんやりしていて、気が
ついたらもうじき春休みで、Aは小学6年生、Bは小学2年生になる
のだよなあ。
先日、学校の参観日で偶々Aの1・2年時の担任先生と、3年時の担任
先生とにそれぞれお話しできる機会があって。
最近のAの様子も気にかけていただいていて、いろいろ学校での様子も
聞かせていただいた。
1・2年時の先生は現在のAのクラブの顧問、3年時の先生はBと
同じ学年の違うクラスを担任されているので、Bの事情もご存知。
どちらの先生にも、AもBもすごくがんばっていて、クラスの中で
特に問題になるような事もなく、また目立たないほど大人しいと
いうわけでない事。
Bは時々崩れたりするけども、それでも前向きに取り組む姿勢も
よく見られる事。
Aは委員活動も積極的で、クラブ活動も熱心。勉強面も放課後の
自主的な学習会にも積極的に参加している。
とまあ、いろいろお褒めいただいた。
そして言われたのが、
「だからお母さん、もうほとんど(発達障害ということで)心配される
ことは無いと思いますよ~」
「周囲の子たちも、本人も何の違和感もありませんよ?」
正直、ありがたいことだと思う。
普段そんなに心配ばかりしているわけじゃないけど、先生たちは
気にかけて下さっているんだなあと思う。
そう思うんだけど。
先月だかのブログにもUPしたんだけど、最近通っていた療育教室で
療育の先生たちに会う機会があった。
そこで、Bの様子と、Aの話も聞いていただいた。
その時に、
「今良い状態なのはすごく運が良いと思う、もちろんお母さんの
力もあるけど(それはどうかなあ?)、環境が良いのはやっぱり
運が良いと思いますよー!
でも、発達検査は定期的に受けて進学時、進級時には文書にして
見せた方が特性を理解してもらいやすいと思う。」
と、まあ、そんな感じのことを言われた。
わたしは、、、どちらも正しいと思う。
学校の先生の現場の意見も、療育に携わってそういった子たちの
苦労を知っている先生の現場の意見も、どちらももっともだと
思うんだなー。。。
で。 どういう風にしよっかなーと。
結局、方向をみて舵取りしていくのはわたし(母)なんだなー。
Aにとって良いこと。
母にとってやりやすいこと。
学校の先生の視点も、療育の先生の経験も、全部。
欲張りかねえ。
そういえば。
今の担任先生にこんなことを言われた。
「中学生活を見据えて、Aくんには“泣かないこと”を指導して
います」
これ、最初すごくモヤモヤして。
感情を抑えきれない、軽いパニックのような状態はAの特性で
それをわかって言っておられるんだろうか? と思って。
けど、少し経って。
確かに、中学を見据えて考えるなら「すべての先生に理解してもらうこと」
「対応してもらうこと」っていうのは難しいだろうなあ、と思って。
ならばこの先生みたいな(失礼かな?)先生はひとつのケース見本でも
あるし、この先生とちょっと言うままにつきあってみるかなあと思い
直したんだった。
・・・というか、めんどくさくなって。(苦笑)
まあ、それでも問題があれば連絡はくるし、こちらからも電話するし、
まあええかーと思って、もうじき学年が終わる。
けど、やっぱり発達検査と受診は申し込んでおこうと思う。
前回言われたことだけど。
わたしはこの子たちに慣れ過ぎていて、問題が見えづらくなっているから。
数値で見た方が納得しやすいのは、実はわたしもそうだ。
視力でもそうだけど、子どもは見えにくくてもそれに慣れていくって
ことがある。
困り感にも慣れていく。
それはやっぱりまずいものなー。
うん、そうだ。
どっとはらいー