不思議な夢をみた。
夢は、いつでも不思議なものだけれど眼が覚めても憶えている夢と
いうものは、滅多にない。
子供の頃に、いくつか見た夢は割合と記憶しているのだけれども
これは久しぶりの体験だ。
寝る前にみた教育番組の影響もあるのかもしれない。
赤ちゃんというのは、実のところまだまだ解明されていないさまざまな能力が
多い存在らしい。産まれてすぐの時から、親の舌だしをまねる行動がある。
まだ舌も知らず、教えられたわけでもないのに親のしたを眼で視認して
それが真似られる。これも凄い関係連合野の存在感だ。
このあいだ、杉山巡先生のブログでコメントをしたが生後数ヶ月すると赤ちゃん
は指を立てる。指を立てるという動作そのものが、霊長類中で人類だけらしい。
そしてほどなくその指は、対象をさす。人、もの、おもちゃ、それぞれには「意味」
を生じ、関係が表明される。多くが願望の表明で、母親であったり、ミルクで
あったりする。関係表出と、指示表出の萌芽だが、発語されさえすればりっぱに
通じる、言語の内実の誕生だ。
自分たちが、連日続けているブログもそんな誕生の瞬間からはじまる表現の
大きな動機の延長に過ぎない。
夢の中で、異国の老人が拾ってきた赤ちゃんを解体しておいしい美味しいと
鍋にして食べてしまった。わたしはデジカメでそれを冷静に撮影している。
音はないが、なぜか懐かしい郷愁のある音楽が流れていた。
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夢十夜
夏目漱石
第一夜
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐(すわ)っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭(りんかく)の柔(やわ)らかな瓜実(うりざね)顔(がお)をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇(くちびる)の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確(たしか)にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗(のぞ)き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開(あ)けた。大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸(ひとみ)の奥に、自分の姿が鮮(あざやか)に浮かんでいる。