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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.01.09
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カテゴリ:ヒラカワの日常
午前中、NTTドコモ御一行様が来社。
モバイル・ソサエティ・レビューという雑誌に何か書いてくれないかとの
ご注文をいただき、「いいすよ」とご返事していたからである。
実を言えば、ご注文をいただいたときに、
瞬間的に何を書けばよいかということは判っていたので
即答したのである。

「携帯電話が政治、経済、社会にどのような影響を与えるのか
そのあたりを書いていただけると・・・」
というご説明を受けたのだが、
何を書くかはもう決めていたので
実は、こういうことを書きますけど「いい?」と
ご返事申し上げる。

いま、みずほ総研の雑誌に、
『グローバリズムにもの申す』というシリーズを連載しているのだが、
このシリーズの眼目は、
経済のグローバル化に反対の立場を表明するというところにあるわけではない。
経済のグローバル化は、人間が経済交換というものを発明して以来の自然過程であって
だれもそれを押しとどめることはできない。
もし、一時的にせよ、グローバル化を押しとどめることができるとするならば、
それは、国家権力の手によって、
意識的、統制的に国家間の交流を遮断したときだけである。
そして、たとえブロック化、鎖国化を推進したとしても、
統制の網の目をかいくぐってグローバル化してゆくのが
経済というものの本質というべきだろう。
なぜなら、経済交換は、差異によって担保されており、
差異は距離の障害や、国境や、統制があればあるほど際立つものだからである。
しかし、経済のグローバル化とグローバリズムとは
似ていて同じに在らずの概念である。
グローバリズムとは、経済のグローバル化に棹差すことによって
私益、地域益、国益といったものを、つまりは国際的な分業、
非対称性を固定化するための政治的、戦略的な思想だからである。
勿論、俺はグローバリズムそのものも否定しているわけではない。
個人も、国家も、自らの利益を確保するために動くのは
ことの生業というべきものだからだ。
ただ、限りのあるリソースの中で、
グローバリズムをどこまでも推し進めていくことは
それによって獲得した利益と同等の不利益をどこかに押し付けることになる。
そして、その不利益はいつかは、それによって利益を得たものが
清算しなければならなくなる。
この功罪をテクニカルに考量すべきであるというのが
俺の視点なのである。

この度の、携帯電話の功罪ということに関しても
俺は同じ視点から考える。
テクノロジーの進歩は、人間が、人間であることの能力の限定から
自由になろうとする限り、自然過程として歩みを止めることはない。
だから、いかなる反テクノロジー思想にも与するつもりはないのである。
ただ、テクノロジーが進歩してゆくことが自然過程であるということと、
それが自然としての人間の能力を、限定から開放するということとは
同じではない。
どんなに頑張っても豹のようなスピードで草原を疾駆できないこと。
鳥のまねをして手足をばたつかせても、飛翔することはできないこと。
山を越えた谷にいる仲間まで届かせる声を持たないこと。
巨大な岩を動かす筋力を有していないこと。
こういったことは、確かにひとつの機能や能力の限定ではある。
しかし、同時にこういった限定的な存在であることから、
人間が何か別の利得を得ていないとは言えないはずである。
豹が猛烈なスピードで駆けることができるのは、それによって
獲物を獲得するためである。
人間は別の仕方で、より平和的に食料を獲得することができる。
農耕や漁撈が可能になったので、豹のスピードが不要になったわけではない。
ひとつの能力の限定があったから、農耕や漁撈を発明したと考えるほうが
自然である。
そして、逆もまた真である。
テクノロジーの進歩は、人間の能力を限定から開放する。
しかし、限定から開放された人間は、同量の何かを喪失しているかもしれない
と考えられないだろうか。
能力が限定的であることは、意味がある、と考えられないだろうか。

携帯電話は、人間は地面にへばりついて生きてきた動物であり、
空間と時間の中に閉じ込められている生き物であることから人間を解放する
スーパーツールである。
地球の裏側にいる他者と、リアルタイムで繋がることができる。
これが、今後どのように進化発展してゆくのかは、およそ想像がつく。
しかし、この利便性の獲得によって
何を失ったのかということに関しては、
まだほとんど理解できていないように思える。
獲得したのは、利便性と快適な生活である。
では、失った等量のものとは何なのか。

と、まあこんな視点で書こうと思っているのである。
この続きは是非、雑誌でお読みいただきたい。
え、非売品なのですか。
では、雑誌掲載後に、ここで発表することにしちゃおうか。










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最終更新日  2008.01.09 21:49:11
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