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Twitterで、半月ぐらい過ぎたが内容的には可能性を感じつつも「功罪」あい半ばというぐらいの印象だ。それほど普及するのだろうか。自分には分からない。
過去のパソコン通信時代以来の欠点だと思っていた、匿名者相互の激しい論争はいまのところおおむね回避されている気がする。たまにキレやすい人が、喰ってかかってくるけれども想定外の反論を受けるとスクリーンネームごと削除され一旦消える。実は、こういうヤフーに多いタイプは、複数のスクリーンネームを持っていてとっちめられたスクリーンネームを捨てることに躊躇がない。彼らはファミコンで育った世代なのだろうか。 ただ、ブログ間の貴重な知見やニュースをいち早く知るためには重宝だ。 自分では偏りがちな視野が広くなるという効用はある。(たとえば、子供ゆめ基金は20億円規模の活動性なのだが、そこに20億円投じるためにショバ代を独立行政法人に20億円まきあげられている。これを蓮舫議員から直接耳にすることができる。聴取されたり返信を貰える可能性は極めて少ないが自分の意見を彼女に向けて直接発信することは可能だ。) 素顔の日常では、世間からかえりみられることがない人たちがこういうWEBの世界では意外に注目されたりするというような事はあるものだ。かつては、そういう動機はカルト教団などが収容していたりする。そういう意味では、Twitterはつねに新興宗教教団のような構成と傾向づけを懼れなければならないのかもしれない。 自称哲学者というふれこみの、東浩紀という男がいる。 実態で哲学者などというよりも「哲雑者」なのだが、駄弁を大量に浴びせてくる。 彼自身は、9000人の固定信者を得て快適に出版刊行物を売っているのかもしれないが、一種の公共財でもある言論空間でフォロー者数を背景にくだらない処世術にも届かないような私見を垂れ流すのにつきあわされるのには閉口だ。さっさとブロックをすれば良いという風に思う人がいるかもしれないが、毎回訳の分からない御託宣するごとに9000人に配信するという奴の動静は冷静に観察しておかなければならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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