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2007年11月08日
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去年の事である。湖西は、滋賀に有名な焼肉のレストランがあり方や副業で比叡山延暦寺の弁当などやら、仕出し弁当、果てはおせち料理などの販売で近隣になり響いている明治亭という会社がある。たまたま明治亭の代表に紹介されて、お話をする機会があった。

なにしろ知られた人格者で、人物鑑定眼も定評があるとのことだ。

そのS氏に言われた。「運がない人」「まわり道の人生」「しかも、いらざる苦労をしてきた割には人間が、幼い」という。当たっているといえば当たっている。すべて私という人物についての、氏の印象評である。言われそうなことを言われたので、驚きはしなかったが流石によく観察されるものだと内心感服した次第である。


実は、自分自身わたしが「運のない奴」だとはまったく思っていない。「いらざる苦労をしてきた」という表現には、思いやりを感じた。誰かがせねばならないという仕事があるかもしれないが、あえて自分がしなければならない理由もなく、それを引き受けて実行するというのも、氏からすればアホである。アホなことをやってきた男には、はっきりと「いらざることをやってきた」と額面どうりに伝えるのも親切心である。原理的に、親切な人なのだと思った。普通は、嫌われると思うことは当然斟酌して伏せてしまい、間違っても本人に伝えたりはしないだろう。明治亭の代表者は、その点嫌味がなく自分という人間の人物評を嬉しく拝聴した。


ついでに「幼い」というのは、自分には褒め言葉だという風にも映る。まあ、これだけ世話の焼ける人間を人物鑑定するのは、親切心が底になければ成り立たないというものだ。


ところで、自分はけして運の悪い人間などではない。




ほんとうに運が悪ければ、2歳で死んでいる。医師3人が、順に呼ばれて自分に処置なし。延命の可能性はないので祖父母を郷里から呼べと言明したそうだ。当時、滋賀県の野洲に住まいしていた祖父母は、初孫がいきなり死んじまうと聞いてふっとんで来たらしい。なぜか、土色に変わってぐったりしていた木偶人形みたくだった当時の自分は、いまだに平気な顔をして生きている。それ以後も、神仏に感謝もしない信仰心のかけらもない不遜な自分という人間は、まあ好き放題して生きているようなもので、これを「幼い」といわれれば面目ないがそのとうりである。


これは、どんな職場や労働環境に持ち込んでもすぐにそれと知れるようだ。


早い話、普通の経歴の人間ではないと読まれてはずされる事は日常茶飯事である。過去にさまざまな大手、中小の会社代表に職務経歴書を提示したことがある。おそらくその規模は3桁を軽く超えている。4桁に近いとはいわないが相当な件数である。しかし、大多数の経営者。社会経験豊富な会社代表が、自分の職務経歴をみて理解できるという人士はひとりもいなかった。つまり戦後的な社会経験では、「いらざる苦労をしてきた割には人間が、幼い」という明治亭の代表者の人物鑑定は、それらの数百人規模の会社代表らの印象を要約したものなのだろうと思う。日本の企業社会では、人を育てるという思想は実態で存在しないと思う。あるのは取り替えるという実務だけである。だから企業の人事部というのは、たとえ激務であっても本質的には会社代表や経営陣の好むステレオタイプの規格品を大量調達するという構造の中で唸りをあげているに過ぎない。


満員電車で、数十年も違和感を感じずに通勤できるという精神の持ち主が日本にこれほど多い理由は、それである。自分は、そういう規格品にならなかったことを心底幸運だと思っている。
















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最終更新日  2007年11月09日 21時18分50秒
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