学生時代、2年間、武智鉄二先生の講座に一度もさぼらずに出席しました。
(なぜか、非常勤講師で来てくれたのですね)
この方は、比較的金をかけずに、原理主義を徹底した人だと思ってます。
金をかけるとその道の大スターを起用することになりますが、彼の場合は、
常に二流とか若手とかを起用したので、常に自分自身が 「絶対的存在」
であられました。
で、彼の原理主義とは要するに何に即していたのかということですが、それが
よくわからんのです。もしかして、近松だったのかなあ。
tak-shonaiさん
(2007/09/17 10:49:32 PM)
私のように野次馬にすぎない資格で武智鉄二を任意で語ることをゆるされているのは有難いことだ。
たぶん大多数の武智鉄二の弟子や孫弟子、関係者は、最初から彼を迎角で論じて、話題にする際には、なんらかの敬意をいだくことが暗黙の了解になっている。そういう世界なのだろう。驚いたことに直接、武智鉄二の謦咳に接して、よりによって皆勤で授業に参加されたというtak-shonaiさんがご登場。なんという現代的な、あまりにも現代的な。相互にブログを介して現代史の一部を回想まじえてシェアーさせていただけるとは、本当に幸福な時代相を感じるものだ。
私にすれば、武智鉄二とは結局のところ他界した古い映画監督のひとりに過ぎない。
飛び切り謎めいた、不思議な不思議な人。「比較的お金をかけず原理主義を徹底した人」というtak-shonaiさんからの素晴らしい要約がいただけたけれども、まさしくその「怪力」ぶりを指し示していると私にも思えた。誰もが恋焦がれて果たせないスーパーな力を、いずこから得ているのだろう。謎また謎が、なぜがつねに漂う人だった。私は、彼が反権力、反米の人だとくりかえし語られることを、額面で信じたことがない。なぜならば、そんな権力的な記号をたくさんもちあわせている人物の演じる反権力などは、どう考えても「反権力のようなもの」に過ぎないからだ。
33年に、あの滝川事件の闘争を京都大学内で闘いながら沈潜することもなく、44年頃から実家の資産を背景にして伝統芸能鑑賞会を主宰する。多くの日本国民がヒロシマ、ナガサキで蒸気にされた。その余韻も痛覚も消えやらぬまま塗炭の苦しみにあえぐ時代に、すでに扇雀(現中村雁治郎)や市川雷蔵らの並み居る歌舞伎界の若きサラブレッドたちををひきいて武智歌舞伎の名を恣いままにしていた。映画制作にあたっては多くの良識ある映画人が、その制作費の捻出に奔走し、多くは収支のバランスを崩しふたたび作品制作のチャンスすら得られないという趨勢が厳然と存在する戦後に、失礼ながら私の眼からみてエログロナンセンスのピンク映画に過ぎない程度の作品に東宝、大映、松竹、日活、東映が配給権獲得に競いあう。はたまた1974年、第10回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で出馬するなどとし、田中角栄から選挙資金を数億円規模で得ておりながら借財返済に転用、狙いすましたように落選する。 田中角栄をして、まんまと一杯喰わされたと言わしめた人物とは。
私は、自身の天性の猜疑心ゆえかあの元中核派と公言して平然としているハーバード大学院卒の行政修士なる「先の安倍内閣官房長官殿」やら「舌だし作曲家」と同類の臭いを嗅ぎ付けてしまうのである。
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