2013/09/12(木)08:58
2011年5月現在 福島県相馬市の状況について
3月11日に発生した東日本大震災から2ヶ月が経ちました。
ハープ教室の生徒さんの友人宅が被災されたことから、
福島県相馬市に物資を送ったりと、
皆様におかれましては、沢山のご協力頂き、ありがとうございます。
ご家族が被災しているOさんの娘さんから、お手紙を頂きました。
多くの方に知って頂くべき内容ではないかと思い、記載させて頂きます。
お手紙の一部を紹介させて頂きます。
「先日はご丁寧なお手紙、ありがとうございました。
4/29~5/5まで相馬の自宅へ手伝いに行って参りました。
思っていたことの1000倍、大変でした。
昨年、六本木の智美術館にて高村光太郎と智恵子展が行われました。
智恵子が心の病気になった時、東京の医者が転地療養に勧めたのが
相馬市原釡海岸というきれいな海でしたが、
全てがれきの山、山、山で大きな集落に1件も家はありません。
主人いわく、中野区全部ががれきになったようなもの、と申しておりました。
本当に悲惨で涙もでませんでした。
同封の写真のインデックスですが、250枚の写真をコンパクトにしましたが、
一端におわかり頂ければと思います。
(↑高山・注:手紙の最後にご紹介させて頂いています。)
皆様には本当に良くして頂き、母や家族もとても助かりました。ありがとうございます。
母には有り難いことに車まで提供して下さる方もいらして、本当にフルに活用させて
頂いております。
相馬は飯舘村(いいたてむら)や南相馬から被災者を受け入れている関係で
物資不足が続いております。一番不足している物は食品です。
一度、波にのまれているため町全体が塩害で、塩っぽく、
ほこりで、喉がいがらっぽいのが常です。作業するのもマスク二重は当たり前、
常に飴を口にしてないと、喉がやられてしまうのが実感です。
これまで充分にして頂きましたので、もうこれで良いです、
と申し上げたいところですが、実際一人の力ではどうしようもありません。
もしまたご支援頂けるのであれば、
のど飴、インスタント味噌汁、ティーバックのお茶など、その他、
食品などがとても助かります。
本当にいろいろありがとうございました。
母も家族もとてもとても感謝しておりました。」
とのことです。
以下は、娘さんのコメント付きで頂いた写真です。
私がこのような内容を生徒さんに話したら、地震発生前から、海外へ向けて
ボランティア活動を行っている方もおり、本当に頭が下がる思いです。
私としましては、個人的にちまちまと物資を送ったりしているのですが、
有り難いことに、チャリティコンサートを企画してくださる方も近くにいらっしゃり、
今後もコンサートを通して、皆様と一緒に相馬市を支援できるような形を
とれたら良いのではないか、と思っています。いかがでしょうか。
小説家北上大さんのブログでは、Oさんの実家が記載されています。
4月13日の「よみがえれ!大川電機工業所」記事です。ご高覧ください。
以上、私より状況報告でした。