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2005年03月13日
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カテゴリ:汝自身を知れ。
もともと頭が悪いこともあって、どうもよくわからないんです。
法律的にいう判断についてはわかります。
会社にとっての株主の権利もわかります。金を出してもらって
仕事をしてきたのだから、儲けたらその配当をしてゆく、赤字
ばかりだしたら責任をとる。
資本の論理として…。

にんげんの親子関係だと、資本を出して子どもを育てる、年老い
たらその子どもに助けてもらうかも知れない。途中では、あまり
見返りを期待しているわけではない。
思うように育たなかったら、別の人に売り飛ばしたり、進路に
口出しして方向をムリにでも変えさせる、ということもよほど
の事態でなければやらない。

これが企業のことになると…。理屈としてはわかりますが、
(横から乗り込んだ場合)子どもが健全に育ってゆくのかどうか…。
子どものモチベーションは維持できるのかどうか…。

企業と人間は違うのだから…。ということでしょうが、感情抜き
にでも企業が維持発展できれば、法律の規定どおりにすすめれば
いいことだとは思います、が。(どうしても、末尾に「が」がつ
いてしまいます)

まことにレベルの低い疑問ばかりです、が。msk222さん



msk222さんは、実はよく「分かっている人」だと思う。

「資本の論理」とは、誤解を招きやすい言葉だから私が翻訳する役回り。
われわれが仕事やサービスを相互に交換するための媒介であるお金と
金が金を呼ぶ投機のためのお金のそれはまるで違ったお金である。
これに気づいている人は案外多い。私は18歳の頃、都留重人から習った。

わたしに楽天日記を紹介してくださった庄内拓明氏も、かれのサイト
で面白いエッセーを記している。




「モモ」 の作者 ミヒャエル・エンデによると、「パン屋のお金とカジノのお金は違う」 のである。
つまり、純粋な交換手段としてのお金と、投機目的のお金とは、同じお金でも性格が違うのだ。
誰もがそう思っていても、普通の経済学では 「どちらも同じお金」 として片付けられてしまい、
言い出せないでいる。しかし、やはり、全然違うのだ。

例えば、バブル経済の頃、私は自分の住んでいる土地の値段が上がっても、まったくうれしく
なかった。ずっと住み続けるために購入したのであり、売って儲けようなどという気が毛頭
ないのだから、地価が上がっても、支払う税金が上がるだけだ。

多くがこんなノホホンとした考えだったら、バブル後遺症はこれほどひどくはならなかった
かもしれない。

土地だけではない。絵画も美術品も、ゴルフの会員権も、本来の目的ではなく、投機目的の
ために途方もない値段で取引された。実際の価値とはかけ離れた幻の値段が、元に戻っただ
けである。マグロの値段でパンを売ろうとしたのが、そもそもの間違いのもとだったのだ。


庄内拓明の「知のヴァリートード」
”パン屋のお金とカジノのお金”より
H15.01.15 夜
(クリックでジャンプします)






ロバート・オウエン(Robert Owen,1771年 5月14日 - 1858年 11月17日 )
イギリス の社会改革家。事業家で、ニュー・ラナークで繊維工場を経営。
低所得の労働社会層の実情を目の当たりにし、幼少の子どもの工場労働を
止めさせ、性格改良のための幼児の学校を工場に併設。幼稚園の生みの親
といわれるフリードリヒ・フレーベル よりも先んじて、就学前の子ども
のための学校を実践。人間は環境によって変えられるという説を固持。



最近では、その名前すら記憶されなくなっているロバートオウェンであるが
彼は、もっとも早くmsk222さんの謎について考え抜き実践により答えを求め
続けた生涯であった。

彼は、金が金を呼ぶという社会関係の「外」にもうひとつのお金の果たすべき
役務があるということを世界史の中でもっとも早く見抜いた人のひとりだった
と私は思う。今日、ふたたび地域通貨などという運動として再燃している事は
耳にされたこともあろうかと思う。


お金は、しばしばお金の元により多いお金を招き寄せることを第一義とするが
ために、お金に与えられた本来の役務よりもお金を集めることにかまけてその
大切な役務を放擲してしまう、という性格を帯びた通貨である。

生活や、サービスの交換に際しては本来どこまで行っても等価交換が原則である。
わたしは娘や母親を、なにかみかえりを求めて愛したりはしない。娘や母も
わたしに何かみかえりを強く求めて尽くしてくれたわけではない。いや、わが
母親には何度も自分の死にかけたところを救われている。頭があがらない。
まんまと命を救われては、自分は生涯を賭けて恩返しをしても返しきれない程
の大恩(巨額債務)がある。これは交換にはなじまない。

都留重人先生は、これを経済の世界では「有効需要」と呼ぶのであると教えて
くださった。母親のいつぞや、渾身の機転を利かせた息子への善行は死にかけた
私を救い、私の生涯の基礎になっている。

これを日本円などの通貨で返そうとして債務として計上すると換価のしようが
ない。わたしは生涯債務超過で悩み抜かねばならない人生となってしまう事
だろう。しかし、私の母親はわたしが死にぞこなった事、そのことを報酬と
する慈愛に満ちた実母であったがために私は、2歳で命びろいをしながらも
巨額の債務に悩むという人生を強いられずに済んだのである。ばかばかしい話
をしているようだが、家族である親子であるという事はそういうことなのだ。

このように債権債務を生じない、片方の快適が片方の喜びであるような関係
は親子、夫婦のあいだなどでは極めてポピュラーな普遍的な関係である。
このような関係では、一方が他方へ一方的に尽くしているというわけではなく、
相互に働きかけそのものが求めに応じた「有効なもの」なのでである。この
有効需要の原則が常となっている「家族の論理」に、完全に対峙しているもの
が「資本の論理」というわけである。

われわれの世界の混乱は、ほんらい別物である「家族・夫婦・愛人の論理」
の決済通貨と「資本の論理」を化体している通貨を無理やり同じ日本円に
より分離することなく混用していることに求められる。


お金についての見通しを言う。

ある日,大金持ちの未亡人が,高級織物を買いに来た。主人のマクガフォッグ
は,そのときたまたま店に置いてあった最高級の織物を未亡人に差し出した。
必要以上の利益を得ず,どんな客にも掛値(かけね)なしで売ることを信条と
していたマクガフォッグは,その値段が1ヤール(織物の単位)8シリングで
あると正直に告げた。すると未亡人は,「もっと上等なものが欲しいわ」と
言う。もちろんこれ以上の織物は世界中どこを探してもない。

しかしマクガフォッグは,上流階級の人々の性格を熟知していた。彼は
「それでは」と言って倉に行き,同じ織物を持って戻ってきた。
「ございました。ただお値段は10シリングになります」と言って未亡人に差し
出しすと,未亡人はそれを手にとって調べ,「これこそ私が求めていたものです」
と答えた。マクガフォッグは勘定書に値段を書き入れ,未亡人に手渡した。

その勘定書には,1ヤール8シリングと記してあった。



真面目一方で、相手の無知や無経験に乗じて利益を得るような商人ではけっして
ないマクガフォッグ氏は、若き日のロバートオウェンが尊敬おくあたわずという
師匠であった。そのマクガフォッグ氏が求めに応じて8シリングの織物をあえて
10シリングで不本意ながら売りたてなければ成り立たない社会交換というもの
に資本の論理の虚栄を荷う怪しさがあると喝破したロバートオウェンは、のちに
通貨の自主流通を企画することになる。この思想は、きわめて秀逸な透徹したも
のであったと今日なお評価する人達が存在することからも伺える。

あの阪神大震災の熾烈な日々を通過し人と人との「通い合い」こそが本来の通貨
のあるべき姿であると知ったわれわれは、一方であのライブドアの堀江社長が
運用する何百億円もの巨額の資金が同じ通貨であることを当然ながら深い違和を
感じることができるのである。









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最終更新日  2005年03月21日 13時41分20秒
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