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2006年12月27日
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なぜ、人だけが追い求めることによって「不良設定問題」を解けるのか。

それは、人間が体験と学習に統合感覚を再構成できる生物だからである。われわれが既視感と常時遭遇するのは、それだ。デジャヴとは、学び取られるべきものが、学んだものと体験感覚で、単なる偶然だった「遭遇」が運命的な「必然」に転化するからだ。


早い話、好いた惚れたの大多数はこれだ。



『少年はボールを投げる』『少年はボールを食べる』この二つの文を比べると
どちらも文法的には間違っていませんが後者は意味的にヘンです。








例えば皆さんは連想ゲームをご存知かと思いますが、正解の言葉が出てくるまで その言葉を連想させる言葉を次から次へと言って参ります。 その次から次へと出される言葉群こそが正解の言葉の近傍に群がる言葉群です。 そしてある言葉の意味というのはその言葉の近傍に群がる言葉群が収束した時に 発生し決定されます。


ただし収束にはある重大な条件が必要です。 その条件を満たさない限り収束は起こりません。 従って意味も発生しません。








いい歳したオヤジが、いまだにロッカーに尨大なポルノを抱えて減る気配がないのも
この収束をもとめて延々とイメージが群がってくることを禁じえないからなのだろう。
好色家(漁色家)が、お気に入りの一品に遭遇するまでのさまは殆ど「仇討ち」のようでもある。

さて、この「意識と意味の物理空間」の著者は、収束の可能性をどこに求めている
のだろうか。




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最終更新日  2006年12月28日 18時49分05秒
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