3072285 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2004年06月05日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
金子みすずの「鳥」と「鈴」と「わたし」が、並ぶという発想も凄い。
しかし、ひとつの視点さえ与えられれば同時にそれらを感じとれるのかもしれない。



それはそれは、「学問は人からではなく、自然から習うもの」だという原則だ。


明治期のわずか26歳で夭折した詩人のこころの世界はどこかで天然自然に
疎通があったような気がしてならない。

最近、この楽天広場でも三浦つとむから学ぶなどといっている人と遭遇した。
三浦つとむは、自分の体験や感覚を言葉にしたという側面があると思う。だが
三浦つとむから学んだ人は、すでに学ぶ対象を間違えている。まして学んだ
人を学問の実態であるかのように語り始めるからますます罪が深い。そんな
素朴な学問の姿勢のひとつひとつがおおいに問題となる。わたしは学問など、
基礎の基礎のところで「人」から学んではならないと思う。

本来ならば、「その人が自然から学び取った姿勢」そのものから習うべきものだ。
こんな当たり前のことが、われわれの国では言い切る人がまわりにいない。

その理由は、この社会が「人」が支配し、法を曲げ、法の裏で人の関与が
世の中の流れを変えるという悪しき悪しき伝統が百年以上のながきにわたり
続いているからである。どこにいっても、東大法学部などという野蛮な法治家
の一派が居すわっていて世の中の支配装置を党派で占有している。ちかごろは
週刊誌の見開きでヘアヌードをみせる女性まで東大法学部出身者だとか。わざ
わざのご提示なさってご登場というありさまだ。このような「反動形成」が可能
になるほど、いかに社会の支配装置を握っている連中が日本の国土や風景に
大きな病的関与をとげてきたかの結末。最終局面という印象が湧く。

もともと国民の税金を好き放題に使いながら、国民を睥睨するように社会支配
をほしいままにしている彼ら国立大学の出身者も、その権力装置を取り去って
しまえば、ついには焼けば灰になってしまうていどの生身の肉体にすぎない。
にもかかわらず、この国土の上で多数の国民の実感や体験、感慨に耳を
傾けることがないという反自然的な挙動をいつまで続けるのだろうか。


壮年期の今西錦司氏


さて、学問が自然から学ぶという極めて明解なことを静かに述べた人がこの国
にもいる。今西錦司という。

 今西錦司は、悩んだ。なぜ近頃の研究者たちは“大技”ができなくなったのか。
みんなケチくさい。これではいかん、なんとかせねばあかんというのが、ついには
82歳になっての「自然学の提唱」にまで至ったのである。
 そこには、「自分は植物や動物が好きだからといって、それで自然派だとか、
自然を考えているなどと言うな」という、強烈な主張があった。今西によると、
自然というのは全部がつながって自然なのであって、ひとつずつの自然などとい
うものはなく、それを言うなら「自然はひとつしかない」と考えるべきだという。
(松岡正剛「千夜千冊」第636夜)



ダーウィンの進化論を知らないものはいない。しかし、今西学説と言われる
「棲み分け理論」を知っている人は少ない。ばかばかしいが日本人は、日本の高級
な学問的成果について世界で一番鈍い。日本人の大多数が無視しているものが、
えてして世界最高水準だったりする。はやいはなし島津製作所の田中主任は、あの
まま放置しておけば同期の取締役に見捨てられて狭い研究所で一生主任で終えた筈
の人だった。政治、大学、市民、こどもにいたるまで日本の「おねうち」には終始
眼だまがついていないかのようである。

ダーウィンの進化論は、弱肉強食の論理としてあまりにも有名である。共産主義の
総本舗であるマルクスすらもダーウィンの進化論の科学的装い(よそおい)にまんまと
だまされてか。はたまたマルクス自身にも弱肉強食の生き残り礼賛の偏執的なイズムが
存在していたものか進化論の影響を濃厚に受けている。

いつも競争し、勝ったものだけが生き残り進化してきたという主張を好む。


エコノミックアニマルと呼ばれた時代なぜか日本人に、愚かにも最も影響
を与えた理論であった。このダーウィンの進化論と真っ向から対立する
理論が、実は今西錦司の「棲み分け理論」だったのである。日本人にとって、
素朴実感的なものを学問の世界はなぜか素朴実感で生きていない奇形な
人種が国の威光を背景に特権的に輸入思想をさも学問であるかのように
語るという明治以後の伝統のもと科学の名のもとに定着と普及をしてきた
ダーウィンの進化論に一矢をむくいた大事件であった。


そもそも弱肉強食が常であるのならば、日本であたらしく起業創業を目指
すのはバカである。事実、そんなことを言う企業人も多数いる。その典型が
三井三菱系の商社や住友系の商社を始めとして大手メーカーにもいくらで
もおり何度も彼らからそんな事をいわれた経験がある。ようするに
「開発だ、研究だなどという段階の仕事に手をつけるのはくだらない。
適当に実ってきた段階やマーケットに流れそうになった段階で資金力と
国内外の事業基盤、事業体力でちゃっかりと根こそぎ頂いてしまうのが
一番賢明でオイシイのだ。先輩も営々とそれをやってきて、われわれも
それをやる。逸脱すれば自分がリストラされかねない」などと堂々と
胸をはって言う連中が丸の内や霞ヶ関にゴロゴロいるのだ。


そして、その結果がこのありさまだ。


↑(クリックでジャンプします)











さて、そんな地上の愚かな小破局はこの際どうでもいい。

今こそ、われわれ日本人が誇りにするべき知の巨人からおおいに学び
取ろうではないか。



学問の世界でダーウインがいまだに重用されて今西錦司が世俗的理解に
届かないという事態にある事ひとつ取り上げてみても、われわれ日本人
の知識環境がまだまだ「感覚的」に退嬰的であり「本格的なもの」への
踏み込みがなくなり、あいもかわらず愚にもつかないテレビやメデアに
どっぷりとつかっているという証左だと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年06月07日 20時54分43秒
コメント(4) | コメントを書く


PR

プロフィール

シャルドネ。

シャルドネ。

バックナンバー

コメント新着

フリーページ

サイド自由欄

設定されていません。

カレンダー

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X