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2006年05月01日
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大阪府警の密偵だった、久保は実に不思議なアプローチを仕掛けてきた。
大胆にも、近隣の食品店で豆腐を買い求め、路上で食べ始めた。そこで
「奥さん醤油を貸してくれ」などと我が家に立ち寄りしてきたのだ。

両親も、根は純朴な田舎育ちの人間。大阪の下町で雑貨商をしていても
気にも留めずに醤油差しを与えた。自分は、その時に居合わせたので
いまでも、久保のおかしな表情が忘れられない。いまから思えばかなり
不思議な飛び込み方なのだが、そのまま玄関先にいついて話題をあちら
こちらに所在なげに広げる。気短な人ならば塩をまいて追い払っただろ
うと思われる。そもそも奴は、当時相当広まっていたとはいえヒロポン
中毒患者なのだ。吐く息も臭い。

いまどき、ヒロポン中毒患者といっても何のことだか分からないだろう。
シャブ中という言葉が、まだ無かった。なぜならば、シャブ中は直ちに
非合法だと分かる。当時ヒロポンは、売薬で誰でも購入できた。日本中
に、覚せい剤が蔓延していたのである。
早い話、タクシーの運転手が、
平気で「お客さん、ちょっとごめんなさい」と運転中に道路脇へクルマを
寄せて、平気で覚せい剤を腕に注射していた。それを後部座席でみていた
客が、「ちょうど夜勤明けで、麻雀にさそわれてるんだよ」などと声を
かけて、運転手の使っているシリンジを使いまわしで自分の腕に平気で
注射している。そんなばかげた風景を、ランドセル姿の自分は見てきた。

ご存知、あのサリドマイド系睡眠薬でおなじみの製薬会社が朝日新聞社に
広告を掲載していた。
それが覚せい剤というものの大衆化にどれほど貢献
したことか、計り知れない。

父親を、いやがらせで大阪府警に密告したヤクザはのちに大阪高島屋の
株主総会にかかわっていたあの山口組系の団体だが、それも昭和30年代
頃では、町の商店主の稼ぎなどを宛てにしている程度の連中も多かった。
顔をだしては自分の父親に相撲賭博だ、壷をふっているから来いと頻繁に
声をかけていたようだが、遊び人のようでいて父親は意外にも賭け事をしない。
愛想よく断っていたと思う。理由は、分からないが若くともすでに事業で
一度大失敗をしているし、過去には地方公務員として表の顔の下で平気で
相当な物量の物資を動かす闇のブローカーだったりした。20代の若造と、
侮る人が郷里にはいなかったのは、その豪胆な行ないが実直な農家の長男
の振る舞いとはおもわれず、懼れられていたからだろう。ヤクザの誘いで
賭博や、麻薬密売にかかわるような下手なマネは慎重に避けていたのだと
回想する。

久保は、たちまち我が家が麻薬密売となんの関わりもないことを察知した
らしい。なんのことはない、後日(といっても、十年後ぐらいに)彼は
ふたたび当家を訪ねてきた時に告白した。その頃には、彼はたちなおり
義弟の町工場を手伝っていると言っていた。笑い話になったのだが、その
時点では、真剣に我が家の中にあがりこんで、金の流れや物の配置などを
懸命に調べては、密かにメモして帰っていったらしい。面白いことに、
両親は眼がまわるほど忙しいという時代だ。小学生といっても、まだ低学年
の自分と、幼い妹は久保にときおり預けられてしまったこともある。久保
も、嫌がるでもなく世話の焼けない扱いやすい子供だった自分の手を引き
縁日の屋台を連れ歩いたり、祭りの御面を買い与えたり案外子煩悩だった
のかもしれない。手をつないであるいていた久保の指が、大人のおじさん
達のそれよりも少ないのに気づいた。彼が、過去になにをしてきた人なのか
は、ついに聞くことはなかった。


(つづく)






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最終更新日  2006年05月01日 08時07分31秒
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