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日本の映画監督として黒澤明・小津安二郎と並ぶ三大巨匠の1人に数えられる 溝口健二[みぞぐち-けんじ]は明治三十一年(1898)東京の浅草に産まれ、 昭和三十一年(1956)京都で没した。大正十二年(1923)以来の三十数年に及ぶ 映画監督のキャリアにおける総作品数は計90本(うち亡失したもの57本)を数える。 あるサイトで、溝口健二の紹介があった。 さりげなく、京都で没したとあるが実は京都府立医大である。 これは、新藤兼人監督の作品で「ある映画監督の生涯」で冒頭に取り上げられて いるので知った。ほかならぬ京都府立医大での実写がある。病院側は、頑強に撮影 に抵抗したという。院の経営者は、溝口健二がどうであろうが知ったことではない。 そう言うことらしい。実は、わが母親があの守山で殺されかけた事件当時この病院 の正看護婦として勤務していた。13歳の時、どうしても見に行きたいと思いあえて 立ち寄った記憶がある。新藤兼人が院と応酬の果てに大溝口が往生を遂げた院の廊下 風景を撮影している。自分が、訪問した40年も前の院内風景と変わっていないのが 嬉しかったが、戦前からの建物がそのまま残っているのだろうか。享年58歳である。 女が好きで、好きで。ついには黒澤明、小津安二郎とならぶ独創的で他の追随を許さない 固有の表現力をそなえていると国際的な評価をされるまでになった。つまりは、日本の 映像文化の巨大な資産をなしている大功労者である。 しかし、作品へのこだわりは並大抵ではない。 あの、あの山田五十鈴に「すき焼きよばれよう」(すき焼きをご馳走になろう)という セリフだけで3日追求して、ついに撮影現場で泣かせてしまう。黒澤明監督の佳作 「どん底」などに登場する山田五十鈴の存在感などを思い起こせば、この監督のこだわり、 その凄みに驚くばかりである。泣かせるまでの追い込みを行っておきながら、寒中の撮影 現場で肩越しに山田五十鈴に外套をかけたと。没後まで山田には昔語りさせるほど感激 させている。自分の知る限り、「男の中の男」というのはこういう人物を置いて他はない。 よりによってこの大溝口などを輩出した日活を買収したベンチャー企業があるらしい。 もともとナムコが74%も株式を取得しており、最近のバンダイとの野合的な「経営統合」 で日活の株式売却を余儀なくされたものらしい。売却先は、着メロ配信で荒稼ぎしている インデックスという企業らしい。 どこの馬の骨だか、知らないが4~50億円ほどで日活を手にいれるらしい。何を手にして いるのか自覚がないから買えるというものだ。買うのは勝手だが、この日本の国富。映像資産 をたかだか50億円で購入したのだ。金儲けなのだから、なにをしていいというものではない。 まず、「羽織袴で襟を正して買占めをやりな」って言いたいものである。 結局、小泉のような親米ポチ政権が続くとこういう「成り上がり」が跋扈することになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月10日 22時27分29秒
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