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2007年07月31日
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自由、博愛、平等という。このフランス国旗の三色が示すシンボルには、それぞれ意味があると耳にしたが自分には、不二家のキャラメルの絵柄のように舌でとろけて甘くても後味が良いものと印象したことがないのは、どうしてだろう。


資本主義の世の中で、金は大手をふって自由闊達伸びやかに往来して自己増殖をはかっているが、消費するわれわれが自由で伸びやかだったことは体感上あまりない。ひとくちに平等というが、小所有者同士、わずかばかりの金員を平等に押し並べて同じ多寡に整えようとするなどありえない。そこには、やはり巨大な行政組織が徴税権を背景に強力に富のかたよりを調整するというイメージがある。ヒラの市民は、しぶしぶ納税の義務にこたえて社会平等の理念が世に実現するようにと恨みながら、稼ぎだしたわずかばかりの金員と涙の別れを余儀なくされる。稼ぐは自由であっても、その使用は格差社会の是正のためであっても厳しく制限を被っているかのようだ。


一方で、われわれの社会関係に眼をやれば、われわれがおのおの両性の合意とやらで任意で自由に婚姻をなされた一対の男女のあいだに産まれたことになっており、あまねく平等に普及しているものは男女の対だと言うことになっている。その男女の下で生まれて、育つなかふたたび平等に保証されているのは、配偶者に遭遇してあらたな対の形成がふたたび任意(自由)である、という月並みなほどの平等さの保証であった。



この消息を、主題に追い求めた大作家がいる。ほかならぬ明治の文豪、夏目漱石である。

漱石は、その実名を夏目金之助という。千円札に選ばれたのは、けして偶然のことではなかったのだ。彼こそ、自由、博愛、平等に悩みぬいた生涯だったように思う。彼はついに、この世は「金と女」につきるのだろうかと問い詰めた。彼は、生まれて里子にだされ、金と男女の仲には、翻弄させられる孤独な魂の、その自我の内面描写にとりわけ長じたのである。彼も、博愛の理念に現実に具現化されにくい困難さを意識していた人のようだ。





 私が両親を亡くしたのは、まだ私の廿歳にならない時分でした。いつか妻があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、父の病気は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にいて看護をした母に伝染したのです。


 私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。宅には相当の財産があったので、むしろ鷹揚に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で好いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。
 とにかくたった一人取り残された私は、母のいい付け通り、この叔父を頼るより外に途はなかったのです。叔父はまた一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうして私を私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。


 私は東京へ来て高等学校へはいりました。(中略)
当時私の月々叔父から貰っていた金は、あなたが今、お父さんから送ってもらう学資に比べると遥かに少ないものでした。(無論物価も違いましようが)。それでいて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず数ある同級生のうちで、経済の点にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にいた訳ではないのです。今から回顧すると、むしろ人に羨ましがられる方だったのでしょう。というのは、私は月々極った送金の外に、書籍費(私はその時分から書物を買う事が好きでした)、および臨時の費用を、よく叔父から請求して、ずんずんそれを自分の思うように消費する事ができたのですから。
 何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました。叔父は事業家でした。県会議員にもなりました。その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったように記憶しています。父の実の弟ですけれども、そういう点で、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。父は先祖から譲られた遺産を大事に守って行く篤実一方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といった風のものにも、多くの趣味をもっている様子でした。家は田舎にありましたけれども、二里ばかり隔たった市、――その市には叔父が住んでいたのです、――その市から時々道具屋が懸物だの、香炉だのを持って、わざわざ父に見せに来ました。父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性からいうと、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありました。それでいて二人はまた妙に仲が好かったのです。父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がないからいけないのだともいっていました。この言葉は母も聞きました。私も聞きました。父はむしろ私の心得になるつもりで、それをいったらしく思われます。「お前もよく覚えているが好い」と父はその時わざわざ私の顔を見たのです。だから私はまだそれを忘れずにいます。このくらい私の父から信用されたり、褒められたりしていた叔父を、私がどうして疑う事ができるでしょう。私にはただでさえ誇りになるべき叔父でした。父や母が亡くなって、万事その人の世話にならなければならない私には、もう単なる誇りではなかったのです。私の存在に必要な人間になっていたのです。

夏目漱石「こころ」

 

 

 

 

 

 



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最終更新日  2007年07月31日 18時20分30秒
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