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パソコン通信で、最初に漂着したのはビジネスフォーラムだった。記憶を辿ると多分94年の春だと思う。前年の暮れMacが20万円台で買える環境になった。それまで高級機だったものが、手が出るイメージになってきて友人の医師と電話で長話をしていて、そろそろでしょうと揃って購入した。LC520の廉価版だった。いまから考えると虚仮のような道具だが、あの年の暮れには眩く安い買い物だと思えた。
自分がビジネスフォーラムで自己紹介ができるようになった95年の春先に、彼がパソコン通信で新しいフォーラムをつくりましたと挨拶したのだ。その掲示板を、新発想ビジネスヒントフォーラムと言う。彼の直後で挨拶した自分は、即座にまっさらのフォーラムに出向いた。利用者が皆無で、フォーラムとよばれる掲示板がすべてガラガラ。のちにプレジデント社の編集部員だった石井伸介氏に聞いたのは、ビジネスフォーラム本家で一週間にパソコン通信の利用者でおよそ7000人程度の巡回があったという。自分のような新参もので、ログ多産者。内容もご存知のとうり厚かましく心臓に毛がはえているようなのばかり。パソコン通信の黎明期とはいえ、当時の利用者の状況を思い起こせばひとりで離れのフォーラムとはいえ空部屋で毎日ログを多産していたのであるから大方の失笑をかっていた筈だ。ふりかえって思い出すたびに汗顔の至りである。 当時のモチーフは今だにひきづっているとも言える。さまざまな人達と意見交換ができたが、ものごとを詰めて考えるに際し思考に必要な枠組みはほとんどその重層的な対話の中で出尽くしたと思う。会議室と呼ばれたBBSは、常に沸騰して一日で発言のコメントチェーンが1000を超えることはザラだった。 最近、ようやく鈍い頭で当時の齟齬、というのか噛みあわなかった理由が次第に氷解してきた。自分も少しは成熟したのだ。 当然、視点の中に生産財営業の感覚が忍び寄っている。これは無茶である。相当大きな飛躍だと当時気づかなかった。野暮なものを持ち込んでしまっていたのだ。激しい舌戦をくりかえしていたが、いまにして思えばこれで議論が噛みあう筈がない。 自分のような不器用なバカものは、こんなことに気づくのに10年以上もかかってしまう。当時の会議室参加者には遅まきながら、深く謝意を述べておきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月30日 11時08分31秒
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