カテゴリ:汝自身を知れ。
(クリックでジャンプします) 言葉はそれ自体が価値である 池田晶子 生きるために必要なものは、言葉であって、金ではない。 なぜなら、金のために生きる人もまた、なぜ金のために生きるのかを問うためには、 言葉によらなければならないからである。 生きている全ての人は、問わなければならないからである。「なぜ人は生きるのか」。 したがって、言葉はそれ自体が価値である。人がそのために生きるまさにその価値である。 価値とは思わないもののために人は生きることをしない。それなら、「真善美」という 言葉は、われわれの全生活をその根底において衝き動かしている価値そのものではなかろうか。 価値ではないものを間違えて価値だと思うためにも、これらの価値による以外にないのだから、 われわれの人生とは言葉そのものなのである。 (いけだあきこ/文筆家) Re:パソコン脳 (クリックでたまゆら1/f氏「よっちゃんかんたーびれ」にジャンプします) ネット脳とか、パソコン脳というのはまだ敵の 正体を把握していない可能性がありますぞ。(笑) パソコンと、ネットはわれわれの脳を極限までに 拡張してくれているわけですね。たぶん、われわれは 自分の脳みその海の中に溺れかけているのだろうと 言う風にも思います。 たとえば、あの膨大な規模のポルノがサイト上に浮遊 していますよね。あれをリアルなものだとはどうして も理解しがたい。しかし、あれが産業のように隆盛だ とすれば、それは自分たちの脳みその感覚刺激が次第 に産業をなすほどに肥大している部分があるという事 なのでしょう。 実は、国策で日本国をあげてこれらの感覚刺激の出入 を「産業化せねばならない」と取り組んでいる訳で あります。つまりWEBやパソコンに脳が従属して いるという風にもみえますが、WEBというような 世界インフラがわれわれの個々の脳の感覚刺激の系 に従属してゆく過程とも考えられるわけです。 具体的にもうしますと、わたしのようなオヤジの 妄言のようなものにすでに19万人もの反復アクセス をいただけている。過去に孔版輪転機でわずか50 部も配布も不可能だった私の私見の網羅にすぎない 内容が立派にブログとして流通しているわけです。 これに換価性がつくか、つかぬかはもはや紙一重。 堺屋太一氏の「知価革命」というものは、ようするに こういう事が広汎に生じることを前提としているので はないでしょうか。 マルクス・アウレリーウス『自省録』 第2章 朝起きたら自分にこう言い聞かせる。--おせっかい、恩知らず、 威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、 こういう連中を避けて通ることはできない。 この連中の性質は、ひとえに善と悪について理解していないこと による。しかしぼくは、善の本性は美しく、悪の本性は醜いこと を知っている。それに、駄目な奴とぼくの間にはそう大差はない ことも知っている。 彼らとは血を分けた兄弟であるだけでなく、知性、神性の程度に おいて同胞なのだ。だから、ぼくには傷つけられて兄弟に腹を 立てたり、逆に兄弟を傷つけたり、憎んだり、ということはない。 両脚や両腕、やまぶた、歯並びが互いに調和しているのと同じに、 人間は協力するために神様に創られている。人に腹を立てたり、 キライになったりするのは他人の邪魔をすることだし、他人の邪魔 をするのは自然と神に反することなのである。 引用、リンク、コピー、転載に制限はありません。 本訳は プロジェクト杉田玄白 正式参加作品 です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月09日 07時44分48秒
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