放置少女 狩野永徳 ※ネタバレ注意
放置少女 狩野永徳※ネタバレ注意です明日のアップデートから新キャラの追加が発表されました名前は狩野永徳メガネに十二単のような和風な美人です狩野派の巨匠が自分の絵で塗り潰すこともあるのか何度も描き直したのかたくさんある筆の筆の先のほとんどが筆先が黒になってますもしかすると謀士か武将どちらかになりハンニバルの対策に当たるのではないでしょうか??・下にいる黒猫さんが南禅寺の方丈に伝狩野永徳筆『牡丹麝香猫図襖』(重文)のジャコウネコなのかなと思います・机に置いてある絵が花鳥図(花鳥画)になるのかなと思いますどちらも狩野永徳が描いた代表的な絵の一つですし散りばめられてますね⚪狩野 永徳は安土桃山時代の絵師(画家)です狩野派(室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった画派)の代表的な画人です日本美術史上もっとも著名な画人の1人で現存する代表作に『唐獅子図屏風』、『洛中洛外図屏風』、『聚光院障壁画』などがあります⚪永徳は狩野松栄の子で狩野元信の孫にあたります狩野派の棟梁として織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕え安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画を制作した人物です永徳が力を振るったこれらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く真筆とされる現存作品は比較的少ないそうです永徳といえば雄大なスケールの豪快な作品(大画)のイメージがありますが細部を緻密に描写した「細画」もよくしたと言われています天正17年(1589年)には後陽成天皇の内裏の障壁画を担当し天正18年(1590年)には八条宮家の障壁画を描いています同年9月、永徳は東福寺法堂の天井画の龍図を制作中に病気になり死去します享年48(満47歳没)死因は現代風に言えば過労死だそうです子に狩野光信、狩野孝信がいますお笑い芸人の狩野英孝さんは狩野永徳などの狩野派の子孫ではないそうです某クイズ番組にて"よく言われていたそうで違う"と答えていました狩野英孝さんは神社の家の方ですよね?一度宮司のような格好されてたような気がします