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2006年09月27日
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ここのところ、滋賀、京都、大阪を巡回していると書いた。

なんだその程度のことをことさらに言うと、思っている人は以下を
読む必要はない。これは滅多になされない試みのようだ。しかも
週末には、湖北へ北上してワイワイガヤガヤ授業めいたことまで
しているわけである。

そもそも、滋賀の普通の市民は勤務者以外は大阪へ出向くことを
億劫がる。よほど目的と気持ちが固まらなければ出てゆくという街
ではないらしい。京都だって、滋賀は隣接しているだけで彦根ぐらい
でも、出向きたがらない。クルマ屋は、納車先が彦根、米原などは
隣接県だという意識ではない。バイク屋に至っては草津から北には
ヤマハ、ホンダも黙殺だ。そもそもバイクなど買う人間がいるとは
思っていないらしい。ひとつには雪がある。現実には、湖北には相当
バイクの走行する姿があるが、皆大阪、京都ナンバーの日帰り凱旋
ばかりらしい。

大阪が通勤圏といっても、滋賀はまだまだ一部上場の大手企業所属
のエリートサラリーマンぐらいのものだ、という認識で間違いなさ
そうだ。行政組織の疎通の悪さは、大阪府、兵庫県で経験したことが
あるが、京都府、滋賀県も大差ないだろう。




 一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼
風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩と
いうことで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。あるものは排他精神と、
他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである。
農村は淳朴(じゅんぼく)だという奇妙な言葉が無反省に使用せられてきたものだが、
元来農村はその成立の始めから淳朴などという性格はなかった。

日本の農村は今日に於ても尚奈良朝の農村である。今日諸方の農村に於ける相似た
民事裁判の例、境界のウネを五寸三寸ずつ動かして隣人を裏切り、証文なしで田を借り
て返さず親友を裏切る。彼等は親友隣人を執拗に裏切りつづけているではないか。
損得という利害の打算が生活の根柢で、より高い精神への渇望、自我の内省と他の発見
は農村の精神に見出すことができない。他の発見のないところに真実の文化が有りうべき
筈はない。自我の省察のないところに文化の有りうべき筈はない。
                           「続堕落論」坂口安吾




笑った。

私が、言い放たなくても坂口安吾が痛罵している。
少なくともその概略が、失せたとは言えどつい数十年前までの滋賀はよく似たものだった
のではないか。これがいきなり現代化するのかと思いきや、キャノンだかIBMだかが
どかどかやってきて、移民労働者を収容するのだからますますおかしい。過疎という
ものの凄さだ。都市部よりも、国際化の進展が著しい地域もあるのはお伝えしたとうり。

JRは、今後この滋賀に琵琶湖環状線を巡回させるらしい。
都市化の速度は、一層加速するだろう。
問題も増えるだろうが、致し方が無い。
北部と南部の格差を温存したまま、暴走のように国際化するぐらいならばもっと関西経済圏
の恩恵に北部が浴するようであるべきだろう。

最近、余呉町長が核廃棄物処分場として町に誘致するなどという。狂気の沙汰だ。
近畿圏の水がめ。その水源中の水源、琵琶湖最北部に位置する余呉に高濃度核廃棄物を貯蔵
するなど、「北」の首領様の脅威と大差ないではないか。
















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最終更新日  2006年09月27日 09時45分44秒
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