蚊ほどの菩薩道「三界に家なし」
最近、身辺多忙ではあるがそれが日記を停滞させている訳ではない。この水のテーマは、膨大な規模の資料があってどれを取り上げても「底なし」の興味をそそる凄い内容がうなっている。実は、資料を読んでいるだけで眼がくらむ。今日は、われわれの嫌われものである「蚊」について湖との関係を眺めてみよう。家のまわりにいて人を刺し、血を吸うあのイエカ(アカイエカ)ではなく、人を刺さずに釣人がエサにする赤虫の大きくなったやつである。これは、湖沼やドブなどの溜まり水でその水質が汚れているというあかしでもある。とにかく水が腐敗して汚れているとその腐臭とともにやってくる嫌われものである。湖の中においてはプランクトンが生態系の基礎をつくっている。植物性プランクトンが水中で光合成を行い、大量発生してそれを動物性プランクトンが食べる。それを大型の動物性プランクトンが摂食して、昆虫やはては魚がそれを食べる。これが生態系というものだ。ユスリカは、人を刺さないが汚れた湖沼で発生するためにえてして嫌われる。シーズンによっては大量発生するために民家側では迷惑千万ということになるのだろう。都市部でもあまり芳しくない汚れの多い川でセスジユスリカという蚊が発生する。関東で神田川、大阪ならば道頓堀川などという汚い川の典型的な箇所で飛散している。これはアフリカなどでも同じで酷い時には人が歩けなくなるぐらい大量に発生する。彼らが幼虫のころに赤虫と呼ばれているには理由がある。彼らは絶望的に汚れて無酸素状態の湖底やヘドロの中で有機物の沈殿した中で底の底で幼虫は育つ。有機物とは聞こえがいいが、ようするにわれわれ人間の飽食の果てに捨て去った残飯や糞尿の類であろう。彼らはその汚物にまみれて暮らしている。そのためにヘムエリトリンという赤い血液色素を体内に備えている。これが赤虫の赤い理由である。この蛋白質は、検索エンジンで調べるとどうも南極海に生息するコオリウオなどももちいていて酸素が抜けると透明になるのだという。分 布: フォークランド諸島周辺,マゼラン海峡付近。 備 考: コオリウオ科の魚類は血液中に赤血球を欠くので,血液は赤くない(DeWitt, 1971)。フォークランド諸島では本種をPikeと呼び,稀にしか食べないが美味とされている(Norman, 1937a)。本種の生息水深は50~250mで,本種の近縁種でより南に分布するChampsocephalus gunnariは0~450m(DeWitt, 1971)。 (中村 泉) (クリックでジャンプします)地球はつくづく広いと思う。中央市場の支配の届かぬところに、まだ美味な魚が存在してあのドブからわきあがってくる蚊と同じ蛋白を血液成分にもっているという。不思議がっている自分がよほどモノを知らぬのであろう。コオリウオの血液が赤くない理由は、まさしくこのヘムエリトリンという無酸素に強い蛋白の力だという。このユスリカの生態を研究した方がいて、独立行政法人国立環境研究所生物圏研究部に所属されている先生らしい。名を、岩熊敏夫さんと言う。北海道大学地球環境科学科の教授で、理学博士とか。この先生が、調べたのは霞ヶ浦。ユスリカグループが、ことの他多いのだそうだ。富栄養化とは、響きはともかく汚れが進行しているという事なのだろうか?いろいろな報告が面白いのだけれども、ここでは一点彼らのお仕事について。湖の中で植物プランクトンが光合成をする。炭素が同化されて、リンと窒素が混合。どんどん蛋白質になる。これが彼らのボディというわけだ。先生によれば、霞ヶ浦において年間湖全体で13400トンもの窒素が、そしてリンが1350トン合成するものだという。この湖に流入する年間での負荷として流入する窒素が2050トン、リンが230トン程という。これが霞ヶ浦の生態系の「事業収支」の一部である。霞ヶ浦では、どうやら生産される有機物が流入する量よりも遥かに大量に湖内の生物ががんばってくれているらしいことがわかる。その生産物のほぼ半分。2分の1を湖底に沈潜させ、ユスリカが摂食する。摂食したユスリカは糞もするが、体は大きくなる。いつまでも幼虫ではいない。いつぞや蚊となって湖底から地上にでる。これが注目点だ。彼らは、湖底の富栄養化傾向を身をもって湖底外へ搬送し低減に務めてくれている。先生の地道な調査によれば、なんと窒素で年間に110トン。リンでほぼ11トンもの規模になるという。あの10トン車が12台強ほどの規模で湖底から有機物を脱落させてくれているわけである。当たり前といえば、当たり前なのだけれどもこれほど定量的に情報を貰うとそのありがたみに実感が湧くのである。われわれの生活廃水で流れてゆくものは、人間さまが不覚にも自身で始末せぬかわりに影にまわって随分とお世話になってしまっていたらしい。あの抗菌の、殺菌のと目の仇にしているバクテリアにわれわれがどれほどお世話になっていることか。その構図はまったく同じだろう。とは言えその規模もわれわれが霞ヶ浦を汚す規模に比べてみればけっして期待を一身に托せるほど多くはないのだ。この湖に流入してくる富栄養原因のそれは何とわずかに5パーセントに過ぎないという。いかに人間さまが関って霞ヶ浦を汚しているのか。糞の始末のヘタなのか。大概そういうことではないのだろうか。それにしても、ありがたい。菩薩道とはこのように嫌われものの蚊の如くに見えざるところで黙々とはたらいている魂を言うのではなかったか。