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2008年02月15日
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司馬遼太郎の話題を、しばらく杉山巡氏から聞かせて貰っている。ところが、司馬史観といわれるものは、その小説だけからはでは茫洋として掴みがたい。とりわけ、一時代一斉風靡した司馬遼太郎、初期の「龍馬がゆく」にはさまざま考えさせられるものがある。


高校時代、激動の学生叛乱期に「龍馬がゆく」を知ったが、この小説のモデルは司馬自身の告白では、かならずしも土佐の龍馬その人ではなかったらしい。当時、ソビエト連邦の東欧への軍事介入が常態で、日本にチェコ、ポーランド、ハンガリーなどの学生が海外拠点として流れこんでいた。司馬は、彼ら若い学生と取材で接触するうちに幕末の龍馬などのイメージを重ね合わせたのだという。小説は、確かに面白いのだけれども個人的には坂本龍馬という人物が、度しかねる面があった。日本で最初の日本人というスケール。これが、いかにして土佐という地域から発したのか。さまざまな逸話が重ねあわされているにせよ、リアリティが希薄であった。



龍馬が、なぜこれほど日本人に認知を得たのかといえば司馬自身が「龍馬がゆく」連載中に、さまざまな雑誌に談話をのせているが・・・



明治37年(1904年)2月、日露戦争の前夜、葉山の御用邸に皇后が滞在していた折であったが、三十七、八歳の武士が白衣で皇后の夢枕に立ち、戦いの際の海軍守護を誓い申し上げたという。皇后が侍臣に下問したところ、坂本龍馬の霊であると判った。これが新聞記事に載って士気を鼓舞し、霊山官祭招魂社内にある坂本龍馬の墓前に忠魂碑が立てられるに至った。



さすがに高校時代でも、この手の与太話を真顔では信じない。


これは龍馬が、凡庸な脱藩浪士ではなかったという証左だろう。NHK大河ドラマの女出入り噺は、ウケ狙いだろうと思った。




実は、以前もご紹介したのだが「あやつられた龍馬」の作家加地将一の画期的歴史ドキュメントのリリースがある。ぜひご覧いただきたい。





↓リンクかけています。
歴史ドキュメンタリー
「龍馬の黒幕」




2006/04/30
「あやつられた龍馬」読感 1




2006/05/01
「あやつられた龍馬」読感 2




2006/05/02
「あやつられた龍馬」読感 3















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最終更新日  2008年02月15日 19時43分01秒
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