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2021.08.17
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カテゴリ:感想
薄桜鬼 池田屋事件

薄桜鬼は結構歴史の考証がされている印象があります
色々調べてみるとよく調べられていることがわかります


(1):沖田総司



まず力士との乱闘ですがこの乱闘での史料によって数が違うので正確な死傷者の数は分かっていませんが
沖田さんが棒で殴られてだけのように書いていますが数名の死者のうち一人を斬り殺したとも言われています
一緒にいた永倉さんが後年「沖田は奮闘していた」とのこと

ただ池田屋に到着した際は近藤さん率いる隊士は十名程度しかいなかったようです
最初はこの数名で戦っていましたが
沖田さんが離脱するまで流れはまず幹部の近藤さん、沖田さん、永倉さん、藤堂さんを中心に浪士たちのいる二階に突入します
谷、武田、平隊士3名たちは出口を固めます
二階から降りて逃げる浪士を追いかける永倉さん、藤堂さんは一階にいます
この間に5名の浪士を斬っています
うち一名は沖田さんが斬ったことが分かっており浪士が裏口から脱走を図りそこを固めていた平隊士3名を斬ります
一人は即死で二人は重傷を負って数日後に亡くなります
裏口が手薄になったので一階へ降りて脱走しようとする浪士が増え一階の戦闘がさらに激化すると藤堂さんが額を斬られそれをかばって戦っていた永倉さんが手に怪我を負います

沖田さんに二階を任せ近藤さんが一階へ降ります
沖田さんは二階でしばらく戦闘していましたが暑さと疲労により倒れます

沖田さんはこの日の早朝にあった古高俊太郎捕縛にも出動しており夏の暑い盛りに頑丈な着こみをして激しい戦いを振りひろげているので倒れるのも無理はありませんね
沖田さんは倒れはしましたが傷は負っていなかったようで
仲間が大けがを負ったり殺されたりしているので浪士たちから報復されてもおかしくない中
沖田さんが倒れた際はすでに二階の浪士たちが一掃されていたことそうです
土方隊が到着し近藤さんは一階におり二階に沖田さんしかいなかったことも分かっており
沖田さんが倒れた際に近藤さんが一緒にいたのであれば近藤さんは二階にいることになります
二階の浪士があらかた片付いていたとしても浪士が二階に戻ってくる可能性もあるのでまた戦闘が終わっていない危険な状況で気を失っている仲間を一人で放置するとは思えません

沖田さんが二階で一人で戦っていた時間に何名かの浪士を斬っているから浪士が一掃されたのでしょう

その後は明保野亭事件・禁門の変にも参戦しており実戦・公務としての浪士斬りはこのくらいで以降の事件や戦闘には出てません

沖田さんは殿内義雄、家里次郎、芹沢鴨、内山彦四郎、浅野薫の暗殺、山南敬助の介錯をはじめとする異派や隊期違反者の粛清、介錯に刀を振るっています
なので仲間を切った数の方が多かったそうです

また隊士たちの剣術の指導や稽古を永倉さんと一緒に任されており隊に貢献しています


(2):古高俊太郎




池田屋事件の1ヶ月以上前の河原町通り四条下ルで不審火があり
現場の通行を妨害する2人の不審人物があったので新選組が捕らえ尋問すると彼らは長州浪士であり長州人250人余りが京に潜伏していることを白状しました

そのため新選組は市中の探索をよりいっそう厳重にし三条周辺の宿屋に約300人もの長州人が潜伏していることを突き止めます
そして鴨川東岸で捕らえた不審人物からクーデター計画の最初の情報を得ます

そして6月5日の早朝に桝屋喜右衛門こと古高俊太郎を捕縛しクーデター計画が6月7日に実行される予定であることを掴みます

古高捕縛の知らせを受けた吉田稔麿や宮部鼎蔵らは長州藩邸に集まり計画の延期と古高奪還のために新選組屯所に襲撃をかける事を計画します
その事を潜伏浪士達に伝えるために同日夜に池田屋に集まり会合を行うことになります

新選組は古高の自白により得た情報を京都守護職や所司代に伝え同日夜に一斉に出動して潜伏浪士の一掃をすることにします

このようにして池田屋事件が起こるわけですが
浪士側が計画を延期ではなくその日に実行をしていたら当然池田屋に集まっていた浪士達は完全武装しているので数人で乗り込んだ近藤勇らは返り討ちに遭っていた可能性があります

もちろん新選組が当日の会合場所を知るはずもないと思います

一方の志士側について補足しますと新選組屯所を襲撃し古高奪還が成功した後に襲撃グループ全員が切腹して果てる予定だったようで
池田屋に集まった志士たちはまさにその襲撃グループの可能性があるので死ぬ覚悟が出来ている人達です
つまりクーデター計画自体は彼らの死後に実行される予定になるので
それだけの覚悟がある彼らに計画の詳細まで話していたとしてもおかしくありませんね

近藤さんは5月3日に新選組の解散を会津藩に「市中見廻りしかさせてもらえないのなら解散する」という内容の申し出をしていたそうです


(3):新選組




⚪実際は新選組隊士が禁漁とされていた巨椋池で魚を取ったり鳥を撃つために伏見奉行所の同心たちには厳しく取り締まりをしていたこともあったそうです

新選組隊士の後藤太郎が鳥撃ちをしたことで咎めたところを知らずに暴言を吐いたこともあったそうで
その知らせを受けた伏見奉行所・与力の横田内蔵允が駆け付けて「この場所は朝廷や幕府に献納するための狩場でありときには将軍自らも狩りをする場所である
新撰組だって朝廷や幕府を敬しているのだろう
貴方の名を知っているから伝奏およびに守護職、所司代へ報告してその指令に委ねる」と迫ると後藤は恨みを抱き新選組は横田の家に押入り殺害したという話もあります

⚪また近藤さんが増長して愛妾を囲うなど隊費を浪費していたことや
同志だったはずの隊士を家臣のように扱ったことに対して憤りを感じた永倉新八、斎藤 一、原田左之助、島田魁ら幹部が京都守護職へ近藤さんの非行5か条を提出したこともあったそうです

やはり近藤さんも成り上がり者の素性は隠せなかったのかもしれません
ここは芹沢鴨が言った通りのような気がします

それでも新選組が分裂しなかったのはやはり土方さんの功績でしょう
冷徹な面もあったようですが江戸撤退後も東北や函館戦争にも多くの隊士が従っている所を見るにカリスマ性と統率力があったと思います

土方歳三歴史記念館でも彼を愛した人たちが名前を変えて残してくれたのは土方さんの人柄によるものだと思います
姉への手紙には土方さんが「元気にやっていることや京ではモテすぎて困っている」などの内容が書いてあったこともあるそうです












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最終更新日  2021.08.17 22:49:08
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