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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2007.09.06
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カテゴリ:ヒラカワの日常
夏が去れば、台風の季節となる。
今朝は五時半に起きて、(いや、まるに起こされて)
湿度の高い空気の中を、眠さを引きづりながらとぼとぼと歩く。
昨晩の、サウナ風呂のような道場での猛稽古が響いて
身体のあちこちが軋んでいる。
この身体と精神の綱引きは、年々陣地を失うような後退戦になる。
こういう後退戦にしないような
調和的な身体感覚を獲得してゆくのが稽古なのだが
なかなか思うようにいかない。
まあ、だから面白いのだけれどね。
愚痴りながら手綱を引くのである。

空気が淀んで蒸し暑くスーツを着る気にならないので
ジーンズにシャツといったリゾートスタイルで
新宿の会社へ向かう。
ほんとうは、ステテコとランニングの植木等スタイルが理想だが。

ラジオデイズの本番稼動が近づいている。
最終的なチェックや、スケジュール確認、
作業の追い込みと忙しい。
月刊ラジオデイズが刷り上っていた。
この号には、烏丸せつこさんについて
ちょとした文章を書いたのだが、
これが、うちうちで意外に好評であった。
本誌は、ラジオデイズが発行する月刊誌で、
編集長は、元早稲田文学の編集を支えていた文鳥舎の大森女史。
今のところは落語会にこられない方には、手にする機会がないので、
ここに再録しておきたい。
(ラジオデイズのサイトには、PDFファイルで読めるようになっている。)


烏丸せつこ―批評家を内に持つ巫女
(月刊ラジオデイズ 9月号ーこの人の声が聴きたい)

女優というのは職業なのだろうか、
それとも余人をもって代えがたい天賦の才能の異名というべきか。
私には、女優とはスクリーンの中を棲家とする、何にでも変身可能であり、
どんな時代にも移動することができ、
死者までも口寄せすることのできる巫女のようなものだ
という法外な「偏見」がある。だから彼女は、電車には乗らない。
大根も刻まない。洟もかまない。うんこもしない。
いやぁ、何という素っ頓狂な「偏見」だろう。
でもさ、この「偏見」なしに、女優が女優であることもまたありえないというのも真理である。
巫女に信者が必要なように、女優には私のような加担者が必要なのである。
だからこそ、「女優」とは他者の意見に左右されることのない、
唯我独尊の存在であることが許されている。
別の言い方をするなら「わがまま」であることが許されている。

 烏丸せつこという女優もまた、私のそのような「偏見」の中に生きている女優の一人であった。
彼女は「わがまま」だという風評もまた、「偏見」を裏書きしてくれていた。
しかし、ラジオの収録の現場で、実際にお会いした烏丸せつこさんは、
私の「偏見」をやすやすと裏切って、気の置けない、頭の良い
、素敵な女性であった。
人の意見をよく聴き、考え、吟味して応答してくれ、大声で笑い、ときに顔をしかめる。
なんだ、普通の美しき女性じゃないか。
しかし、それでもなお、彼女は「女優」であって、
他のどんな職業も似つかわしくないように思えたのである。
この矛盾した印象を説明するのは、なかなか難しい。
人はどのようにふるまえば、普通であって特別な存在になれるのか。

 この度、ラジオデイズに収録されることになった彼女の朗読の中に
その答えがあるのかもしれない。
一体、「女優」烏丸せつこは、どのように詩を読むのだろうか。
「噺家は高座から消えなければならない」とは、柳家小ゑん師匠から教えてもらった、
五代目柳家小さんの名言であるが、詩の朗読者というものもまた、
自分を消さなければ詩を消してしまうというアポリアに直面している。
かつて吉永小百合が立原道造の詩を朗読しているのをテレビで見たことがあったが、
そこにあるのはまぎれもない吉永小百合であって、立原はそこにはいなかった。
そこで、烏丸せつこの朗読を聴いてみた。

宮沢賢治、林芙美子、金子みすず、大手拓次、そして立原道造。
その他にも次々に高名な詩人の作品が彼女の身体を通過して「作品」となる。
なるほど、こういうことなのか。そこにあるのは「女優烏丸せつこ」ではなく、
「朗読者烏丸せつこ」であった。
彼女に憑依したのは、それぞれの詩人であるというよりは、
陋巷に詠うひとりの「朗読者」である、というように私には思えたのである。
それは、同時に女優であり批評家でもあるという稀有の才能の上にしか、
実現し得ない独特の憑依の仕方であるといえるだろう。



さて、会社がひけてから
白髭橋の会社の若いもんらと待ち合わせて、
絶妙の銀シャリ屋である、「こころむすび」へ繰り出す。
奴らに銀シャリの真実を教えておこうと
思ったのである。

脂ののりきった関アジの一夜干し、
山陰浜田漁港直送の、鮮魚を凌駕する干物のうたい文句の秋刀魚、ほっけ、アジの炭火焼。
特筆すべき福島産こしひかりのかまど炊き。
酒は、本日のおすすめリストを上から順番に、一列全部注文。
このすべてが、
最高の水準を保っている。
いや、うめえのなんの。
店の外は台風が吹き荒れているらしいが、
店の中は、酔っ払い約五名が
馬鹿話で盛り上がっている。
途中から、プロレス話になって、
俺も何がなんだかわからなくなる。
なるほど、俺はプロレスフリークだったわけである。
他のことはほとんど忘れているのに、
プロレスのことは、ほとんど覚えている自分に
あきれる。






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最終更新日  2007.09.07 11:43:18
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