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2006年08月21日
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紅衛兵という凶暴なテロ集団が、中国全土を跋扈していた。まさしく、ビートルズが世界を
席捲していたあの60年代である。


当初は、毛沢東の私兵としての上からの煽情と謀略的な動員によるものであったが、次第にその
暴力の連鎖は、とめどなく。暴力そのものを目的とする暴力の回路を開き、ついに中国全土に
虐殺の渦を巻き起こす。


昨今、2ちゃんねる右欲諸君が浅い反撃を中共に対して繰り広げているのが愚かしくてならない。
靖国神社などというレベルの低い国家神道を擁護しようなどとするから、いつまでもあやつらの
正体を捕捉しかねるのだ。

自分らの高校時代、校門の前に大阪府警のパトカーが常駐するという事態が、何週間も続いた。
いうまでもなく中国で吹き荒れていた紅衛兵運動の火の粉。飛び散り、飛び散って健常な授業
など到底成立しない事態が、幾週間も続いた。

↑クリック


冒頭の写真は、同じ頃。66年9月、黒龍江省省長であった李範伍が頭髪を刈り上げられ、糾弾を
こうむっている映像だ。なんのことはない、当時日本の都市部の公立高校などや国公立大学で
同じ風景が、カーボンコピーのように頻発していた。海の向こうのこととしてではなく、極めて
身近な出来事だったのである。先年、他界した義弟も当時極左の高校生活動家として、所属
する公立高校長を、この李範伍と同様に虐待を実行し、のちにその咎を一身に受けて退校させ
られている。実のところ、実行犯らはその後ぬくぬくと進学し、サラリーマン社会に溶け込み
まんまとしらをきって、まもなく定年を迎えようとしていることだろう。

しかし、この国における紅衛兵の亜流らが起こした真似事と中国本土で実行されたそれとは
比較にならない熾烈さと残虐さであったことは、ほどなく露呈する。


当初、毛沢東らの政権側から仕掛けたクーデターとして始まった「四旧打破」(すなわち旧思想
旧文化、旧風俗、旧習慣)などという観念的であいまいなアラ探し、所詮はいいがかりの一方的
な申しつけに始まったものが、次第にエスカレート。ついには「四類分子」(地主、富農、
反革命分子、悪質分子)という直接攻撃に熾烈さを加味するや、いわゆる造反行為は、単なる
一揆的なものから大量虐殺の様相を呈しはじめる。66年8月には、北京南部地域ですでに集団
虐殺が始まっている。共産党県党委員会が、すでに統制できる事態になく制止することもなせぬ
まま、現場へ駆けつけても、暴徒とも暴力集団ともつかぬ、当然無抵抗な農民に対する一方的
な暴力行為がくりひろげられて、その凶器は釘つきの棍棒や家畜用のムチなどで、おもに標的
となったものは、土地所有権利書等を保有している、などという本来ありえない事由を「隠匿」
などとして、狼藉する粗暴なものが大半であった。その攻撃対象は、地方の富裕層にとどまらず
疑心暗鬼に陥った、密告などから下層農民ですら攻撃目標となり、果ては老人や子どもに至る
まで、財産目録を提示しない、などとの理由で棍棒、鉄棒で殴打されている。子どもの中には
指をなくし、ちぎれるまで容赦なく打ち込まれていたという。死体は、累々と積み重なり一部
息の残っているものは、なおシャベル等で痛撃をされ、絶命にいたってから屋外に運びだされる。
その様を目撃した県党委員会は、のちに「那個年代中的我們(あの年代の我ら)」遠方出版
(張連和、者永平編)
などに描写している。


参照


毛沢東に権威づけられ、紅衛兵らの挑む敵は人間の「類」とはみなされず、「牛鬼蛇神」だと
蔑まれた。つまり、「人」にあらず、「もののけ」なのだというわけだ。この恐怖は、現場の
すさんだ狂気を味わった人間にしか理解できぬだろう。虐殺の現場では、被害者を庇護する
ものなど、存在しないのだ。庇護するものは、それすなわち「もののけ」なのだから。



ほかならぬ、日本でも当時、水の入っていないプールに胴上げされてほりなげられた高校長
や、教頭は珍しいことはなかった。寒中に水の中にほりこまれた教職員などは幸いである。

しかも、当時の中国共産党中央政治局委員に予定されていたほどの実権者でありながら、国務
院公安部長、謝富士などは北京公安局拡大会議において、平然と
「撲殺には賛成できないが、人が悪人を憎む気持ちは制止しがたく、これをあえて止めること
はできるものではない」と、事実上の容認宣言を行うのである。公安(警察)は、むしろこの
紅衛兵活動に庇護、すべからく情報提供者として側面支援すべき、というぐらいの声明であった
とされる。 「文化大革命十年史」



この結果、謝らの声明が引き金となり66年8月後半から9月1日。悲劇は、始まった。

まさしく、この8月こそが彼ら中国本土で引き起こされた中国人同士による紛れもない
「大虐殺」の40周年記念日なのである。


大興県各地で、意図的にながされた公安情報(警察の手引きという意味だ)により、その数
22世帯、80歳から生後40日みたない嬰児まで325人が撲殺された。その連鎖は、とどまる
ところを知らず、阿鼻叫喚の黙示録世界さながらに中国各地全国に伝播するところとなり、
ついには1529人を数えるまでになる。殺されぬまでも、罪とがなく公衆の面前で引き回され
三角棒を頭上に、肉体への脅威、精神への度重なる恫喝で心に異変を来たすまでの拷問が続く。


日本における、いわゆる全共闘運動とはこの流儀を「成功事例」として、さっそく模倣踏襲した
ものに過ぎないとすら自分は、思っている。

中華人民共和国における、国内騒擾や内乱鎮圧、そしてそれに連なる虐殺や粛清など尨大な規模
である。このような書籍に記録されているような紅衛兵による狼藉など「氷山の一角」に過ぎない。










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最終更新日  2006年08月21日 09時06分03秒
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