カテゴリ:お山に雨が降りまして
吉行淳之介といっても、いまの人にはなんの感慨もないだろう。せいぜい映画「三丁目の夕日」に登場する須賀健太君扮する 古行淳之介(ふるゆきじゅんのすけ)のモデルになった作家というぐらいのイメージなのかも。世代としては自分の父親に近い。
熱心な読者というわけでもなく、吉行に接してきた。 愛人大塚英子の述懐を読み進み(無論大塚の記述にリアリティを感じて額面どうりとした場合の話だが)戦前に過ごしてはいたが、この国の戦後の勃興期をへてもっとも経済的に豊かで伸びやかに戦後を暮らせたはずの吉行の身辺で、むしろどんよりと重苦しいほどに「閉塞感」が印象するのは自分だけなのだろうか。 彼の母親あぐりの挙動からしても、「この国の上層」にも通じるご家族だが圧倒的閉塞感は否めない。これは自分にとって、立派なモニタリングポストたりうる。 比較的冒頭に述べられている吉行の子供についての堕胎についての話題では、やはり胸を突くものがあった。われわれの戦後とは、所詮は堕胎につぐ堕胎。ビジネスの世界でも、頓挫させたプロジェクト、「地上の星」の死屍累々なのだ。そのシンボリックな意味合いをメタな意味合いで感じさせられる。これを作家の宿業(ごう)などと文学的に聞き流すほど、こちらもヤサではない。ようするに飼い殺しの戦後に給餌された経済繁栄。その飽食がもたらした仇花は、ここにもあったなという事なのだろう。 女医は両手で血の海の洗面器を持ち、自分のデスクの上にそっと置くと、私を呼び寄せてその中へ手を突っ込み言った。 「ほら、よく見るのよ。 これが、この黒い粒のようなのが眼です。 それからこの楊枝のようなものが手足の骨。 ね、この人は三ヶ月でしたけれどね、もうちゃんと人間になろうとして着々と準備しているわけ。水子として洗面器でバラバラにされているけれど、一人の人間になろうとしているはずのかわいそうな人なのよ」 大塚英子 「暗室」のなかの吉行淳之介 飼い殺しの戦後・・・わたしが言う「国家社会主義」の別称だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月25日 19時55分53秒
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