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新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

2004年05月15日
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「河野太郎さんには、多少頑張って貰わないと・・・」などと
思っていたのですが河野洋平さんは不人気なのでしょうか。
早速、楽天広場の人気者鍛冶屋の息子さんから、、、


私は、河野洋平はどうしても好きになれません。
宮沢内閣の時に、確か彼は外務大臣ではなかったですか?。
あの時の、対韓対中外交は特に酷かったのではないですか。
それに、新自由クラブ時の顔と、外務大臣の時の顔が余りにも
違いすぎます。ちょっと個人的過ぎる考えですが(笑)。
(鍛冶屋の息子さん)

↑(クリックでジャンプします)

、、、などとのご意見がでましたね。


私の本意は、家系図を辿ることではないのですが最近閨閥や家系を
戦後史探訪の目的で追いかけることが流行しているらしく。入念に
調査されている図書が多数でています。


すこし、正力松太郎の周辺にも目線をめぐらせて見ましょう。


↑1994年文藝春秋「巨怪伝」




かつて松本清張が言っていたが、あの清張にして、「結局ぼくも新聞社についてだけは書けなかった」なのだ。
 なかでも正力松太郎は図抜けて手ごわい人物である。警察官僚から新聞王となり、政治家となり、またメディア王ともテレビ王ともイベント王ともなった。こんなに歴戦に勝ち抜いて、つねに親玉でありつづけた人物は他にはいない。
 正力の活動のうちの主要なアイテムだけをあげてみても、警視庁時代、早稲田事件や共産党検挙事件への関与、読売新聞の買収と社主就任、東京市長立候補、ビルマ新聞の発刊、日米野球の実施、衆議院議員初当選、初代プロ野球コミッショナーや関東レース倶楽部会長への就任、読売ジャイアンツ設立、日本芸能連盟の開設、日本テレビ放送網の発足、プロレス興行とプロレス中継のテレビ導入、鳩山民主党入党、初代原子力委員長、東海村原研の開設、初代科学技術庁長官、よみうりランドづくり、日本武道館開館、よみうりカントリークラブ創設、国家公安委員長就任、Jリーグの前身の日本サッカーリーグの開設‥‥というふうに軒並みなのだ。正力が昭和の激動と波濤とともにあることは一目瞭然である。

(松岡正剛「千夜千冊」第七百六十九夜【0769】2003年05月08日)

↑(クリックでジャンプします)

松岡の眼力は鋭い。

あの大杉栄を誅殺したのは、もしかしたら甘粕憲兵大尉ではなく案外
正力松太郎ではなかったのか。少々妄想にも似た歴史推量を喚起さ
れる。そんな松岡の示唆(暗示)がリアリィティを帯びるぐらいの凄みが
正力にはあるのだね。




ご存知のように正力松太郎と、東芝社長であり石川島播磨重工取締
役、日本原子力事業社長であった玉置敬三とは遠い親戚。たしか
正力の娘が嫁いだ婚家側の中に玉置の娘と婚姻した義理の甥がいる筈。

正力松太郎は、巨大官庁だった旧内務省の警察官房主事を務めていた
ぐらいだから警察官僚の「頂上」にいたひとで特高警察という日本の
秘密警察組織の最高指導者だった。のちに読売新聞社を買い取って
自分のものにしてからというものは、部下に内務省警保局警務課長
だった、子分の高橋雄豺という人物を引き抜いて読売新聞社副社長
(主筆)に据えている。

この高橋雄豺が面白い。

娘が高橋道子だが、この高橋道子の亭主。夫君が、ほかならぬ血友
病総合治療普及会設立者にして当時ミドリ十字財団理事を歴任した
厚生省エイズ研究班班長であった安部英なのだね。これはあまりに
も有名な話。正力の子分で、主筆だった高橋雄豺の娘の亭主が、
まさかあの中曽根康弘の刎頚の友(海軍時代からの交際だから)安部英
と読売がこんな近接しているんだって知らなかった。

甘粕が、のちに満州に転出してひと暴れしたのは知っているけれど
もまさかあの細菌兵器開発の石井部隊の人脈を戦後ミドリ十字に
収容した安部英と読売介して地つづきだった可能性が濃厚にあるん
だ。さすがにこのフォーカスはなかったので驚いた。


↑石井四郎軍医中将
(秘匿名、満州第731部隊、正式名、関東軍防疫給水部本部の頂上)


↑元帝京大学副学長 安部英氏



ご存知、大勲位。
安部英の大親友。河野一郎の子分。
児玉與士夫の電話番上がり。

そもそも児玉與士夫って、満州の特務機関だった児玉機関のトップ
なんだもんねえ。んでもって自由民主党って、児玉が満州から持ち帰った
軍資金で作った政党でしょう?

、、、っと、言うまでもなく日本の原子力関連施設を建設しているとき
必ず常連で顔を出す鹿島建設です。鹿島建設の鹿島守之助の娘婿
で、おなじく鹿島建設の会長を務めた渥美健夫。夫人の旧姓鹿島
伊都子とのあいだになしたのが渥美直紀ですがこの人の妻は、旧姓
を中曽根美恵子といって説明するまでもありませんよね。

結構週刊誌に書かれていましたからご存知だと思いますが中曽根と
鹿島はご親戚。



石井 四郎
1892(明治25)年6月25日生
1959(昭和34)年10月9日没
千葉県出身
陸軍軍医 医学博士
妻は荒木寅三郎の娘
1921(大正10)年 京都帝國大學医學部首席卒
学生時代はボート部に所属
陸軍軍医となる
1924(大正13)年~1926(大正15)年 京大で細菌学・衛生学・病理学を研究
 この間に博士号を取得
1928(昭和3)年~1930(昭和5)年 ヨーロッパに派遣される
軍医学校教官
1931(昭和6)年 細菌戦部隊創設を提唱
1932(昭和7)年 兵器本廠付
1933(昭和8)年 軍医学校部員
 陸軍軍医学校に防疫研究室を創設・主宰
1933(昭和8)年 ハルピン近郊に加茂部隊を設置
1936(昭和11)年 関東軍防疫部長
1940(昭和15)年 関東軍防疫給水部長
第731部隊長
「石井式濾水器」を発明し、これを用いて給水活動を行う
 自ら隊員たちの前で自分の小便をこの濾過器で濾してきれいな水に変え、それを飲んでみせたと伝えられる
1942(昭和17)年 軍医学校付
1945(昭和20)年3月 軍医中将に昇進
 5月 第731部隊長に再度就任
 8月 ソ連軍の侵攻でハルピンを脱出 帰国
新宿区若松町で陸軍が使用していた建物を利用して旅館を経営
極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷に当たって戦犯容疑を受けるが訴追を免れる
1959(昭和34)年10月9日 喉頭癌のため死去







最終更新日  2004年05月17日 19時02分33秒
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